柳家 小せん(やなぎや こせん)は、落語の名跡。当代は4代目。
4代目柳家 小せん(やなぎや こせん、1923年(大正12年)7月24日 - )は、落語協会所属の落語家。本名・飯泉真寿男(いいずみ ますお)。東京都出身。出囃子は『せり』。東西落語界の最年長の噺家でもある。上方落語界の最年長は笑福亭松之助である。
5代目柳家小さんの筆頭弟子。
1949年(昭和24年)に入門して小満輔を名乗る。
1951年(昭和26年)に二つ目に昇進し柳家小きんと改名。
1961年(昭和36年)に真打昇進で四代目小せんを襲名。
フジテレビジョン フジテレビ「お笑いタッグマッチ」のボケ役回答者で売れる。中でも同番組で使用した「ケメ子」は流行語となり、「ケメ子の歌」等の流行歌が作られいずれもヒットした。(小せん自身、サイケデリック調ナンセンスソング「私がケメ子よ」の作詞を手掛けている。)
柳家 小三治(やなぎや こさんじ)は、落語の名跡。当代は10代目。
小三治の名跡は、廃業した者もいれば柳派の総帥になった者もいるため、「五厘(事務員)にも柳家小さん 小さんにもなれる名跡」と言われる。名跡のランクは長らく中堅であったが、当代の活躍により上昇傾向にある。
10代目 柳家 小三治(やなぎや こさんじ、本名:郡山 剛蔵(こおりやま たけぞう)、1939年12月17日 - )は、落語協会所属の落語家であり、同協会理事。東京都新宿区生まれ。師匠は柳家小さん 5代目小さん。出囃子は『二上りかっこ』。
真面目に「生きること」を考えており、その結果として腰を据えて何にでも手を出して遊びまくる、一言でいえば落語の世界観を衒いや狙いを一切持たずに血肉としている全身落語家。そのためファンは一時たりとも目を離せない。40代まではバイクを趣味にしていたが、腱鞘炎を起こし乗らなくなった。
柳家 小さん(やなぎや こさん)は落語の名跡。当代は6代目。2002年(平成14年)に五代目が逝去して以来空位となっていたが、2006年(平成18年)9月21日に3代目柳家三語楼が6代目小さんを襲名した。
柳家小さんの名跡は、落語界の勢力を三遊派と二分してきた柳派の総帥にして大看板。代々実力者ぞろいであり、特に3代目は文豪夏目漱石が三四郎などの作品中で作中人物の口を借りて大絶賛したことでも知られている。
5代目柳家 小さん(やなぎや こさん、1915年(大正4年)1月2日 - 2002年(平成14年)5月16日)は、長野県の生まれ。本名:小林 盛夫(こばやし もりお。桂三木助 (4代目) 4代目桂三木助の本名と同姓同名)。出囃子は『序の舞』。
柳家 小きん(やなぎや こきん)は、落語の名跡。当代は11代目。
過去には柳家小さん#5代目 5代目柳家小さんや柳家小せん 4代目柳家小せん、6代目柳家つば女(小きん時代に笑点のレギュラー経験あり)、桂三木助 (4代目) 4代目桂三木助(小きん時代はレポーターとして活躍)等が名乗っており、柳派における出世名となっている。
11代目柳家 小きん(1967年11月22日 - )は、東京都出身の落語家。本名は渡辺雅彦。落語協会所属。出囃子は春風がそよそよ。趣味は食べ歩き、限度を超す利き酒、観劇、格闘技観戦。
父は同じく落語家の6代目柳家つば女であり、つば女を襲名する前までは小きんを名乗っていた。
柳家 喬太郎(やなぎや きょうたろう、1963年(昭和38年)11月30日-)は、落語協会所属の落語家。東京都世田谷区出身。本名は小原 正也(こはら まさや)。日本大学高等学校、日本大学商学部卒業。
主に新作落語を得意演目とする。通称「キョンキョン」。
春風亭昇太らと創作話芸協会「創作話芸協会 SWA」を旗揚げ。背番号は『6』。出囃子は『まかしょ』。
