夏樹 静子(なつき しずこ、1938年12月21日-)は、日本の推理作家。東京都生れ。本名・出光静子(いでみつ しずこ)。慶応義塾大学英文学科卒。
大学在学中に『すれ違った死』が江戸川乱歩賞候補。NHK「私だけが知っている」の脚本を務める。結婚後引退したが、1970年、『天使が消えていく』が再び江戸川乱歩賞候補。1973年、『蒸発』で第26回日本推理作家協会賞。『第三の女』は仏訳され、第53回フランス犯罪小説大賞。中国語訳『Wの悲劇』は中国・翻訳作品賞を受賞。
作品に、テレビドラマ化されている「女検事 霞夕子」シリーズなど。
天使が消えていく
赤い陽炎
霧の向こう側
死なれては困る
夏川 りみ(なつかわ りみ、1973年10月9日 - )は沖縄県石垣市出身の歌手で、本名は兼久 りみ(かねく りみ)。旧芸名は星美里。
幼少期から父親に連れられて各地の喉自慢大会に出場して多数の賞をもらう生活だった。そのためねたみから地元でいじめにあうことが多く、早く石垣島を出たかった。堀越高等学校に入学し、演歌歌手になるが、人気は出ず、帰郷し、姉の飲食店を手伝ったりラジオのアシスタントをして、再デビューした。
『涙そうそう』で一躍有名となり、それ以降、「童神~ヤマトグチ~」、「ココロツタエ」、「愛よ愛よ」などのヒットを放つ。堀越高等学校 堀越高校卒業で、SMAPの稲垣吾郎とは高校の同級生(修学旅行で一緒の班だった)。
夏川 結衣(なつかわ ゆい、本名:宮川 美紀(みやがわ みき)1968年6月1日 - )は、日本の俳優 女優。熊本県八代市出身。コムスコーポレーション所属。血液型はA型。1991年のユニチカ水着キャンペーンガール 水着キャンペーンモデル。
空がこんなに青いわけがない(1993年)
夜がまた来る(1994年)初主演作
蔵(1995年)
罠(1996年)
GONIN2(1996年)
私たちが好きだったこと(1997年)原作:宮本輝。企画:岸谷五朗。監督:松岡錠司。持病持ちの柴田愛子役を熱演。
死国(1999年)
アカシアの道(2001年)
ディスタンス(2001年)
陰陽師(2001年)
座頭市(2003年)
壬生義士伝(2003年)
油断大敵(2003年)
夏生 ゆうな(なつお ゆうな、1975年8月25日 - )は、日本の女優。
宮城県出身。乙女座、血液型A型。本名:伊藤みどり。デビュー当時は伊藤 亜寿香(いとう あすか)という名でグラビアアイドルとして活動していた。1996年、『男たちのかいた絵』で豊川悦司の恋人役でスクリーンデビューする。代表作は『ありがとう』など。
<映画>
『男たちのかいた絵』 (伊藤秀裕)
『ありがとう』 (小田切正明)
『Wild Life』 (青山真治)
『TOKYO BEAST』 (小田切正明)
『恋 極道』 (望月六郎)
『乙女の祈り』 (林海象)
『紅色の夢』 (中田昌宏)
『OTUYU~怪談牡丹燈篭~』 (津島勝)
『借王 沖縄大作戦』 (和泉聖治)
夏石番矢(なついし ばんや、1955年7月3日 - )は、兵庫県生まれの俳人。本名:乾昌幸。ただし俳句研究家だった乾裕幸(故人)とは無関係。妻はやはり俳人の鎌倉佐弓。1991年、現代俳句協会賞受賞。しかし既成の俳壇とは距離を置き、それ以外の受賞はない。1998年から俳誌『吟遊』を主催。世界俳句を目指し、海外の俳人との交遊や、翻訳俳句の活動にも力を入れている。
東京大学教養学部フランス科、大学院比較文学比較文化修士課程修了後、明治大学法学部のフランス語教師となり、現在教授。俳人として早くから活躍し、数多くの句集、俳論がある。
また、講義の時には伊右衛門(サントリー)を常備し、咽喉を潤す。
夏井いつき(なつい いつき、1957年(昭和32年)5月13日 - )は愛媛県松山市在住の俳人・随筆家 エッセイストである。
愛媛県南宇和郡内海村(現・南宇和郡愛南町)出身。大学卒業後、郷里で中学校の国語教師として教鞭を執る。
黒田杏子を師とし、俳句を本格的に手がけるようになり、1988年(昭和63年)に教職を辞して、俳人となる。感じたままを表現するという自由な句作をモットーとしつつも、季語と五七五の定型を守る「有季定型」に則った句作も大切にしている。
