津本 陽(つもと よう、男性、1929年3月23日 - )は日本の小説家。
本名・寅吉(とらよし)。和歌山県和歌山市生まれ。旧制和歌山一中(現和歌山県立桐蔭高等学校)を経て、東北大学法学部卒。
同人誌VIKINGで活動し、掲載作『丘の家』が第56回直木賞候補。1978年、故郷和歌山を舞台にした『深重の海』で第79回直木賞を受賞。
『明治撃剣会』を始めとする剣豪小説で人気を得る。以後は歴史小説を書き、武功夜話から着想を得て織田信長を主人公とし、日本経済新聞朝刊に連載した『下天は夢か』は単行本出版後にベストセラーとなった。
近年は幕末を主題にした作品を多く執筆している。また、その歴史観に基づく随筆も多く発表している。
津村 まこと(つむら まこと、1965年7月22日 - )は日本の女性声優。マウスプロモーション所属。北海道出身。
2005年4月3日よりフジテレビジョン フジテレビ系列での放送中の人気アニメ『サザエさん』の3代目磯野ワカメ役を務めている。「かみちゅ!」の一橋章吉役など少年役も多くこなしているせいか、よく男性の「子役」と間違われたことも。顔つきも実年齢より若く見えるので20代と思われることもある。
鉄腕アトム アストロボーイ・鉄腕アトム(アトム)
IDATEN翔(坂巻駆)
いぬかみっ!(留吉)
onちゃん夢パワー大冒険(ケンタ)
学校の怪談 (テレビアニメ) 学校の怪談(柿ノ木レオ)
かみちゅ!(一橋章吉)
津村 節子(つむら せつこ、1928年(昭和3年)6月5日 - )は、福井県生まれの女性小説家。学習院短期大学部文学科卒業。本名吉村節子、旧姓北原。夫は小説家の吉村昭。
学習院時代から少女小説ジャンルで連載開始。当時のティーンの間で人気を博した。1953年、学習院で文芸部仲間だった吉村と結婚した後は純文学路線を進み、1965年「玩具」で芥川賞受賞。女流文学者で同賞の受賞は当時珍しく話題となり「玩具」はベストセラーとなる。
1990年女流文学賞、1998年芸術選奨文部大臣賞、1999年福井新聞文化賞、2003年日本芸術院賞受賞。日本文芸家協会理事、日本近代文学館評議員、日本芸術院会員。2005年「津村節子自選作品集」(岩波書店)全六巻を発刊した。
津村 重光(つむら しげみつ、1947年11月16日 - )は、日本の政治家。1994年より宮崎市長(4期目)。宮崎県出身。
ラ・サール中学校・高等学校 ラ・サール高等学校、京都大学法学部卒業。1971年旭化成に入社。1975年宮崎県議会議員(民社党)に初当選。1990年辞職し宮崎市長選に出馬するが落選、1994年に再度宮崎市長選に挑み初当選した。、2006年に4期目の市長選に当選。
『津村重光の本 ある団塊世代半世紀の軌跡』 (鉱脈社、2002年)
都道府県知事・市町村長 つむらしけみつ
宮崎県の政治家 つむらしけみつ
1947年生 つむらしけみつ
紡木 たく(つむぎ たく、1964年(昭和39年)8月2日 - )は漫画家。神奈川県横浜市出身。1982年『待ち人』(「別冊マーガレット (雑誌) マーガレット」3月号)でデビュー。
細く柔らかい線で描かれた小さい目のキャラクター像はそれまでの少女漫画のイメージを覆す新鮮なものであり、キャラクターの内面に寄り添って等身大の少年少女の姿を描く内容が共感を呼んだ。
1980年代半ば、「マーガレット」誌上にて絶大な人気を博す。代表作『ホットロード』は公称売上700万部。思春期の少年少女の苛立ちを鋭く捉えたマンガは中高生の絶大な支持を受けたが、1990年代に入り作風は地味に、物語も暗くなって行き、発表される作品も少なくなっていった。1995年を最後に、新作の発表をすることはなくなっている。
つまみ枝豆(つまみ・えだまめ、1958年6月1日 - )は日本のお笑い芸人、俳優。本名、青木 隆彦(あおき たかひこ)。身長170センチメートル cm。血液型はA型。たけし軍団では珍しい左利き。
