萩本 光威(はぎもと みつたけ、1959年2月10日 - )は、元ラグビー日本代表監督。和歌山県出身。
小学校4年からラグビーを始める。兵庫県・報徳学園高校~同志社大学。大学4年時に全国大学ラグビーフットボール選手権大会 大学選手権優勝。ポジションはSH。1982年神戸製鋼所 神戸製鋼に入社。神戸製鋼コベルコスティーラーズ 同社ラグビー部に所属し、7年連続日本一に貢献した。1987年第1回ラグビー・ワールドカップ ラグビーW杯日本代表。1998年同部ヘッドコーチに就任。2004年より2005年まで日本代表監督。
その後、U-19日本代表監督を経て、現在はエヌ・ティ・ティ・ドコモ関西 NTTドコモ関西監督。
萩本 欽一(はぎもと きんいち、1941年5月7日 - )は、コメディアンである。また、日本野球連盟 (社会人野球) 日本野球連盟茨城ゴールデンゴールズ監督、司会者、舞台演出家としても活躍している。東京都台東区出身。身長162cm、体重65kg。駒込高等学校卒業。血液型A型。浅井企画所属。愛称は「欽ちゃん」。また、彼の番組や舞台から育ったいわゆる欽ちゃんファミリーには「大将」と呼ばせている。香取慎吾から「ハギー」と呼ばれたこともある。
1970年代、1980年代に、「なんでそーなるの!」というギャグや、「欽ちゃん走り」と言われる独特の走り方など体を使った笑い、さらに素人および素人っぽさを残す才能を開花させるなど活躍した。因みに、天然ボケという言葉は彼がジミー大西をそう呼んだ事から生まれた。どっちらけ、バンザーイなしよ等今も語り継がれるギャグも多い。現在ごく普通に使われる「ウケる」(ややウケ、バカウケ等)という言葉も、最初は「欽ドン! 欽ちゃんのドンといってみよう!!」から広まったと言われている(芸人言葉を一般にも広めた)。
萩野 崇(はぎの たかし、1973年5月27日 - )は東京都出身の俳優である。長良プロダクション所属。182cm、B型。
1991年に俳優デビュー。1996年に「超光戦士シャンゼリオン」の涼村暁役でブレイク。その後もドラマ、映画で活躍し、2002年に「仮面ライダー龍騎」で仮面ライダー王蛇・浅倉威役で再び特撮番組に出演。
2005年 「一生の?お願い」ホスト・航役
2004年 「天使に逢えば…」主演
2002年 「仮面ライダー龍騎 EPISODE FINAL」田崎竜太監督
2000年 「女侠・夜叉の舞い」関本郁夫監督
「新宿やくざ狂犬伝」和泉聖治監督
日本極道史「龍神三兄弟」津島勝・横井健司監督
「CAB」村橋明郎監督
「キッズ・リターン」北野武監督
萩尾 望都(はぎお もと、女性、1949年5月12日 - )は日本の漫画家。ペンネームのようだが本名。福岡県大牟田市生まれ。埼玉県飯能市在住。牡牛座。血液型はO型。
現在の少女漫画の方向性を確立したと言われる「24年組」を代表する少女漫画家。出発点で「漫画の神様」手塚治虫のダイナミックなストーリー性と、当時の最も新しい少女漫画であった矢代まさこの「ようこシリーズ」のこまやかな日常描写・清新なエロティシズム・作風の幅広さ、そして前衛漫画家岡田史子のシュールさに多大な影響を受けた。以後、めきめきと頭角を現わし、サイエンス・フィクション SFからラブコメディ、サイコ・サスペンスまで手がける幅広い作風、明瞭なストーリー性と詩的感性に起因する独特の世界観を提供。多くの面で少女漫画に革命的な影響を与え、少女漫画界の手塚治虫とも言われる。また、巧みな構成力で漫画表現の枠組みを広げ、漫画を文学にしたのは萩尾望都だと評する向きもある。同人誌即売会の草分け「コミックマーケット」の母体となった漫画批評集団「迷宮 (同人サークル) 迷宮」は萩尾望都ファンクラブ色が強く、コミックマーケット開催にも大きな影響を与えたといえる。
萩尾 瞳(はぎお ひとみ)は、映画・演劇評論家。福岡県生まれ。同志社大学文学部(英文)卒業。
ミュージカルに連れてって!