行動的で、1997年(平成9年)俳句集団「いつき組」を組織。「組長」として、全国の小中学高校生を対象としたカリキュラムの一環としての俳句教室(「句会ライブ」という)をおこなっている。また、吟行会、故郷・内海(愛媛県愛南町)でのイベント『トレッキング・ザ・空海』や松山市での俳句甲子園への参画など、活動を精力的に行っている。愛媛新聞に「集まれ俳句キッズ」というコーナーを持っている。
灘本 昌久(なだもと まさひさ 1956年4月6日-)は、教育学者、翻訳家。京都産業大学文化学部教授。京都部落問題研究資料センター所長(2000年から2004年まで)。京都大学文学部歴史学 史学科卒業、大阪教育大学大学院教育学研究科修了。教育学修士(大阪教育大学)。
高校在学中は新左翼運動に傾倒し、大学在学中は上田正昭の部落史ゼミに参加、部落史を卒業論文のテーマに選ぶ。卒業後は、京都部落史研究所の研究員として、「京都の部落史」編纂事業に携わった。
人権教育・部落問題 同和教育を専門とし、『ちびくろサンボ』の絶版に際しては、『「ちびくろサンボ」絶版を考える』(径書房、1990年)、『ちびくろサンボよ すこやかによみがえれ』(径書房、1999年)などによって、反対の立場を代表し、同書の新訳も著した(ヘレン・バナーマン 文・絵/灘本昌久訳『ちびくろさんぼのおはなし』径書房、1999年)。
名高 達男(なだか たつお、本名:名高 達夫、1951年2月9日 - )は、京都府出身。昭和後期から平成期(1970年代後半-)の俳優、画家。血液型はA型。
金沢工業大学機械工学科卒業後、名高 達朗の芸名でファッションモデルとして活動。1978年東京放送 TBS「東芝日曜劇場」の一篇「婚約時代」で俳優に転向した。1980年から芸名を名高 達郎とし、同年に始まった朝日放送 ABC「ザ・ハングマン」シリーズの主役で人気を決定付けた。スポーツマンらしい恵まれた体格を持つ渋くダンディーな俳優で、1994年に美輪明宏の勧めにより名高 達男に改名した。親交の深い俳優山城新伍が司会を担当したフジテレビジョン フジテレビ「アイ・アイゲーム」に解答者としてレギュラー出演していた。
那須野 巧(なすの たくみ、1982年10月4日 - )はプロ野球横浜ベイスターズに所属する投手、背番号は13。
同僚の桑原義行は日大の同期。
192cmの長身から繰り出す角度のある直球は威力十分だが、制球難から自滅するケースも多い。
長身で細身のため、俳優の速水もこみちに似ている。そのためチーム内のニックネームは「もこ」であることを、TBSアッコにおまかせで明かしている。
2004年 - 世界大学野球選手権・日米大学野球選手権大会 日米大学野球両日本代表に選ばれる
::春季東都大学野球連盟 東都リーグでMVP、最優秀投手、ベストナインを受賞
::第53回全日本大学野球選手権大会で準優勝、敢闘賞を受賞
那須 正幹(なすまさもと、1942年6月6日- )は、児童文学作家。広島県広島市己斐(こい)(現・西区 (広島市) 西区己斐)生まれ。現在は山口県防府市に在住。
1945年8月、広島市の自宅で被爆。広島市立基町高等学校を卒業し、虫が好きだったので島根農科大学(現:島根大学)で林学を専攻。大学卒業後、上京して自動車のセールスマンになったが、まもなく会社の配置転換のやり方に腹を立てて退社。広島市の実家に戻ってから家業の書道塾を手伝っていたが、姉に誘われて広島児童文学研究会に参加。1972年、『首なし地ぞうの宝』で学研児童文学賞を受賞しデビュー。その後、1975年に『屋根裏の遠い旅』という反戦を題材にした児童文学作品を執筆したのを皮切りに多数の児童文学作品を生み出した。
那須 博之(なす ひろゆき、1952年1月27日 - 2005年2月27日)は、東京都出身の日本の映画監督。
東京都立西高等学校、東京大学経済学部卒業後、日活に助監督として入社。1982年に『ワイセツ家族 母と娘』で監督デビュー。
肝臓がんのため53歳で死亡。
妻は脚本家の那須真知子。
ワイセツ家族 母と娘(1982年)
