野矢茂樹(のやしげき、1954年 - )は哲学者。東京都出身。1985年東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。北海道大学文学部助教授を経て現在東京大学大学院総合文化研究科助教授。専攻は分析哲学。ウィトゲンシュタインを思考基盤とする哲学研究の日本での第一人者といえる。ほかには、ウィラード・ヴァン・オーマン・クワイン クワイン、ドナルド・デイヴィドソン デイヴィッドソンなどを研究対象とする。また哲学入門書の執筆も多い。
『論理学』(東京大学出版会)
『心と他者』(勁草書房)
『論理トレーニング』(産業図書)
『論理トレーニング101題』(産業図書)
『哲学・航海日誌』(春秋社)
野元賢一(のもと けんいち、1964年- )は東京都出身の日本経済新聞の競馬記者、競馬評論家。
競馬界に対する辛口の論評はファンが多い。ハルウララの休養を巡って馬主サイドと厩舎サイドが対立した際には、地方競馬における公然のタブーである「名義貸し」の問題にも踏み込んだ評論を展開した。
千葉県立布佐高等学校卒業
東京大学法学部卒業後、1987年4月に毎日新聞社入社。同社長野支局勤務を経て、本社運動部に転属しスポーツ記者となる。
1996年日本経済新聞社に移籍。当初は株式面担当であったが、30歳ごろより競馬専属記者として現在に至る。
競馬よ!―夢とロマンを取り戻せ―
野村玲子(のむらりょうこ、1961年8月21日 - )は、日本のミュージカル女優。北海道旭川市出身。劇団四季所属。
高校卒業後、地元の銀行に勤務したが、幼い頃からの夢だったミュージカル女優を志し1981年上京、劇団四季の研究所に入る。
1983年劇団員に昇格後は、『ジーザス・クライスト=スーパースター』のマリア、『コーラスライン』のディアナなど次々と大役を射止め、同劇団の看板女優に成長。
1991年初演の『ミュージカル李香蘭』ではタイトルロールを務め、翌年の中国公演でも各地で熱烈な歓迎を受けた。
華やかなスター性と堅実な演技力を併せ持ち、同劇団のみならず、日本を代表するミュージカル女優として内外で高く評価されている。
野村 芳太郎(のむら よしたろう、1919年4月23日 - 2005年4月8日)は、日本の映画監督。京都府出身。
父は日本の映画監督の草分け的存在で、松竹蒲田撮影所の所長も務めた野村芳亭(ほうてい)。慶應義塾大学文学部卒業後の1941年、松竹大船撮影所に入社。第二次世界大戦後の1946年に復員後、黒澤明の助監督を務め、1952年に『鳩』で監督デビューした。
時代劇、メロドラマなど多様な娯楽作品を撮るが、野村芳太郎の名を広めたのは、松本清張の小説を映画化した『張込み』(1958年)。
1974年に製作した『砂の器』で、モスクワ国際映画祭の審査員特別賞を受賞、1978年には松本清張と共に製作プロダクション『霧プロ』を設立したが、1984年に解散した。
野村 義男(のむら よしお、1964年10月26日 - )は、日本のギタリスト、元アイドル、タレント。東京都出身。愛称はヨッちゃん。後輩からは「ヨッちゃんさん」と呼ばれることがある。
ギタリストとしてはCharを師匠に持つ。明治大学付属中野中学校・高等学校 明治大学付属中野高校夜間部卒業。同級生には野々村真、近藤真彦。個人事務所のコンポジラ所属。
姉の影響で小学校5年でフォークギターを始める。1979年に東京放送 TBS『3年B組金八先生』に出演。田原俊彦、近藤真彦らとともに『たのきんトリオ』として活躍する。
1983年に『The Good-Bye』を結成。TBSテレビ『ザ・ベストテン』では、今週のスポットライトに出演。20位以内にランキングしていた。近藤真彦から「これが最初で最後の出演」と言われ、その後、一度もランキングされなかった。日本テレビ『ザ・トップテン』ではYOU惑MAY惑が10位にランクインされる。ラジオ番組等でもランキングされていた。デビューした年の各音楽賞レースでは最優秀新人賞を受賞している。この頃からギターが大好きで、どこへ行くにも、トーク番組出演時もギターを持っていた。
野村 祐人(のむら ゆうじん、1972年5月2日 - )は、東京都杉並区出身の俳優。
竹内力が所属しているリキプロジェクト所属。
父は、バンドゴダイゴをプロデュースしたジョニー野村。母は、作詞家・演出家の奈良橋陽子。妻はシェイプUPガールズのメンバーでタレントの今井恵理。
1987年にNHKのドラマ「絆」で主演デビュー。以後、ドラマ、映画舞台に活躍。マイルドな顔立ちで穏やかな顔立ちをしているが、阪神タイガースの金本知憲の様な強靭な体格と反町隆史の様なワイルドな風貌から、幅広い役柄を演じられると評判だ。英会話が得意で、西田ひかるとは、アメリカンハイスクール時代の同級生である。
