長山靖生(ながやま やすお 1962 - )は、歯科医師、文芸評論家。日立市生まれ。鶴見大学歯学部卒業。歯学博士。元鶴見大学講師。開業医の傍ら、執筆活動を行う。1996年、『偽史冒険世界 カルト本の百年』で大衆文学研究賞・研究・考証部門受賞。
『コレクターシップ 「集める」ことの叡智と冒険』ISBN 4796603077(JICC出版局、1992.4)→文庫化にあたって改題『おたくの本懐 「集める」ことの叡智と冒険』ISBN 4480420479(ちくま文庫、2005.1)
『近代日本の紋章学』ISBN 478729069X(青弓社、1992.10)
『相互誤解! ジャパン・バッシングの起源と深層』ISBN 4796604839(JICC出版局、1992.11)
『近代日本の殺人ファイル』ISBN 4877193324(光栄、1996.3)(会津信吾と共著)
中山 美保(なかやま みほ、本名:石田美保子(いしだ みほこ)、2月23日-)は吉本興業所属の日本のお笑いタレントである。徳島県徳島市出身。
プール学院高等学校卒(同窓には女優の八千草薫がいる)。幼年期は、父親の仕事の都合でインドネシア共和国(ジャワ島)に育ったため、日本語がほとんど喋れなかったという。ちなみにこのとき現地人からは「ノニー」の愛称で呼ばれていた(「ジャイケルマクソン」2006年5月11日放送分での本人談による)。
1967年(新喜劇の主力である吉田ヒロ、安尾信乃助、川畑泰史、高橋靖子の生年に当たる)、梅田コマ劇場「宮城まり子自叙伝」で吉本新喜劇にデビュー。20代~30代の頃は新喜劇のヒロインとして、藤井信子、山田スミ子に続くマドンナとして活躍、井上竜夫、末成由美らと共に、長年に渡り吉本新喜劇を支えた。1989年「新喜劇やめよッカナ?キャンペーン」で看板役者が次々と抜けてゆく中、桑原和男、池乃めだからと共に新喜劇に残留。現在でも新喜劇の舞台に立ち続けている。
中山美穂(なかやま みほ、本名:辻美穂、1970年3月1日 - )は、日本の俳優 女優、歌手である。東京都小金井市出身。身長158cm。体重45kg。血液型O型。愛称は「ミポリン」。
作詞をする時は北山 瑞穂(きたやま みずほ)と一咲というペンネームを使用していた時期もあった。
夫は音楽家 ミュージシャン・小説家の辻仁成。妹は女優の中山忍。
小金井市立緑中学校卒業後、東京都立北園高等学校定時制中退。中学1年生の時に原宿でスカウトされ、コマーシャル CMや雑誌のモデル (職業) モデルを始める。
1985年1月、テレビドラマ『毎度おさわがせします』(東京放送 TBS)でドラマデビュー。開始時は脇役であったが、ドラマの人気とともに一躍注目が集まる。
中山正敏(なかやままさとし)
空手家。
圭三プロダクション所属のリポーター。→中山正敏 (リポーター)
ここでは、1.について記述する。
中山 正敏(なかやま まさとし、1913年(大正2年) - 1987年(昭和62年))は、昭和の著名な空手家である。
中山正敏は、大正2年(1913年)、山口県に生まれた。昭和7年(1932年)拓殖大学に入学、昭和12年(1937年)には北京大東学舎留学生として中国へ渡った。終戦後の昭和21年(1946年)帰国。1948年(昭和23年)に日本空手協会を任意団体として設立した。昭和33年(1958年)には、日本空手協会の首席師範に就任した。昭和62年、74歳で死去した。
『総合編 ベスト空手』ベースボール・マガジン社 ISBN 4583027303
中山 正暉(なかやま まさあき、1932年6月14日 - )は日本の政治家、自由民主党所属の元衆議院議員。大阪府出身。
父は元参議院議員で弁護士の中山福蔵、母は元衆議院議員で初の女性閣僚(厚生大臣)となった中山マサで、兄も衆議院議員の中山太郎。1955年に中央大学法学部を卒業し、母マサが厚生大臣時代に秘書官を務めたのをきっかけに、政界入り。大阪市議会議員を経て、1969年に母の地盤を受け継いで衆議院議員に初当選。以来、連続11期当選を果たし、国会議員生活は30年以上に及んだ。
竹下登内閣で郵政大臣として初入閣し、自社連立の村山富市改造内閣では問題発言で引責辞任した江藤隆美の後任として総務庁 総務庁長官、小渕恵三内閣では建設大臣・国土庁 国土庁長官として入閣、第1次森喜朗内閣でも留任した。
