高橋 一生(たかはし いっせい、1980年12月9日 - )は、東京都出身の俳優。血液型はO型。舞プロモーション、劇団扉座所属。
堀越高等学校卒。同窓生である岡田准一(V6 (ジャニーズ) V6)とは、ドライブに行くほど仲が良いという。
宮藤官九郎と顔が似ている。そのためか、映画『世界の中心で、愛をさけぶ』では、宮藤が演じた役の少年時代を担当した。
ニューヨーク恋物語 ニューヨーク恋物語II・男と女(1990年、フジテレビジョン フジテレビ)
特捜エクシードラフト(大崎太郎役)(1992年、テレビ朝日)
恐竜戦隊ジュウレンジャー(カイ役)(1992年2月 - 1993年2月、テレビ朝日)
元禄繚乱 (NHK大河ドラマ) 元禄繚乱(1999年NHK大河ドラマ 柳沢吉里)
高橋 聡文(たかはし あきふみ、1983年5月29日 - )は、プロ野球中日ドラゴンズの投手である。背番号は67番。
入団してしばらくは怪我が多く、高校2年まで野手であったため、打者転向の話もあった。しかし2004年中継ぎ左腕として落合博満監督が一軍に抜擢。思いきりのいい投球で日本選手権シリーズ 日本シリーズ登板も果たした期待の若手の一人。2005年には31試合連続無失点を記録した。球団は岩瀬仁紀の後継者として大きな期待を寄せている。
プロ入り初登板は2004年4月13日満員の東京ドームでの対巨人戦、8対8の同点で迎えた9回裏。清水、小久保、高橋由を抑え延長10回もペタジーニ、ローズ、林の計6人を2三振を含む凡退に抑えた。堂々としたマウンドさばき強心臓ぶりを発揮しこの年から就任したオレ竜・落合監督の期待に応えた。
高橋 アキ (たかはし あき、女性)は、神奈川県鎌倉市生まれのピアニスト。東京芸術大学および同大学院修了。在学中に武満徹作品にてデビュー。1975年、サティ没後50年を記念し『エリック・サティ連続演奏会』を秋山邦晴と主催。
作曲家、高橋悠治は実の兄である。音楽評論家の故秋山邦晴は夫。
日本のピアニスト たかはしあき
Aki Takahashi
高羽哲夫(たかば てつお、1927年 - 1996年10月31日)は、日本のカメラマン。福島県出身。
1948年、松竹に入社。映画カメラマンとして活躍し、特に「男はつらいよ」全48作の撮影に携わったことで知られる。1996年、死去。
馬鹿まるだし(1964年)
馬鹿が戦車でやってくる(1964年)
なつかしい風来坊(1966年)
愛の賛歌(1967年)
吹けば飛ぶよな男だが(1968年)
男はつらいよシリーズ全48作(1969年-1995年)
家族 (映画) 家族(1970年)
故郷 (映画) 故郷(1972年)
同胞 (映画) 同胞(1975年)
幸福の黄色いハンカチ(1977年)
キネマの天地(1986年)
ダウンタウン・ヒーローズ(1987年)
息子 (映画) 息子(1991年)
貴乃花 光司(たかのはな こうじ、1972年8月12日 - )は日本の大相撲の元力士。第65代横綱。一代年寄。本名花田 光司(はなだ こうじ)。
父は元大関の貴ノ花健士、母は元女優の藤田憲子。兄はタレントの花田勝 花田勝(元第66代横綱・若乃花)。妻は元フジテレビアナウンサーの河野景子。若乃花幹士 (初代) 若乃花幹士(第45代横綱)は伯父(父の兄)。
数々の最年少記録を打ち立て、兄若乃花とともに「若貴ブーム」を起こし、ライバル曙太郎 曙らと名勝負を演じた。しかし、負けて思わず土俵を蹴飛ばしたり、巡業先で観客の高校生の頭を殴りつけるなどのふるまいもあって、出世の早さに人格面が追いつかないうらみもあった。
貴ノ浪貞博(たかのなみ さだひろ、1971年10月27日 - )は、大相撲の元力士。最高位は大関。現年寄音羽山。
1971年10月27日、青森県三沢市淋代に生まれる。本名・浪岡貞博。四股名は「さだひろ」だが本名は「ただひろ」と読む。
中学時代に年寄貴ノ花健士 藤島(元大関貴ノ花健士 貴ノ花)に勧誘され、初めは高校進学を考えていたが両親が貴ノ花を贔屓にしていたため入門が決定し、1987年(昭和62年)3月初土俵。最初は本名だったが、後に四股名をつける際に女将の提案で師匠の現役名貴ノ花と本名浪岡を組み合わせて貴ノ浪と命名された。1991年(平成3年)3月新十両、11月終生のライバルとなる武蔵丸と同期で新入幕。この場所初日から7連勝、中日には水戸泉政人 水戸泉に負けたが翌日琴錦功宗 琴錦を倒して勝ち越し、残りは全部負けて8勝7敗だったが周囲は驚いた。