名幸 一明(なこう かずあき、1968年10月19日 - )は沖縄県出身のプロ野球審判員。審判員袖番号は10。
興南高等学校 興南高校時代のポジションは捕手で、デニー友利(現中日ドラゴンズ)とバッテリーを組んでいた。高校卒業後、大洋ホエールズ(現・横浜ベイスターズ)にドラフト会議 ドラフト外で入団。しかし、一軍の試合に出場することは無く、1995年に現役引退。引退後はチームに残りブルペン捕手を務めた。
その後、ハリーウェンデルステッド審判学校を経て1998年にセントラル・リーグ審判部入局(東京勤務)。審判員袖番号はそれまで元審判部長の富澤宏哉が着けていた10番を引き継いだ。(※ セントラル・リーグでは1988年に採用された際は新採用の審判には専用の袖番号を与えていたが初採用時の審判が引退もしくは退職した結果空番が増えてしまったためこの年から新採用審判には空番を与える事にしている。名幸審判はその初年度の採用審判である。)
名倉潤(なぐら じゅん、1968年11月4日 - )は、お笑いタレント お笑いトリオネプチューン (コントグループ) ネプチューンのリーダーで、ツッコミ担当。兵庫県姫路市出身。ワタナベエンターテインメント所属。血液型AB型。愛称は「潤ちゃん」「リーダー」等。
妻はタレントの渡辺満里奈。
高校卒業後、俳優になる為に上京するが、後にお笑いに転向。そこで、「ジュンカッツ」というコンビを組んでいた。駆け出しの頃はバラエティ番組の他、「関口宏の東京フレンドパークII 東京フレンドパーク」では前説を務める等していたが、その後相方が引退し、ピン芸人となる。後輩のフローレンス(原田泰造、堀内健)の2人がボケ同士だった為、オチが付かないままグダグダになることが多く、先輩の名倉がコンビ時代にツッコミだったことから「ツッコミをやってほしい」と持ちかけ、「ネプチューン」としてトリオとなり再始動した。
なぎら 健壱(なぎら けんいち、1952年4月16日 - )は、日本のフォークシンガー、俳優、タレント。 東京都中央区 (東京都) 中央区出身。 本名・柳楽健一(読みは芸名と同じ)。旧芸名・なぎらけんいち。
弟子は、中里トシ、田代ともや、プロフェッサー佐藤。
長男は、HIPHOPユニットの「REM」のボーカル、eito.08(柳良詠人=なぎら・えいと=)。
2006年10月にリニューアルされる月刊アスキーの編集長に就任する予定(もちろんアスキーのジョーク)。
幼少期に葛飾区に転居、葛飾区立末広小学校卒業、葛飾区立金町中学校卒業、東京都立本所工業高等学校 東京都立本所工業高校卒業。
五つの赤い風船の西岡たかしや、加川良にあこがれ、フォークソングを唄い始め、1970年中津川フォークジャンボリーにアマチュアとして飛び入り参加(ひがしのひとし、友川かずきも同じく参加している)。
渚 あき(なぎさ あき)は、俳優 女優。元宝塚歌劇団星組 (宝塚歌劇) 星組娘役トップスター。本名村田明子(むらた・あきこ)、愛称あきこ、あきちゃん。兵庫県神戸市出身。1月28日生まれ。
1988年 - 74期生として宝塚歌劇団に入団。同年『キス・ミー・ケイト』で初舞台。雪組 (宝塚歌劇) 雪組に配属。
1992年 - 『この恋は雲の涯まで』で新人公演初ヒロイン。
1993年 - 『セ・ラムール』でバウホール公演初ヒロイン。
同年 - 花組 (宝塚歌劇) 花組へ組替え。
2001年 - 星組 (宝塚歌劇) 星組へ組替えとなって娘役トップスターに就任、香寿たつきの相手役をつとめる。
2003年 - 『ガラスの風景/バビロン―浮遊する摩天楼―』東京公演千秋楽をもって、香寿と同時退団。
東京都立国立高等学校、秋田大学医学部卒業、佐久総合病院勤務。デビュー作は、第53回文学界新人賞を取った『破水』。1988年『ダイヤモンドダスト』で記念すべき第100回芥川龍之介賞 芥川賞受賞。代表作は「ダイヤモンドダスト」「医学生」「阿弥陀堂だより」等、生と死をテーマにした作品が多い。
芥川賞受賞者 なきけいし
日本の小説家 なきけいし
1951年生 なきけいし
流 政之(ながれ まさゆき、1923年 - )は、世界的に活躍する彫刻家。"Samurai Artist"の異名をもつ。
1923年 1923(大正12)年長崎県に生まれ、1942年立命館大学法文学部へ進学。その後中退し、海軍予備学生出身の零式艦上戦闘機 零戦搭乗員として終戦を迎える。その後、世界各地を放浪、独学で彫刻を学び現在に至る。1975年 1975(昭和50)年には、ニューヨーク世界貿易センターのシンボルとして約250トンの巨大彫刻『雲の砦』をつくり国際的評価を得る。また、作品『受』はニューヨーク近代美術館の永久保存作品(パーマネントコレクション)として収蔵されており、彼の国際的評価の高さを裏付けている。