ブロードウェイ・ミュージカル
レ・ミゼラブルの100人
映画評論家 はきおひとみ
現在、早稲田大学第二文学部で教鞭をとっている。
講義は常に満席で、彼女のファンの女生徒多数。
7月11日をもって2006年度の講義も無事終了。
最後の授業で取り上げた作品は『RENT』。「No Day But Today」―彼女から学生たちへのメッセージでもあるのだろう。
割れんばかりの拍手と賞賛の声のなか、今年も彼女の人気授業は幕を下ろした。
羽川 豊(はがわ ゆたか, 1957年12月8日 - )は、栃木県出身のプロゴルファーである。日本では数少ないレフティ(左打ち)のゴルファーである。
専修大学在学中に全日本大学学生リーグで優勝し、主将としてチームを率いた。1980年にプロテスト合格。翌81年には日本最高峰・日本のトップ大会である日本オープンゴルフ選手権競技 日本オープンで優勝。日本シリーズ (ゴルフ) 日本シリーズも制し、同年代である湯原信光や倉本昌弘と共に「ニューウェーブ三羽烏」と称された。翌1982年には前年の日本での活躍から、マスターズゴルフトーナメント マスターズに招待される。ここでも15位と健闘し、アメリカの選手や関係者から「現役では最高のレフティだ」と絶賛された。日本では「世界のレフティ」と呼ばれた。
袴田 吉彦(はかまだ よしひこ、1973年7月16日 - )は、日本の俳優。静岡県浜松市出身。
1991年、第4回「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」でグランプリを受賞し、翌年の映画『二十才の微熱』で主役に抜擢されデビュー。ちなみにこのコンテストの際、ゲスト審査員だった武田真治は「あまりしゃべらない」のを理由に、彼を外そうとしたとのこと。
最近は本業の俳優の傍ら声優もやっている。2002年7月20日公開のジブリ映画『猫の恩返し』でバロンを演じていた。CMではCGキャラクターアニメーションとの合成共演もやったりしている。
歌が上手くなく、以前バラエティ番組『人気者で行こう!』の企画でCDを発売する際、途中で怒って現場から帰ろうとしたほどであった。その後、練習をつんで最初よりは上手になっていった。
袴田 英利(はかまだ ひでとし、1955年8月13日 - )は、静岡県静岡市出身。昭和後期から平成期(1970年代後半~1980年代)のプロ野球選手(捕手)。現千葉ロッテマリーンズ1軍コーチ。
1973年ドラフト3位でロッテオリオンズに指名されるも入団せず。1978年法政大学より、ドラフト1位でロッテオリオンズに入団。法政大学では江川卓 (野球) 江川卓とバッテリーを組んでいた。7年目の1984年に127試合に出場、レギュラーポジションを獲得。以後、派手さはないが、堅実なリードとファイト溢れるプレーで、チームの中心選手として活躍した。
1990年、村田兆治のラスト登板で久々の1軍先発捕手として出場、引退した。その村田の最終登板時は村田からの「俺のキャッチャーはお前以外にいないんだ。だから俺と共に去るんだ」というご指名を受けた。オールスター出場2回。引退後はバッテリーコーチに就任した。なお、ロッテオリオンズで規定打席に到達した捕手は1985年の袴田で最後となる。(マリーンズに変更後は2006年に里崎智也が規定打席に初めて到達した)
袴田 茂樹(はかまだ しげき、1944年3月17日-)は、青山学院大学国際政治経済学部教授。専門は、ロシア社会論。
広島県福山市生まれ。東京大学文学部卒業。東京大学大学院およびモスクワ大学大学院修了。芦屋大学教授を経て、1988年から現職。
伯父は日本共産党幹部の袴田里見。異母妹のイリーナ・ハカマダは、現在ロシア下院議員。
ロシア問題の権威であり、外務省のプレインとして対露政策決定にも影響力をもつ。しかし、佐藤優 (外交官) 佐藤優の著書の中で、保身のため佐藤や鈴木宗男議員に不利となる虚偽の供述をしたとして批判されている。
1987年、『深層の社会主義』でサントリー学芸賞を受賞。
博多華丸・大吉(はかたはなまる・だいきち)は吉本興業に所属する日本の漫才コンビ。1990年5月にコンビ結成。博多弁漫才を全国展開し活躍している。
2人は福岡大学在学中に落語研究会に所属し、そこで知り合いコンビを結成する。吉本興業福岡事務所の一期生のオーディションに合格し鶴屋華丸・亀屋大吉(つるやはなまる・かめやだいきち)としてデビューする。後に2人とも大学を中退する。福岡ではトップクラスの人気があり、全国デビューする前の1995年に『めちゃ2モテたいッ!」』(『めちゃ2イケてるッ!』の前身番組)で福岡の人気芸人として紹介され、福岡に来たナインティナインらとの共演も果たしている。また、本格的な全国デビュー前も「爆笑オンエアバトル」に出演しており、他地域でもお笑いファンには一定の知名度があった。
葉加瀬 太郎(はかせ たろう, 1968年1月23日 - )は、大阪府吹田市生まれのヴァイオリニスト、ミュージシャン。エイベックス所属。東京芸術大学の面々で結成された『クライズラー&カンパニー』の中心人物として音楽界に登場。妻は女優の高田万由子。
クラシック音楽 クラシックやポップスといったジャンルの垣根を越えて、壮大で心地よい音楽で人気を博すが、1996年に解散。
その後、作曲家・ヴァイオリニストとして高く評価され、アート・リンゼイ・プロデュースにより『watashi』(1997年)でソロデビューを果たす。1996年10月からのセリーヌ・ディオンのワールドツアーに参加し注目を浴びる。
芳賀 徹(はが とおる、1931年 - )は、日本の比較文学者。国際日本文化研究センター・東京大学各名誉教授、京都造形芸術大学学長、岡崎市美術博物館館長。山形県出身。
東京大学教養学部教養学科フランス分科第一期生、また大学院比較文学比較文化専修課程第一期生。
東京大学教授、国際日本文化研究センター教授、大正大学教授を経て現職。新しい歴史教科書をつくる会の理事を務める。
1997年に紫綬褒章を受賞。著書多数。
『大使の使節』
『明治維新と日本人』
『みだれ髪の系譜』
『渡辺崋山』
『平賀源内』(サントリー学芸賞)
『絵画の領分』(大佛次郎賞)
『興謝蕪村の小さな世界』