尾藤 正英(びとう まさひで、1923年 大正12年(1923年)9月1日 - )。専門は日本史、特に江戸時代の儒学者の思想研究。平成14年 日本学士院会員。
昭和24年 東京大学文学部国史学科卒業
昭和37年 文学博士。
昭和33年 名古屋大学文学部講師
昭和37年 同助教授
昭和37年 東京大学文学部助教授
昭和45年 同教授
昭和59年 千葉大学文学部教授・東京大名誉教授、
昭和63年から平成11年まで川村学園女子大学文学部教授。
日本の歴史学者 ひとうまさひて
尾藤 イサオ(びとう いさお 1943年11月22日 - )は東京都出身の歌手。本名は尾藤 功男(びとう いさお)。現在はアトリエ・ダンカン所属。
1953年に、曲芸師鏡小鉄の内弟子となり、幼少時代は曲芸団に所属し、曲芸師として活躍。1961年に18歳で歌手デビュー。1962年にはアニマルズのカバー「悲しき願い」がヒットし、。1963年には、第20回記念「日劇ウエスタンカーニバル・プレスリー賞」を受賞。マック・ザ・ナイフのカバーもヒット。一時期はブルーコメッツのメンバーでもあった。
エネルギッシュで熱いシャウトのヴォーカルは彼の特徴でもあり、ボクシングアニメ「あしたのジョー」の主題歌を歌ったことが話題となる。
陽月 華(ひづき はな)は宝塚歌劇団星組 (宝塚歌劇) 星組の若手娘役スター。身長164cm。東京都足立区出身。愛称は「うめ」「うめにゃん」。9月2日生まれ。中学時代は剣道部。
2000年3月、86期生として宝塚歌劇団に入団。同年『源氏物語あさきゆめみし』で初舞台後、星組に配属。
2003年『王家に捧ぐ歌』で新人公演初ヒロイン。
2003年『おーい春風さん』で、バウホール公演初ヒロイン。
入団当初から、愛らしくもさっぱりとさわやかな、娘役としては独特の雰囲気を持っている。
2001年の『ベルサイユのばら (宝塚歌劇) ベルサイユのばら2001』ではアンドレの子供時代を溌剌と演じ、娘役らしからぬ活きの良さを見せる。一方で、同公演の小公女役では愛らしい姿も披露。
左 とん平(ひだり とんぺい、1937年5月30日 - )は、日本の俳優。本名、肥田木 通弘(ひだき みちひろ)。
東京都北区 (東京都) 北区王子出身。アクターズプロモーション所属。1957年、友人らと劇団を結成。後に、冗談工房に入団する。1960年頃から新宿コマ劇場などに出演。1970年代にはテレビドラマ『時間ですよ』や『寺内貫太郎一家』などに出演。また、1973年に「ヘイ・ユー! ホワッチャー・ネーム?」という左のギャグが流行語となり、レコード化もされた。
世田谷高校卒業。
とん平のヘイ・ユウブルース(1973年)
:1995年にシングルCDとして再発。同年、大槻ケンヂによってカバー(左とん平自身も参加)。2004年にお笑い芸人 お笑いコンビのカンニング (お笑いコンビ) カンニングによってカバーされた。
左時枝(ひだり ときえ、1947年3月27日 - )は、ワンダープロダクション所属の女優。富山県出身。本名・額村多美子。初期の頃は本名で活動していたようである。趣味は、絵画。それが高じて、大きな花の絵(油絵)を描き、定期的に個展を開いている。姉は女優の左幸子(幸子は長女、時枝は五女)。羽仁未央は姪にあたる。娘・額村麻裕もTBSラジオ『シンデレラドリーム ミッドナイト☆パーティー』のパーソナリティーを務めるなど、一時芸能界で活躍していた。
1966 かあちゃんと11人の子ども
1967 女の一生
1967.12.23 男なら振りむくな
1969.05.24 心中天網島
1969 ひばり・橋の花と喧嘩
1969 夕陽に向かう
日高 義博(ひだか よしひろ 1948年1月18日 - )は、日本の刑法学者。宮崎県出身。
現在、専修大学長。
専修大学法科大学院教授・法学博士。司法試験考査委員。