1987年 - 日本大学卒業後に福家書店(株式会社福家)入社。
1988年 - 福家を退社。
1989年 - 柳家さん喬に入門、前座名「さん坊」。
1993年 - 二つ目昇進、現在の「喬太郎」に改名。
1995年 - 「第一回高田文夫杯お笑いゴールドラッシュII」優勝。
柳家 花緑(やなぎや かろく、本名は小林 鳩(こばやし きゅう)、1971年8月2日 - )は、社団法人落語協会所属の落語家(真打)。東京生まれ。人間国宝であった故・5代目柳家小さんは母方の祖父に当たる。兄はバレエ バレエダンサーの小林十市。六代目柳家小さん襲名が内定した柳家三語楼は叔父。
1987年、母親の直感が 十市はバレエ向きの顔に比べて鳩は見た目が落語家向きであることから、祖父でもある五代目柳家小さんに入門、前座名「九太郎」を名乗る。
1989年、「小緑」で二つ目、1994年、異例の早さで真打ち昇進、「花緑」に改名。真打ち昇進時の年齢23歳(一説によれば22歳)は、戦後での落語界最年少。子ども向けの落語や、六人の会(春風亭小朝、立川志の輔、春風亭昇太、笑福亭鶴瓶、林家正蔵 (9代目) 林家正蔵、柳家花緑)での活動で、落語の振興につとめている。
落語家
芸名:柳家 一九 (やなぎや いっく)
本名:西本 裕 (にしもと ゆたか)
生年月日 1957年 02月 21日
芸種:落語
出身地:石川県金沢市
出囃子(でばやし):祇園小唄(ぎおんこうた)
紋 :三ツ割桔梗(みつわりききょう)
略歴:東海大学工学部通信工学課卒業、ロス五輪柔道金メダリスト山下泰裕と同期、真打ち名、柳家一九の由来は出身地金沢にあった寄席「一九亭」にちなむ。
昭和55年2月、三代目柳家小満んに入門、前座名小まめ(こまめ)とし、昭和58年4月、二ツ目に昇進し小満女(こまめ)と改名、平成7年3月、真打昇進現在の一九と改名。
余芸:南京玉すだれ
趣味:ゴルフ、川柳(阿倍川川柳句会会員)、絵手紙(絵手紙さくら会会員)
名前=柳本啓成
本名=
愛称=ヤナギ、おさる
カタカナ表記=ヤナギモト ヒロシゲ
アルファベット表記=YANAGIMOTO Hiroshige
原語名=
原語表記=
誕生日=1972年10月15日
出身地=大阪府
身長=175cm
体重=66kg
血液型=
所属チーム名=セレッソ大阪
ポジション=ディフェンダー (サッカー) DF
背番号=3
柳本 晶一(やなぎもと しょういち、1951年6月5日 - )は、大阪府大阪市出身の元バレーボール選手一覧 日本男子バレーボール代表選手で、現全日本女子バレーボールチーム監督。大阪商業大学附属高校卒。テレビ中継のニックネームは全日本女子バレー 復活請負人。現役時代のポジションはセッター (バレーボール) セッター。
大阪商業大学付属高校卒業後、1970年に帝人三原市 三原に入社。翌1971年に新日本製鐵(現堺ブレイザーズ)に移籍。以降、主力選手として活躍。日本代表としては1973年に初招集されるが、名セッター猫田勝敏の控えに甘んじることとなる。それでも、1974年のアジア大会で優勝、同年の世界選手権で銀メダル獲得、1976年のモントリオールオリンピックに出場し4位入賞するなど活躍を見せる。1980年から監督兼任となり、1982年に日本リーグ(現日本バレーボールリーグ機構 Vリーグ)優勝。1986年に地域リーグ・日新製鋼の選手兼監督となり創部5年で日本リーグに昇格させた。1991年に現役引退し監督専任となるが、チームは廃部。タイ王国 タイ男子ナショナルチームを指揮した後、Vリーグ女子・東洋紡オーキスの監督に就任、2年目でVリーグ初優勝、初めて日本リーグ時代を通じて男女ともに自分の指揮するチームを優勝に導く。現在も男女共に日本一に輝いたのは柳本ただ一人である。