花柳章太郎(はなやぎ・しょうたろう、1894年5月24日 - 1965年1月6日)は戦前・戦後の新派を代表する女形役者。
東京日本橋 (東京都) 日本橋生れ。役者を志し、1908年喜多村緑郎の弟子となって初舞台。1915年ごろからその美貌が話題となり、一躍人気女形となる。
当時やや退潮傾向にあった新派劇に焦燥感を覚え、1920年代以降は本流新派からの独立をめざして試行錯誤を繰返す。1921年に小堀誠、英太郎 (新劇座) 英太郎らと新劇座を結成し、さらに1939年、ついに伊志井寛、柳永二郎、大矢市次郎、川口松太郎(脚本)らとともに新生新派として本流新派から完全に独立。この年にはさらに溝口健二監督の映画『残菊物語』にも出演し、立役としての大衆的な人気をも得るようになった。
花森 安治(はなもり やすじ、1911年10月25日 - 1978年1月14日)は、編集者、グラフィックデザイナー。生活雑誌『暮しの手帖』を創刊した。
除隊されたとはいえ戦争の不条理と悲惨さの一端を経験した彼は、終戦後の1946年、衣装研究所(現・暮しの手帖社)を設立し、雑誌『スタイルブック』を創刊した。そして1948年には生活雑誌『美しい暮しの手帖』(後に『暮しの手帖』に改題)を創刊する。『暮しの手帖』は、生活者の立場に立って提案や実験を行うユニークな雑誌で、中立性を守るため企業広告を一切載せないという理念の元に、現在まで発行されている。花森は編集長として自ら紙面デザインや取材に奔走し、死の前日まで第一線で編集に当たった。反骨精神と奇矯ながら真摯な行動でも知られ、数々の逸話を残す。
花村 萬月(はなむら まんげつ、男性、昭和30年(1955年)2月5日 - 、本名、吉川一郎)は、日本の作家。東京都生まれ。小平サレジオ中学校卒業。
1989年、デビュー作の『ゴッド・ブレイス物語』で第02回小説すばる新人賞。
1998年、『皆月』で、第19回吉川英治文学新人賞。
1998年、『ゲルマニウムの夜』で第119回芥川賞受賞。
ゴッド・ブレイス物語
眠り猫
重金属青年団
屠られし者、その血によりて(94年に『紫苑』に改題)
渋谷ルシファー
なで肩の狐
聖殺人者イグナシオ
ブルース
真夜中の犬
月の光
へヴィ・ゲージ
花村怜美(はなむら さとみ、1984年7月3日 - )は、女優、声優。東京都出身。浅井プロダクション所属。
Get Ride! アムドライバー(ミルン・ハッキネン)
シュガシュガルーン シュガシュガルーン-sugar×2 rune-(有坂棗)
スクールランブル(鬼怒川綾乃)
スクールランブル 二学期(鬼怒川綾乃)
南の島の小さな飛行機 バーディー(フィン)
風人物語(ミキ)
蟲師(サネ)
おねがいマイメロディ ~くるくるシャッフル!~(沙織)
コヨーテ ラグタイムショー(ジャニアリー)
Happy World!(エル)
サブちゃん一家の、だからアニメはやめられない!?(音泉、~第77回(2006年3月31日配信))
ギャラクシーエンジェる~ん(現在はピャパプピーペンピェぷ~んに番組名変更)(ランティスネットラジオ ランティスウェブラジオ:2006年4月~)
花總まり(はなふさ まり、東京都出身、2月28日)は元宝塚歌劇団の雪組、宙組 (宝塚歌劇) 宙組トップ娘役。愛称は「ハナ」、「フサ」、「まり」。
身長163センチ。血液型O型。
国立音楽大学附属幼稚園、日本女子大学附属豊明小学校、日本女子大学附属中学校、日本女子大学附属高等学校を経て、
1991年、77期生として宝塚歌劇団に入団。『ベルサイユのばら (宝塚歌劇) ベルサイユのばら』で初舞台。同期には花組主演男役の春野寿美礼、雪組主演男役の朝海ひかる、次期星組主演男役の安蘭けい、OGに成瀬こうきらがいる。
小学生からバレエ、ヴァイオリンを習い、芸事に通じていた母や友人の影響で宝塚は「気づいたら知っていた」という。中学3年の時に初観劇し、高校入学直後、「舞台にだんだん興味が湧いてきて、宝塚だったらいろいろと学べそう」と高校1年の時、音楽学校を受験し合格。
英太郎(えいたろう、本名:和田 英太郎、1976年3月20日 - )は熊本県を拠点に活動するものまねタレント、ローカルタレント。熊本市出身、血液型O型。熊本に本拠を置く芸能事務所「ジェッツカンパニー」に所属。