その後も順調に出世して1993年(平成5年)5月新小結で10勝5敗、7月に関脇で9勝6敗、その後関脇の地位を保ち続け9月10勝5敗、11月12勝3敗で迎えた1994年(平成6年)1月は大関とり、しかし同部屋の大関貴乃花光司 貴ノ花と花田勝 若ノ花がいるので同じく大関とりの武蔵丸光洋 武蔵丸より好成績が求められた。この場所それまで1度も勝てなかった横綱曙太郎 曙との対戦で斜めに仕切る(本人いわく「突っ張りの威力をそらす狙いだった」)という奇策、これが効いたか河津掛けで初勝利、この場所13勝2敗で場所後武蔵丸と同時に大関昇進が決まった。武蔵丸とは幕内で58回も対戦し(貴ノ浪の21勝37敗)、互いにライバルと認めていた。その取り口とライバル関係が似ていたことから、かつての名力士栃赤城と巨砲にもなぞらえられた。新大関の場所12勝3敗、同じく12勝3敗の曙、貴闘力忠茂 貴闘力との決定戦に進出、勝てば清國勝雄 清國以来となる新大関優勝だったが負けて曙に優勝をさらわれた。
隆の鶴 伸一(たかのつる しんいち、1976年6月18日生)は鹿児島県出水市出身の元大相撲力士。本名は積山 伸一(せきやま しんいち)。鳴戸部屋所属。身長188cm、体重174kg。長く伸びた揉み上げが特徴。最高位は西前頭8枚目(2003年3月場所)。得意技は左四つ、寄り。
理髪店の長男で、1992年3月場所に初土俵。同部屋の若の里忍 若の里、隆乃若勇紀 隆乃若は同期入門である。三段目までは順調に番付を上げていったが、小さいころから悩まされていた足の病気で一時は番付外まで陥落した。しかし、そこから不屈の闘志で復活し入門から9年かかって2001年3月場所に十両昇進した。休場もあり時間は掛かったが新十両から1年10ヶ月後の2003年1月場所に新入幕を果たした。腰高だが、体格を生かして攻める取り口。2004年11月場所、西前頭12枚目で4勝11敗と大敗を喫し、その場所を最後に幕内から遠ざかり、十両下位まで番付を下げたこともあったが、2005年11月場所に勝ち越して、一時は十両中位まで番付を持ち直した。しかし、2006年3月場所に西十両10枚目で初日に闘牙進 闘牙に勝った後に何と14連敗で1勝14敗と無残な成績に終わり、翌5月場所は西幕下8枚目に陥落。関取復帰を目指して土俵に上がったものの、本来の相撲が全く取れず11日目までに6連敗を喫し、12日目に引退届を提出した。その時僅か29歳の若さであった。今後は準年寄・隆の鶴として後進の指導に当たる。
高野 真太郎(たかの しんたろう、1979年10月20日 - )は、CHARCOAL FILTERのドラマー。
どのような速いビートもポジティヴかつソリッドに刻み、軽快なリズムから郷愁あるビートまで叩きこなす。アルバム曲ではあるが『雨が上がれば夏が始まる』や『Love』などの作曲も行っており、主に作曲を担当している小名川高弘や安井佑輝の楽曲とは一味違う曲を世に送り出している。また、シングル『one Days』の隠しトラックでは、ボーカル ヴォーカルを務めている。
2005年夏にはパラソルパラサイトのサポートをした。同年秋からHARRY(元Street Sliders)のライヴやレコーディングのサポートを行っている。
CHARCOAL FILTERの略歴も併せて参照のこと
鷹野 史寿(たかの ふみとし、1973年8月10日 - )は、日本のプロ野球選手(外野手)である。
東京都中央区 (東京都) 中央区出身。浦和学院高校から国士舘大学 国士舘大に進み、卒業後は日産自動車硬式野球部 日産自動車に入団。持ち前のパンチ力で全日本メンバーに選ばれ、シドニーオリンピックの予選を兼ねたアジア選手権ではプロアマ混成チームながら外野の一角を担った。また、プロがいない全日本では4番を打つこともあった。
1999年ドラフト6位で大阪近鉄バファローズ 大阪近鉄に入団。当時大阪近鉄では外野にタフィ・ローズ、大村直之、憲史 川口憲史らがレギュラーを張っており、途中から礒部公一も外野に割り込んできたため、スタメンを獲得するにはいたらなかったものの、出場試合では勝負強さを見せた。
高野 史緒(たかの ふみお、1966年 - )は、日本の小説家。茨城県土浦市出身。茨城大学卒業。お茶の水女子大学大学院人文科学研究科修士課程修了。
1988年、ヴァーツラフ・ニジンスキー ニジンスキーをテーマとしたバレエ入り演劇脚本『エレヴァシオン』で第2回青山円形劇場脚本コンクールに佳作受賞(優秀作無しの年)。1994年、第6回日本ファンタジーノベル大賞に応募。『ムジカ・マキーナ』で最終選考を通過し、翌1995年、同作品で新潮社からデビューした。
芸術と歴史、ことに音楽をテーマとしたSF的歴史改変小説を得意とする。
ムジカ・マキーナ(1995年、新潮社。文庫版: 2002年、早川書房 ハヤカワ文庫JA)