静岡県出身。オフィス北野所属。ビートたけしの弟子によって構成された「たけし軍団」の一員。主にビートたけしの出演番組や監督作品への出演などで知られる。近年では怪談の語り手としても活動している。また、A級ライセンスを取得している。
妻はフリーアナウンサーの江口ともみ。1996年に結婚。(枝豆は再婚)
地元の先輩で幼馴染だったガダルカナル・タカとお笑いコンビ「カージナルス (お笑い) カージナルス」を結成(この時の芸名は『ポポ』)。のちたけし軍団に参加。芸名を決める会議で枝豆をつまんでばかりいたのでこの芸名が名付けられる。軍団入りした事でコンビは解散。たけし軍団では殿(ビートたけし)の運転手を長く務めた。たけしはしばしば自分で車を運転後放置し、弟子に取りに行かせた。ガダルカナル・タカにいかせるときはお金を出したが、枝豆のときは何もなし。枝豆は最高で福岡まで取りにいったことがある。最近は怪談話に力を入れている。また、2005年より劇団まめや別館を主宰。
妻夫木 聡(つまぶき さとし、1980年12月13日 - )は、福岡県山門郡三橋町(現:柳川市)出身で神奈川県横浜市戸塚区育ちのホリプロに所属する日本の俳優である。本名同じ、血液型はO型。神奈川県立舞岡高等学校卒業。
1998年にドラマ「すばらしい日々」でデビューし、2000年に出演した「池袋ウエストゲートパーク」(東京放送 TBS)でブレーク、2001年には「ウォーターボーイズ」(東宝)で映画初主演を果す。以後数々のドラマ・映画の主演で脚光を浴びた。代表作に、『池袋ウエストゲートパーク』(東京放送 TBS)、『ブラックジャックによろしく』(東京放送 TBS)、『ウォーターボーイズ』(東宝)、『ローレライ』(東宝)などがある。
妻木 頼黄(つまきよりなか、 安政6年1月20日 (旧暦) 1月20日(1859年2月22日) - 1916年(大正5年)10月10日)は日本の建築家。大蔵省などで数多くの官庁建築を手がけ、明治時代の官庁営繕組織を確立した。国会議事堂の建設にも執念を燃やしたが挫折。
1859年、幕臣の妻木家に生まれる。1876年、家屋敷を売却し渡米するが、日本で学ぶよう諭され帰国。1878年、工部大学校造家学科(のちの東大建築学科)に入学、ジョサイア・コンドルに学ぶ。辰野金吾の後輩に当たる。1882年、中途退学し、アメリカ留学。コーネル大学で学士号を取得する。1885年帰国。
帰国後は東京府に勤務。1886年、議院(国会議事堂)建設のための組織である(内閣)臨時建築局に勤める。議院の研究のため同僚、職人らとともにドイツに留学する。1888年、帰国。
坪倉 優介(つぼくら ゆうすけ、1970年-)は染色 染色家、作家。大阪府大阪市出身。
大阪芸術大学工芸学科染織コース卒業。大学一年時、交通事故でそれまでの記憶を全て失ってしまうが、その日からの記憶と共に新たな人生を歩むことを決意する。二年の留年後、染色家の奥田祐斎に弟子入りし、現在は工房夢祐斎(京都市)で草木染色家として活動。
ぼくらはみんな生きている 18歳ですべての記憶を失くした青年の手記(テレビ朝日系列でドラマ化されている。)
美術家 つほくらゆうすけ
日本の小説家 つほくらゆうすけ
坪内祐三(つぼうち ゆうぞう、1958年(昭和33年)5月8日 - )は日本の文芸評論家。
東京都出身。早稲田中・高等学校、早稲田大学第一文学部卒業。同大学院修士課程修了。福田恆存から深い影響を受け、大学の卒業論文も福田に関するものであった。
月刊誌「東京人」の編集者を経て文芸評論家に。
主な著書は『ストリートワイズ』『古くさいぞ私は』『靖国』『「別れる理由」が気になって』など。
『慶応三年生まれ七人の旋毛曲り』で講談社エッセイ賞受賞。
2003年に福田和也、柳美里、リリー・フランキーとの共同編集で、文芸誌『en-taxi』を創刊した。
文芸評論家 つほうち ゆうそう
日本の評論家 つほうち ゆうそう