主に熊本のテレビやラジオ、イベントで活躍している。レパートリーは地元芸人の大御所であるばってん荒川をはじめ、有名歌手(美空ひばり、和田アキ子など)、大御所俳優(中尾彬、田中邦衛など)、さらに忍者ハットリくん しし丸などのアニメキャラクターや、病院の待合室で待っている老婆といった市井の人々の真似など多岐に渡る。
2003年1月1日に放送されたKBCラジオ『PAO~N 元旦だよ、PAO~N復活祭』のレポーターを務めた事をきっかけに近年は福岡県 福岡にも進出。現在は熊本・福岡両県でレギュラー番組8本を抱えていて、これ以外にも、結婚式の司会やCMナレーションなど、活動の幅を広げている。
英一蝶(はなぶさいっちょう、承応元年(1652年) - 享保9年(1724年)は、江戸時代の絵師。本名は「多賀信香」(もしくは藤原信香)か。幼名は猪三郎、次右衛門、助之丞。多賀朝湖、号暁雲、藤原信香、牛麻呂など別名多数。(一蝶の号を使用するのは、実は晩年になってからだが、以下の記事中では混乱を避ける目的から、彼に対する名称を一蝶で統一する)
父親は多賀伯庵。伯庵は伊勢国亀山藩お抱えの国許の医師であったが、一蝶が15歳の頃、家族で江戸へ転居する。理由は不明。
一蝶は江戸へ出た直後から、絵画技法を狩野派(狩野安信)に学ぶが、2年で破門されたといわれる。 それから多賀朝湖(たがちょうこ)という名で"狩野派風の町絵師"として活躍する一方、暁雲(ぎょううん)の号で俳諧に親しみ、著名な俳人宝井其角と交友を深め、さらには其角の師匠である松尾芭蕉とも親交を持つようになる(芭蕉は伊勢の隣国、伊賀国の人) 。 書道は玄竜門下に学ぶ。
花菱 アチャコ(はなびし あちゃこ、1897年7月10日-1974年7月25日)は、大正昭和期の漫才師で俳優。本名藤木徳郎。福井県出身。
1913年に山田九州男(山田五十鈴の父)の一座に入り、千日前敷島倶楽部で初舞台を踏む。1914年、神戸の「鬼笑会」一座に入り、漫才に転向し、花菱アチャコを名乗る。
1925年、吉本興業に入社し、千歳屋今男とコンビを組む。1930年、当時吉本興業で総支配人の座にあった林正之助の勧めに従い、横山エンタツとコンビを組む。当時人気のあった東京六大学野球連盟 東京六大学野球をネタにした『早慶戦』などの「しゃべくり漫才」で人気を博す。1934年、中耳炎にかかり、エンタツとのコンビを解消する。その後舞台では千歳屋今男とのコンビを復活させたが、映画では引き続きエンタツ・アチャコのコンビを継続した。一方で「アチャコ劇団」を旗揚げし、全国を巡業する。
花登 筺(はなと こばこ、本名・花登善之助、 1928年3月12日 - 1983年10月3日)は、滋賀県大津市出身の作家、脚本家。同志社大学商学部卒業。大阪の綿糸問屋勤務の後、1954年よりラジオの台本作家、ミュージックホールの構成・演出を手がける。1958年旧大阪テレビ(のちに朝日放送と毎日放送に分かれる)放送の『やりくりアパート』で脚本家としてデビュー。また、俳優の大和田獏に「獏」という芸名を与えた名付け親でもある。
主な作品に『番頭はんと丁稚どん』、『細うで繁盛記』、『どてらい男』、『あかんたれ』、『ぬかるみの女』、『アパッチ野球軍』、『ぼてじゃこ物語』がある。
花田 勝(はなだ まさる、1971年1月20日 - )は、実業家、タレント、スポーツキャスター、元大相撲力士で、第66代横綱である。東京都中野区出身。力士時代の四股名は若乃花 勝(わかのはな -)。父は元大関貴ノ花健士(本名花田満)、弟は元横綱貴乃花光司の年寄#一代年寄 一代年寄貴乃花。
体には恵まれなかったが足技など多彩な技を持ち、技能派の名人力士として知られた。人当たりのよい性格で話もうまく、力士時代からお兄ちゃんの愛称で親しまれた。日本相撲協会 相撲協会退職後はタレントとして活動。またちゃんこ鍋店の経営を行うなど実業家としての活動にも乗りだした。伯父の若乃花幹士 (初代) 初代・若乃花同様、足が陸上選手のように筋肉が盛り上っていた。
花田 真人(はなだ まさと、1977年10月25日 - )は、東京ヤクルトスワローズに在籍するプロ野球選手(投手)。
身長・体重:180cm・80kg
投打:右/右
出身地:福岡県
血液型:O型
経歴:柳川高等学校 - 中央大学 - ヤクルト(ドラフト会議 ドラフト5位)
背番号:24
97試合登板 4勝2敗0セーブ 防御率4.18
日本の野球選手 はなた まさと
東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の選手 はなた まさと
1977年生 はなた まさと