野村佑香(のむら ゆうか、1984年3月20日 - )は神奈川県出身の俳優 女優、モデル (職業) モデル。カレーラ所属。身長159cm。血液型O型。
3歳から子役モデルとして活躍。10代前半に出演したテレビドラマ「木曜の怪談」シリーズ(フジテレビジョン フジテレビ)の主役や少女向けファッション雑誌「ニコラ」(新潮社)の人気モデルとして同世代の少女達から絶大な支持を受け大ブレイク、ジュニアアイドル(通称「チャイドル」)ブームの火付け役となった。又、10代前半の少女の間で、彼女を真似たファッションスタイル(通称「ノムラー」)が流行した。
ちなみに、前所属事務所はスペースクラフトであった。
野村万之介(のむらまんのすけ、1939年5月2日 - )は狂言師。六世野村万蔵の五男。本名;野村悟郎。中央大学文学部中退。
兄は狂言方野村萬(七世野村万蔵)、二世野村万作、シテ方野村四郎。甥に故・五世野村万之丞(八世野村万蔵)、九世野村万蔵、二世野村萬斎、野村万禄、(いずれも狂言方)。野村昌司(シテ方)。
「万作の会」の重要メンバーとして国内外で活躍。兄・万作や甥・萬斎には知名度の点では劣るものの、万作一門を支える重要な屋台骨の一人。型にとらわれない、鷹揚で自由奔放な芸風で、固定ファンも多い。
また、万作の後を受け、昭和43年頃から現在まで、東京大学・早稲田大学の狂言サークルを指導している。
野村万作(のむらまんさく)
野村万作(狂言師)
野村万作(政治家)
野村万作(二世)(狂言師、1931年 -)は東京生まれ。本名:二朗 東京都立小石川高等学校、早稲田大学卒業。
「万作の会」主宰。「釣狐」を計26回も演じて磨き上げたことでも知られる。昭和40年代には、ネスカフェの「違いの分かる男」のCMでお茶の間に認知された。
重要無形文化財総合指定者。故六世野村万蔵の次男であり、3歳で初舞台を踏む。1950年万作を襲名。戦後の伝統芸能不遇の時代から狂言の普及に努め、広く支持を集めている。芸術祭大賞、日本芸術院賞、紀伊國屋演劇賞、紫綬褒章、坪内逍遥大賞など受賞多数。
野村萬斎(のむら まんさい)は、狂言和泉流野村万蔵家の名跡で、当代は二世。
初世野村萬斎(1862年(文久2)7月21日 -1938年(昭和13)1月14日 )は加賀藩の狂言役者であった野村万蔵家の五世。前名万造。
1883年(明治16)に東京へ移住。1922年(大正11)、家督を長男万作(野村万蔵 (6世) 六世万蔵)に譲り、隠居名・萬斎を名乗る。次男万介は師家を継いで、九世三宅藤九郎となる。
二世野村萬斎(1966年4月5日 - )は東京都生まれ。狂言師野村万作 二世野村万作、詩人阪本若葉子の長男。本名は野村武司。筑波大学附属高等学校、東京藝術大学音楽学部邦楽科能楽専攻卒。長男は野村裕基。
野村万蔵#七世野村万蔵(四世野村万之丞 隠居名:初世野村萬) 初世野村萬(本名:太良)と野村万作 二世野村万作(本名:二朗)の兄弟は、野村万蔵#六世野村万蔵(万造 万作) 六世万蔵の息子だが、六世の死後、名跡を分配することになり、兄・萬が万蔵を襲名し、弟・万作は五世万造(六世万蔵の父)の隠居名・萬斎を相続することになった。しかし、万作は「万作」という名に愛着を持っていた為に「萬斎」を自分では名乗らず、この名前を名乗ることを希望した長男に譲ったものである。
REDIRECT野村万蔵
転送野村万蔵
野村 真理(のむら まり、1953年5月30日 - )は歴史学者。専門は社会思想史、西洋史。金沢大学教授。『ウィーンのユダヤ人』で2003年日本学士院賞受賞(金沢大教員としては岡本肇(元医学部教授)の受賞以来46年ぶり)。
山口県生まれ。1976年埼玉大学理工学部数学科卒業、1983年一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位取得。1994年博士(社会学)。
1983年一橋大学社会学部助手、1989年金沢大学経済学部経済学科経済史学助教授、1996年同教授。
『西欧とユダヤのはざま――近代ドイツ・ユダヤ人問題』(南窓社, 1992年)
『ウィーンのユダヤ人――19世紀末からホロコースト前夜まで』(御茶の水書房, 1999年)
野村真美(のむら まみ、1964年10月19日 - )は、神奈川県横浜市出身の日本の女優。血液型はO型。身長165cm。体重47kg。バスト82cm。ウエスト58cm。ヒップ86cm。靴のサイズは23.5cm。趣味は旅、ヨガ、登山。特技はモダンバレエ、ベリーダンス、水泳。所属事務所は東宝芸能。
横浜学院女子高等学校在学中、ホリプロタレントスカウトキャラバンで関東地区代表となる。その後、1985年にデビュー。TBSのドラマ「渡る世間は鬼ばかり」の四女・葉子役として知られる。
大奥十八景(1986年)
吉原炎上(1987年)
花園の迷宮(1988年)
岸和田少年隊~カオルちゃん最強伝説(2001年)
ママたちが戦争を始めた!!(1985年、日本テレビ)