田久保 忠衛(たくぼ ただえ、1933年-)は、外交評論家、杏林大学客員教授。「新しい歴史教科書をつくる会」顧問。
千葉県生まれ。早稲田大学法学部卒業後、時事通信社に入社。ハンブルク特派員、ワシントンD.C. ワシントン支局長、論説委員を経て、1984年から杏林大学社会科学部(現・総合政策学部)で教鞭をとり、92年から学部長を務め2003年より同大学客員教授。1993年に博士号取得(法学、慶應義塾大学)。
日本の親米保守派を代表する人物の一人であるが、そのスタンスは左右の反米勢力(真正保守・左翼勢力)から批判されることがある。水戸藩の家系であるらしい。
『カーター外交の本音――「道義」戦略と日本の対応』(日本工業新聞社, 1977年)
田窪 一世(たくぼ いっせい、1955年7月22日 - )は広島県因島市(現尾道市)出身の日本の男性俳優である。
ドラマでも名バイプレーヤーぶりをみせる。
劇団『座・キューピーマジック』を主宰。すばらしい芝居を常に見せてくれると評判である。
居酒屋ゆうれい
サクセス辰平
コキーユ ~貝殻~
ショムニ
ランチの女王
ウェディングプランナー
アフリカの夜
危険な関係 (木曜劇場) 危険な関係
カバチタレ!
西遊記
きらきらひかる
スローダンス
田口禎則(たぐち・よしのり 1965年9月14日- 埼玉県浦和市=現・さいたま市出身)サッカー選手、浦和市議会、埼玉県議会議員。
浦和南高等学校(現・さいたま市立浦和南高等学校)→筑波大学を経て1989年、全日本空輸入社。同社運営のサッカークラブ全日空横浜クラブ 全日空横浜サッカークラブ(→横浜フリューゲルス)で4年間プレー(通算139試合・8点)したのち、1993年サンフレッチェ広島、1994年から浦和レッドダイヤモンズに移籍。レッズではレギュラーとして活躍し90試合出場・6点を挙げた。(サンフレッチェ時代は6試合出場で得点なし)
その後1999年に現役選手を引退し当時の浦和市議会議員に初当選。2003年には埼玉県議会議員に当選を果たした。また本業のサッカーでは2001年から浦和レッドダイヤモンズ・レディース さいたまレイナスFC(現・レッズ・レディース)で女子サッカーの監督に就任。チームを上位に君臨させ、2004年度の日本女子サッカーリーグ L1リーグ初優勝に導くが、翌年浦和レッドダイヤモンズ・レディースへの組織変更に伴って勇退。
北朝鮮による日本人拉致問題(きたちょうせんによるにほんじんらちもんだい)は、1977年から1983年にかけて、多数の日本人が朝鮮民主主義人民共和国の工作員などにより極秘裏に拉致、誘拐、監禁されたとされる問題。
日本政府が認定した拉致被害者は16人(男性8人、女性8人)で、このうち13人(男性6人、女性7人)について北朝鮮政府側も拉致を公式に認めた。
平成17年4月27日、政府認定拉致被害者に兵庫県神戸市、元飲食店員拉致事案が追加された。
北朝鮮の国家成立当初から、北朝鮮は武力行使を辞さぬ形で朝鮮半島を統一することを標榜してきた。この点においては韓国も同じ態度のまま(李承晩の北進統一論)であったが北朝鮮が韓国に侵攻し朝鮮戦争に突入した。だが北朝鮮側の事前の予期に反して国連軍が韓国防衛の為尽力し、中国軍の侵略支援を招き国土の荒廃と、南北分立の固定化という惨憺たる結果に終わった。
田口 光久(たぐち みつひさ 1955年2月14日 O型)は秋田県出身の元サッカー選手。身長178cm、体重98kg。
秋田市立秋田商業高等学校卒業後、1973年に三菱重工業サッカー部 三菱重工サッカー部(現:浦和レッズ)に入部。1976年には全日本ユース代表、全日本サッカーチーム主将として活躍。
現在はJリーグ解説者や国際学院高等学校サッカー部総監督として活躍。
元々丸い選手だったが、最近さらに丸くなり、松村邦洋に似てきた。
1973年3月 - 秋田市立秋田商業高等学校卒業。
1973年4月 - 三菱重工サッカー部入部。
1976年5月 - サッカー日本代表入り。
1982年8月 - サッカー日本代表主将(1984年まで)。
田口 浩正(たぐち ひろまさ、1967年10月8日 - )は、日本の俳優。本名は同じ。福岡県出身。血液型はO型。東福岡高等学校卒業。ホリプロ所属。身長180cm。趣味は社交ダンス。
1986年劇団東京乾電池第1期研究生となる。1989年小浦一優とお笑いコンビ「テンション」としてバラエティ番組などで活動した後、1992年俳優専業となる。人のいい太っちょ役が定番。
周防正行監督作品、三谷幸喜脚本作品への出演が多い。
1998年には『MIND GAME』で監督に初挑戦した。
2002年、9年間の交際を実らせ結婚、一児の父でもある。
『世にも奇妙な物語「あの世への伝言サービス」』(1991年、フジテレビジョン フジテレビ系)