中山 裕章(なかやま ひろあき、 1967年11月4日 - )は、プロ野球選手(投手)。高知県高知市出身。
高知商では1983年と1985年の2回甲子園に出場。1985年のドラフト会議 ドラフト1位で横浜大洋ホエールズ(現・横浜ベイスターズ)に入団。入団1年目から1軍で活躍する。
1988年にはリリーフエースを務め、リーグ最多の70試合に登板し、10勝24セーブを挙げるとともに規定投球回に到達する活躍をみせた。1990年と1991年に開幕投手となったが、1991年に幼児 女児に対する強制わいせつ事件を起こし逮捕される。
被害者とは示談が成立したが、結局これが原因で解雇された。その後運送業、中日ドラゴンズ 中日の打撃投手などを経て1994年途中、現役復帰。1995年以降は主にリリーフ投手として登板。オールスターにも出場した。2001年に退団し、台湾の中信ホエールズに入団。先発投手として活躍した。
中山秀征(なかやま ひでゆき、1967年7月31日 - )は日本のタレント。群馬県藤岡市出身。ワタナベエンターテインメント所属。愛称「ヒデちゃん」。芸能人や視聴者にはフルネームで呼ばれず、中山ヒデと呼ばれることが多い。同じ生年月日の有名人には声優の岩田光央や、歌手の故:本田美奈子.がいる。身長172.2㎝。血液型はB。
松野大介(現小説家)と「ABブラザーズ」を結成し、1985年にフジテレビジョン フジテレビ系「ライオンのいただきます」でデビュー。
芸能人の本当の意味での「素」を引き出すトーク術には定評がある。また最近ではラジオ・深夜番組で見せるエロトークで男子中高生のファン層を広げている。
中山典之(なかやま のりゆき、1932年9月3日 - )は、囲碁のプロ棋士 (囲碁) 棋士。長野県出身。日本棋院所属。
鈴木五良八段に入門。昭和37年入段。平成4年六段に昇進。
アマチュア出身であり、入段が遅かった。タイトル戦などには縁がなかったが、文章に長け、『実録囲碁講談』『囲碁の世界』など囲碁に関する多数のエッセイを書いた。棋書のライターや編者としての仕事も多い。アマチュアへの指導に高い評価がある。またほぼ毎年海外に出て、普及に努めている。普及の功労により、平成8年度普及功労賞、平成16年大倉喜七郎賞受賞。
若い頃は名記録係といわれた。
日本棋院では、中山典之氏による「囲碁いろは歌」(いろは48文字を使った歌で、囲碁を読み込んだ歌)の扇子が販売されている。
永山 則夫(ながやま のりお、1949年6月27日 - 1997年8月1日)は、1968年から1969年にかけて連続ピストル射殺事件(警察庁広域重要指定108号事件)を引き起こした元死刑囚であり、1969年の逮捕から1997年の死刑執行までの間、獄中で創作活動を続けた小説家である。1983年、小説「木橋」で第19回新日本文学賞を受賞。
1949年、北海道網走市呼人番外地に、8人兄弟の7番目の子(四男)として生まれる。博打に明け暮れる父親の放蕩生活によって家庭は崩壊状態であった。1954年(則夫5歳の時)に、母親が則夫を含む4人兄弟を家に残し、青森県の実家に逃げ帰ってしまう。残された則夫を含む4人兄弟は極貧生活に耐え、なんとか生計を立てられるようになったが、1955年、4人を見かねた近隣住民による福祉事務所への通報をきっかけに、青森県の母親の元に引き取られた。
中山信弘(なかやま のぶひろ、1945年5月8日 - )は、東京大学大学院法学政治学研究科教授(知的財産法)。 静岡県浜松市出身。日本における知的財産法学の第一人者と評される。
著書「注解特許法」は、上級者向けの基本書として知られている。その他著書、共著多数。
以上のような経緯から、知的財産法をあまり理解していない人々の中では「知的財産制度改革そのものに反対する保守派」と誤解されがちだが、改革を推進する立場から、この分野を熟知する専門家として改革案の問題点に警鐘を鳴らし、よりよい改革にしていこうとするのが、基本的なスタンスである。
2006年3月、クリエイティブ・コモンズ・ジャパン代表に就任。
中山 成彬(なかやま なりあき、1943年6月7日 - )は、宮崎県出身の日本の政治家。宮崎県1区選出の衆議院議員。国務大臣。学歴は東京大学法学部卒業。学位は学士 法学士(東京大学)。
東京大学法学部卒業し、大蔵省に入省。大蔵省大臣官房企画官などを経て、1982年に退官。政治家の道に入る。自由民主党 (日本) 自由民主党所属。内閣官房参与を務めた中山恭子は大蔵省時代の同期であり、妻。