入間市情報公開・個人情報保護審査会委員。
1948年1月18日、宮崎県に生まれる。
1970年3月、専修大学法学部卒業。
1975年3月、明治学院大学大学院法学研究科博士課程修了(単位取得)。
1977年4月、専修大学助教授。
1980年~1982年、ドイツ、トリーア大学に留学。
1984年4月、専修大学教授。
1991年~1992年、トリーア大学法学部客員教授。
1997年6月~7月、ドイツ、マルティン・ルター大学(ハレ大学)法学部客員教授。
2001年9月~2004年8月 専修大学法学部長。
日高 義樹(ひだか よしき、1935年 - )は、愛知県名古屋市出身のジャーナリスト。
愛知県立刈谷高等学校を経て、東京大学文学部英文科卒業後、東京大学新聞研究所を経て1959年に日本放送協会 NHKに入社。外信部、ニューヨーク支局長、ワシントンD.C. ワシントン支局長、NHKエンタープライズ・アメリカ代表、アメリカ総局長などを歴任して1992年NHKを退職。
1989年から1991年までNHK会長であった島桂次の側近であった。
40年近くその報道に携わったことから、日米関係に関する著作が多数あり、共和党知日派などの人脈も豊富とされる。現在はワシントンの『w:Hudson Institute ハドソン研究所』の客員首席研究員、全米商工会議所の会長主席顧問を務めるほか、テレビ番組でも活躍中である。
日高 敏隆(ひだか としたか、1930年2月26日 - )は、日本の男性生物学者の一覧 動物行動学者。京都大学名誉教授。日本に新興の動物行動学が紹介され始めた頃に日本にこの分野を紹介して研究を始めた草分け期の研究者であり、また多国語に堪能であるため、この分野を開拓したコンラート・ローレンツやニコ・ティンバーゲンらの著作の日本語訳や、自ら記した一般向けの啓蒙書も多い。
東京都渋谷区出身。少年時代から昆虫採集に熱中するいわゆる昆虫少年であり、当時は昆虫少年同士の全国的な文通や同人誌を通じたネットワークがあり、日高も世代の近い養老孟司や同年生まれの矢島稔ら、その後昆虫少年からプロの研究者になっていった人々と、その頃から交流があった。小学校時代から昆虫学者を志していたが両親の無理解に苦しみ、また当時通っていた小学校のスパルタ教育に馴染めず登校拒否に陥り、自殺を考えたこともあるが、担任教師が両親に掛け合って、日高が昆虫学の道に進むことを承諾させると共に、より自由な校風の麻布の小学校に越境入学させたことで命を救われた。旧制成城高等学校(在学中に学制改革を経験し、成城学園となる)で関心の対象が動物学に移り、1952年に東京大学理学部動物学科を卒業。昆虫を研究材料とした生理学的研究から、次第に新しい動物行動学の要素を取り入れた方向に研究を発展させていった。昼間岩波書店に勤務し、夜間東京大学の研究室で研究を続けていた駆け出しの研究者の頃、動物学科の後輩の畑正憲と交流を持つ。東京農工大学講師・助教授・教授を経て、1975年に京都大学教授へ就任。1993年に京都大学を退官した後は、1995年から滋賀県立大学初代学長。現在は総合地球環境学研究所所長。
日高 剛(ひだか たけし、1977年8月15日- )は、福岡県出身のプロ野球・オリックス・バファローズに所属する野球選手(捕手)。
パンチ力ある打撃が魅力。リードは成長しており、外角を中心とした組み立てをする。地味ながらオールスターゲーム (日本プロ野球) オールスターには4度出場している。(すべて監督推薦での出場)。
あまり有名な捕手ではないが、現役で城島健司(シアトル・マリナーズ)谷繁元信(中日ドラゴンズ)に次いで、高卒で成功しているといえる捕手であり、オリックスの正捕手の座を守り続けている。2006年、FA権を取得し、動向が注目されている。ソフトバンクが獲得するのではないかとうわさされている。