半井 小絵 (なからい さえ、1972年12月26日 - )はNHKニュース7への出演で知られる日本の気象予報士である。
兵庫県伊丹市出身。日本銀行大阪支店在職中の2001年3月に気象予報士の資格を取得。同年、財団法人日本気象協会に就職、2002年4月より、日本放送協会 NHKで関東甲信越ローカルの気象情報 (NHK) 気象情報(21時58分-22時)を担当する(2002年9月にはNHKニュース10に臨時出演したこともある)。2004年3月には藤井南美の後任としてNHKニュース7(月-金)の気象情報担当に起用され、「7時28分の恋人」(朝日新聞・2004年10月26日)として高い人気を集めている。現在は日本気象協会を退職、有限会社気象環境サービスを経て、2006年4月より株式会社ウイングに在籍。気象予報士の地位向上を目指すNPO法人、「気象キャスターネットワーク」の正会員でもある。
長與善郎(ながよ よしろう 1888年8月6日 - 1961年10月29日)は日本の作家、劇作家、評論家。人道主義的な作風で知られた。
医学者長與專齋の五男として東京に生まれる。長與家は、漢方医として代々九州大村藩に仕えた家系である。
1900年、東京麻布の南山小学校から学習院に転校。1901年、志賀直哉や武者小路実篤たちと同人誌『白樺』に参加。
1911年、東京帝国大学文学部英文科入学、1912年に退学。
関東大震災で『白樺』が廃刊になった後は『不二』を主宰する。
作品に『盲目の川』『項羽と劉邦』『青銅の基督』『竹澤先生と云ふ人』など。
1948年、芸術院会員。1960年、自伝小説『わが心の遍歴』で読売文学賞を受賞。
長与 千種(ながよ ちぐさ、1964年12月8日 - )は、日本の元女子プロレスラー。長崎県大村市出身。身長166cm、体重71kg(現役時代のデータ)。
全日本女子プロレスに入団後の1980年8月8日、東京都の田園コロシアムで行われた大森ゆかり戦でデビューした。
デビュー後、先輩レスラーとの軋轢や、自身のファイトスタイルが受け入れられない事に失望し、引退するつもりでいた矢先、どうせ辞めるのならやりたい事をやって辞めようと考え、当時同じように悩んでいたライオネス飛鳥と意気投合し、1984年8月に飛鳥とクラッシュギャルズを結成し、それまでの女子プロレスに対して、男子プロレスのエッセンスを取り入れたファイトスタイルで、女子プロレスの新たな世界を作り出し、注目される。
中山 庸子(なかやま ようこ、1953年 - )は、日本のイラストレーター、随筆家 エッセイスト。群馬県出身。
女子美術大学を卒業後、セツ・モードセミナーに入る。
「夢ノートのつくりかた」「なりたい自分になる100の方法」などの著作で若い女性から支持を受けている。夫はイラストレーターの松本孝志。
1985年、じゃこめてい出版から、「カントリーの風をあなたに」を出版
2001年、おしゃれで魅力的な女性になるちょっとした方法」を出版
酒豪で知られる。三度の飯より日本酒が好き
1953年生 なかやま ようこ
日本のイラストレーター なかやま ようこ
日本の随筆家 なかやま ようこ
長山 洋子(ながやま ようこ、1968年1月13日 - )は、歌手である。
元々アイドル歌手として1984年にデビューしたが、1993年から演歌に転向した。また三味線の澤田の名取でもある。
長山洋子は東京都大田区の生まれである。父親の影響で幼いころから民謡に親しんでいた。1984年演歌歌手としてデビューすることになっていたが、当時16歳の長山にはまだ早すぎるとの理由で「春はSA-RA SA-RA」でアイドル歌手としてデビューした。1986年にはショッキング・ブルーの「ヴィーナス」を日本語にしたカバーがヒット。(というよりは、バナナラマのカバーと言った方が近い)その後女優としての経験も積み、1993年には「蜩」で演歌歌手として再デビューした。1995年には「でもねポーズ」で有名の「捨てられて」がある。現在は演歌歌手として活動している。そして演歌歌手として活動を開始し10年が経った2003年暮れに放送された、「ザ・ベストテン2003」でアイドル時代にヒットした「ヴィーナス」を熱唱、わずかの時間だがアイドル時代の歌を解禁した。堀越学園 堀越高等学校卒業。