2003年8月、私設秘書の給与(1996年12月から1998年2月までの計300万円)が大阪市の電子機器メーカーにより肩代わりされていたことが発覚した。
第2次小泉改造内閣にて文部科学大臣となり様々な教育改革を提案している。
中山 太郎(なかやま たろう)
民俗学者(1876-1947年)。著書に『日本若者史』『売笑三千年史』など。
政治家(1924年-)。
衆議院議員 中山太郎
生年月日1924年8月27日
出身地大阪府堺市
最終学歴旧制大阪高等医学専門学校(現大阪医科大学)
学位医学博士(大阪医科大学)
前職大阪医科大学小児科教室助手
役職衆議院憲法調査特別委員会委員長
元外務大臣(海部内閣)
世襲の有無父・元参議院議員 中山福蔵
母・元衆議院議員 中山マサ
選挙区衆議院小選挙区一覧#大阪府 大阪18区
当選回数6回(衆議院)3回(参議院)
中山 竹通(なかやま たけゆき、1959年12月20日 - )は長野県北安曇郡池田町 (長野県) 池田町出身の陸上長距離選手。身長180センチ、体重58キロ(現役当時)。
1980年代後半に瀬古利彦や宗茂、宗猛兄弟、新宅雅也らと、1990年代前半には谷口浩美、森下広一らと日本マラソン界をリードした。2時間10分を切るサブテン5回は瀬古、高岡寿成と並び最多タイ、2時間9分を切るレース4回は最多を誇る。
地元の長野県池田工業高等学校 県立池田工業高等学校を卒業後、日本国有鉄道 国鉄、富士通長野などに勤務しながら競技生活をつづけ、1983年に創設メンバーとしてダイエー陸上部 へ。
1984年の福岡国際マラソンで2時間10分00秒で初優勝。
永山 たかし(ながやま たかし、本名:永山 毅、1978年11月16日 - )は日本の俳優。(株)芸映所属。
神奈川県出身。血液型はA型。身長170cm。
趣味は、服のリメイク・スポーツ・野球・水泳・甘い物を食べる。特技は、空手初段・書道四段。
ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト出場がデビューのきっかけとなった。
自分で手がけたオリジナルファッションブランド「blossam」を持っている。
チェンジ!(1998年、テレビ朝日) デビュー作品
月下の棋士(2000年、テレビ朝日)
花村大介(2000年、フジテレビジョン フジテレビ)
新・お水の花道(2001年、フジテレビ)
ホットマン(2003年、東京放送 TBS)
中山 大三郎(なかやま だいざぶろう、1941年2月15日 - 2005年4月7日)は、日本の作曲家、作詞家。宮崎県北諸県郡高崎町(現・都城市)出身。1995年に結婚した三佐子夫人は、アナウンサー小川宏の次女。
宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校卒業。法政大学在学中、作曲家の星野哲郎に師事、作曲家としての活動を始める。日本クラウン クラウンレコードの専属作曲家を経て、尾形大作の『無錫(むしゃく)旅情』、島倉千代子の『人生いろいろ』、天童よしみの『珍島(ちんど)物語』などの大ヒット曲を作詞、作曲した。
テレビのワイドショーのコメンテーターとしても活躍する一方で、1989年から日本作詞家協会の常務理事を務めていたが、1999年に悪性腫瘍 癌であることを公表した。
中山素平(なかやま そへい、1906年(明治39年)3月5日 -2005年(平成17年)11月19日 )は、日本の実業家。日本興業銀行(現:みずほフィナンシャルグループ)頭取、同会長、経済同友会代表幹事を歴任。「財界の鞍馬天狗」の異名を持つ一方、部下からも「そっぺいさん」と慕われた。
1906年(明治39年)東京生まれ。小学校4年生のときに父を喪う。麻布中学校を卒業。
1929年(昭和4年)東京商科大学本科(現一橋大学)を卒業。卒業論文は「景気変動理論における金融中心説の一考察」。
1929年(昭和4年)日本興業銀行に入行する。
1945年(昭和20年)終戦直後、興銀は、特殊銀行としてGHQ(連合国軍総司令部)の指令により廃止の危機にあったが、中山は調査部長・復興金融部長として、GHQと興銀の存廃をかけて交渉する。その結果、ついに存続を認めさせることに成功した。この経験から、ねばり強い交渉力と強い意志に基づく経営理念を身につけた。