田口 信教(たぐち のぶたか、1951年6月18日 - )は愛媛県周桑郡壬生川町(現西条市壬生川町)出身の元競泳選手。現役時代の種目は平泳ぎ。ミュンヘンオリンピック金メダリスト。現在、鹿屋体育大学教授、付属図書館長、学長補佐。
油彩 洋画の中の外国の暮らしに憧れて、強くなれば海外に行ける、そう思い水泳を始めた田口は、優秀な指導者を求め、12歳で瀬戸内海の対岸、広島県三原市に転居。研究熱心な徳田一臣の指導と、優秀なライバルとの切磋琢磨で未曽有の才能が開花。田口が加入した三原三中は1964年、創部僅か5年で全国優勝。恵まれた環境で田口は泳ぐたび中学新記録を出した。
田口 トモロヲ(たぐち ともろを、本名 田口智朗(たぐち ともお)、1957年11月30日 - )は日本の俳優、ナレーター、元エロ劇画家。元パンクバンドばちかぶりのボーカリスト。東京都武蔵野市出身。
大学を中退後、エロ漫画家、ライター、イラストレーターなどで生計を立てていた。1978年劇団「発見の会」入団。1982年「俗物図鑑」(筒井康隆原作)で映画デビュー。
現在でも「初期エロ劇画家時代の彼にも眼を見張るものがあった」という専門家の意見は多い。が、彼本人は「初期の作品ほど技術がないのが自分でもわかってしまって、飽きてやめた。」と言っている。
1994年に炭鉱夫の息子でハリウッド俳優のチャールズ・ブロンソンの男気に憧れるあまり、漫画家のみうらじゅんとユニット「ブロンソンズ」を結成。
田口 壮(たぐち そう、1969年7月2日 - )はセントルイス・カージナルス所属のプロ野球選手・エッセイストである。ポジションは内野手、外野手。兵庫県西宮市出身。妻は、元東京放送 TBSアナウンサーの香川恵美子。
プロデビュー戦は1992年の開幕戦の千葉ロッテ戦で、新人で開幕戦からショートでスタメンであったが、1回裏の守備機会からゴロを裁いたが1塁手への送球が暴投になってしまう(記録は1塁手がジャンプで好捕したのでアウト)。
田口のデビュー当時の土井正三監督の厳しい指導からスローイングノイローゼ(イップス)、ストレスから難聴に陥り、守備では失策 エラーを続けた。しかし、イチローが「強肩病」と絶賛するほどの強肩を生かして1994年に外野手に転向。補殺王、ゴールデングラブ賞等の常連になるほど、好守の外野手として、レギュラーに定着する。
田口 計(たぐち・けい、1933年1月10日 - )は、長野県佐久市 南佐久郡臼田町出身の俳優、声優。
本名は岩田克彦。少年時代にラジオで田村秋子の文学座講演を聞いて以来、役者に興味を持つ。野沢北高等学校をへて、東京大学文学部英文学科卒。本人によると、東大の入試では苦手な数学で高得点を取れたこともあり、トップに近い成績で入学できたが、在学中は反戦運動と芝居に没頭しすぎたため、卒業時は殆どビリに近い成績だったと回想している。
1955年、山本薩夫監督の「愛すればこそ」(独立プロ)でデビューし、「キングコングの逆襲」(東宝)、「俺の空」(東宝=東京ムービー新社)、「人間の証明」・「野性の証明」(ともに角川春樹事務所)、「極道の妻たち」、「新・第三の極道 腐敗官僚VS裏盃の軍団」など多数の映画に出演。また、杉良太郎明治座公演「遠山の金さん」はじめ舞台出演をてがけ、TV時代劇では「暴れん坊将軍」「水戸黄門」「大岡越前」など、1クールで必ず悪役として登場する。
瀧本 誠(たきもと まこと, 1974年12月8日 - )は、茨城県坂東市(旧岩井市)出身の日本の男性柔道家、格闘家。世田谷学園高等学校、日本大学卒業。吉田道場所属。柔道四段。
2000年シドニーオリンピック 五輪柔道81kg級金メダリストである。当時の柔道家に珍しい茶色に染めた髪、国歌斉唱時に手を胸に置く仕草などユニークなエピソードをマスコミに提供。柔道界の異端児とも評された。2004年にプロへ転向してから、芸能活動を行なわず、マスメディアに登場することはあまりない。
2004年12月31日『PRIDE 男祭り 2004 -SADAME-』において戦闘竜と対戦し判定で勝利し、総合格闘技でデビューを飾る。
2005年6月26日『PRIDE GP 2005 2ndROUND』において田村潔司と対戦し、判定で敗れる。
滝鼻卓雄(たきはな たくお、1939年8月14日 - )は、読売新聞東京本社代表取締役社長・編集主幹。読売ジャイアンツ取締役オーナー。
東京都出身。東京都立西高等学校、慶應義塾大学法学部卒業。1963年、読売新聞社入社。2004年8月、明治大学・一場靖弘投手(現東北楽天ゴールデンイーグルス 楽天)を巡る裏金事件で引責辞任した渡邉恒雄オーナーに代わり、3代目の巨人オーナーに就任。
正力亨
原辰徳
堀内恒夫
日本の実業家 たきはな たくお
1939年生 たきはな たくお