五百籏頭 真 (いおきべ まこと、男性、1943年12月16日 - )は、日本の政治学者、防衛大学校校長(第8代、2006年8月1日就任)。専門は、日本政治外交史、政策過程論、日米関係論。元日本政治学会理事長(1998-2000年)。
兵庫県西宮市出身・在住。1962年六甲中学校・高等学校 六甲高等学校、1967年京都大学法学部卒業。1969年同大学院法学研究科修士課程修了後、広島大学政治経済学部助手・講師・助教授を経て、1981年より神戸大学法学研究科・国際協力研究科教授。1987年京都大学より博士(法学)学位を取得。
その間、ハーバード大学(1977-79年、2002-03年)、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(1990-91年)で客員研究員、小渕内閣時には「21世紀日本の構想」懇談会の外交分科会座長をつとめた。
井岡 弘樹(いおか ひろき、1969年1月8日-)は大阪府堺市出身の元プロボクサー。グリーンツダジム所属。右ボクサータイプ。
軽量級らしい伸びのある左ジャブ・右ストレートを武器に日本最年少の18歳9ヶ月で世界ボクシング評議会 WBC世界ストロー級(現・ミニマム級)の初代王者となる。また、世界ボクシング協会 WBA世界ジュニア・フライ級(現・ライトフライ級)の王座も獲得、2階級制覇を達成した。多くの世界王者を輩出した名伯楽、エディ・タウンゼントの最後の弟子。現井岡ボクシングジム会長。
現役時代の入場曲はTEENA MARIEの「LEAD ME ON」。井岡のボクシングスタイルを象徴するような、リズム感に溢れる曲。
井生 崇光(いおう たかみつ、1981年3月12日 - )は、福岡県出身で広島東洋カープ所属の野球選手 プロ野球選手(外野手)。いわゆる松坂世代の一人である。
福岡県立東筑高等学校 東筑高では2年秋の九州大会でベスト4、3年春の選抜高等学校野球大会 甲子園では1回戦敗退。この試合には、1番遊撃手として出場し、先制タイムリーを放っている。夏の県大会では、久保裕也(現読売ジャイアンツ)のいる沖学園高等学校 沖学園や瑞季(現千葉ロッテマリーンズ)のいる柳川高等学校 柳川を破って決勝に進出するも、村田修一(現横浜ベイスターズ)・大野隆治(現福岡ソフトバンクホークス)のいる東福岡高等学校 東福岡の前に敗れた。
家本 賢太郎(いえもと けんたろう 1981年12月2日 - )は、日本の経営者。株式会社クララオンライン代表取締役社長。愛知県名古屋市出身。2001年慶應義塾大学環境情報学部に入学。2006年同大中退。2006年5月現在早稲田大学大学院スポーツ科学研究科在籍。
1996年 私立滝中学校在学中、脳腫瘍の除去手術の後遺症で車椅子生活となる。入院中パソコンに親しんだことがきっかけでITに目覚める。
1997年 私立滝中学校卒業。同年文部省大学入学資格検定(大検)合格。合資会社クララオンラインを設立しレンタルサーバ事業を行う。
1998年 有限会社クララオンラインを設立。
1999年 株式会社クララオンラインに組織変更。同年、慶應義塾大学法学部通信教育課程入学。車椅子生活から離れる。
家近 良樹(いえちか よしき、 1950年3月 - )は、日本の歴史学者。大阪経済大学人間科学部教授。専門は日本近代政治史(幕末史)。大分県出身。同志社大学大学院博士課程満期退学。
幕末期の政治状況は従来の薩長と幕府との対立というだけでは説明できないとして、家近は「一会桑政権」と呼ばれる歴史概念を主張している。「一会桑」とはそれぞれ「一」=一橋慶喜、「会」=会津藩主・松平容保、「桑」=桑名藩主・松平定敬のことをさす。従来の薩長史観では見過ごされがちだが、この三者が幕末において果たした役割を再評価を主張している。
『幕末政治と倒幕運動』 (吉川弘文館、1995年)
家田荘子(いえだしょうこ、1958年7月22日 - )はノンフィクション作家。愛知県武豊町出身。愛知県立半田高等学校、日本大学芸術学部放送学科卒業。エイズ患者、ヤクザや代議士の妻、新宿二丁目の人たちなど、その実態があまり世間に知られることのない人たちへのインタビュー取材によるノンフィクションで知られる作家である。『極道の妻たち』は、シリーズとして映画化されて話題を呼んだ。また『イエローキャブ』は、アメリカに渡り苦学しながら学ぶ女子留学生たちの姿を描いた作品。東洋人である偏見と人種差別、そして文化的差異からくる誤解を受けながらも勉学を続ける女学生たちの姿を脚色なく描き出した秀作。津田梅子を嚆矢とするこれら留学生の献身により日本の女子教育の礎が築かれた。
飯山 裕志(いいやま ゆうじ、1979年7月13日 - )は、プロ野球・北海道日本ハムファイターズに所属する内野手である。背番号は57。
守備力が高く、内外野どこでも守れるユーティリティプレーヤーとして重宝されている。主な守備位置は三塁手、遊撃手であるが、外野手や二塁手もこなし、二軍では捕手を担当したことも。
守備固めや代走での出場が多く、打席の機会はそれほど多くなかったが、2005年にようやく一軍初打点と初安打を記録した。2006年には三塁手の木元邦之の怪我もあって、開幕スタメンの座を勝ち取った。以後は一軍に定着し、安定した守備力でチームの危機を幾度となく救っている。
飯森範親(いいもり のりちか、1963年(昭和38年)5月17日 - )は指揮者。
鎌倉生まれ。桐朋学園大学指揮科卒業。
ドイツ音楽などの他、西村朗やカーゲルなど現代曲もこなす。現在ヴュルテンベルク・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督兼首席指揮者、アルトゥール・ルービンシュタイン・フィルハーモニック管弦楽団首席客演指揮者、東京交響楽団正指揮者、山形交響楽団常任指揮者、いずみシンフォニエッタ大阪常任指揮者。
特技は料理。
日本の指揮者 いいもり のりちか
神奈川県出身の人物 いいもり のりちか
1963年生 いいもりのりちか
飯守 泰次郎(いいもり たいじろう、1940年9月30日 - )は指揮者。旧満州・新京生まれ。
桐朋学園短期大学指揮科卒。斎藤秀雄に師事。アメリカ留学中にミトロプーロス国際指揮者コンクールに入賞。のちにカラヤン国際指揮者コンクールに入賞。
ドイツでの活動が長くバイロイト音楽祭の音楽助手をつとめる。またマンハイム、レーゲンスブルクなど各地の歌劇場で活動をする。ドイツでの活動を継続出来るよう朝比奈隆が一度助けてくれたという逸話がある。現在オランダ・エンスヘデ市立音楽院オーケストラ顧問。
日本国内では1972年から1976年まで読売日本交響楽団指揮者、1993年から1998年まで、名古屋フィルハーモニー交響楽団常任指揮者。1997年より東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団常任指揮者、2001年より関西フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者を兼ねる。