セーラー服・百合族2(1983年)
セーラー服 百合族(1983年)
姉日記(1984年)
ルージュ(1984年)
ヴァージンなんか怖くない(1984年)
美少女プロレス 失神10秒前(1984年)
タブーX倒錯(1985年)
ビー・バップ・ハイスクール(1985年)
紳士同盟(1986年)
ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌(1986年)
名前=那須大亮
本名=
愛称=
カタカナ表記=ナス ダイスケ
アルファベット表記=NASU Daisuke
原語名=
原語表記=
誕生日=1981年10月10日
出身地=鹿児島県枕崎市
身長=180cm
体重=75kg
血液型=O型
所属チーム名=横浜F・マリノス
ポジション=ディフェンダー (サッカー) DF、ミッドフィールダー DH
背番号=4
realname=名城 信男
nickname=
weight=ボクシング#階級 スーパーフライ級
birth_date=1981年10月12日
birth_place=奈良県, 奈良市
total=8
losses=0
draws =0
no contests =0
名城 信男(なしろ のぶお、1981年10月12日 - )は奈良県奈良市出身のプロボクサーで世界ボクシング協会 WBA世界スーパーフライ級王者。奈良工業高校出身。六島ボクシングジム所属。
小学生時代に、沖縄県本部町出身の父・建伸さんに連れられて、同じ沖縄県出身の国際ボクシング連盟 IBFバンタム級王者新垣諭の試合を観戦し、ボクサーにあこがれる。その後は、世界ボクシング評議会 WBCバンタム級王者の辰吉丈一郎に熱中した。
ボクシングに必要な基礎体力をつけるため、奈良市立春日中学では陸上部に入部。奈良県立奈良工業高等学校に入学して念願のボクシングを始め、ロサンゼルス五輪代表の高見公明に師事する。
梨元 勝(なしもと まさる、1944年12月1日 - )は、芸能リポーターであり、株式会社オフィス梨元の社長でもある。この他にタレントや函館大学客員教授もこなす。東京都中野区出身だが、埼玉県与野市(現・さいたま市)で育つ。
1968年3月法政大学社会学部卒業。その後、講談社に入社し「ヤングレディ」の取材記者を務める。
1975年(昭和50年)1月27日 - 福田玲子さんと結婚。
1976年(昭和51年)3月 - 「ヤングレディ」の取材記者を辞めて芸能リポーターに転身。テレビ朝日「アフタヌーンショー」を始め、数多くのテレビ番組で活躍。
1980年7月 - 株式会社オフィス梨元を設立する。
2000年4月 - 芸能リポーターとしては初めての客員教授として、北海道の函館大学に就任。
梨田 昌孝(なしだ まさたか、1953年8月4日 - )は、プロ野球選手(捕手)・プロ野球監督・野球評論家。2000年から2004年まで大阪近鉄バファローズの監督を務めた。2004年に55年の歴史に幕を閉じた近鉄最後の監督で、選手・監督両方で近鉄の優勝を果たした唯一の人物である。2006年6月1日付けで大阪産業大学の客員教授に就任。島根県浜田市出身。血液型はA。
現役時代は、打席でクネクネと体を動かすフォームが『コンニャク打法』と称され人気があった。また強肩でも有名で、1970年代から1980年代のパシフィック・リーグ パ・リーグを代表する捕手の一人であったが、チームのエース鈴木啓示とはバッテリーを組むことが少なかった。
梨木 香歩(なしき かほ、1959年 - )は、児童文学や絵本の分野でも活躍する女性作家。イギリスに留学し、児童文学者のベティ・モーガン・ボーエンに師事する。
『西の魔女が死んだ』で日本児童文学者協会新人賞、新美南吉児童文学賞、小学館文学賞、『裏庭』で児童文学ファンタジー大賞を受賞する。『家守綺譚』では本屋大賞3位入賞。『沼地のある森を抜けて』で第5回(2005年度)センス・オブ・ジェンダー賞大賞を受賞。
西の魔女が死んだ(初版:楡出版→新装版:小学館)
丹生都比売(原生林)
エンジェルエンジェルエンジェル(原生林)
裏庭(理論社)
からくりからくさ(新潮社)