小牧近江(こまきおうみ、1894年5月11日-1978年10月29日)は、秋田県秋田市土崎(つちざき)港生まれの翻訳家・社会運動家。本名、近江谷鬧ァ(おうみやこまき)。父は代議士近江谷栄次。
東京の暁星高等学校 暁星中学中退後、明治43年、第1回万国議員会議に出席する父に連れられてフランスに渡り、パリ大学法学部入学、大正7年同卒業。同地でクラルテ運動に参加した。日本大使館に勤務し、帰国後、革命歌「インターナショナル」を日本で初めて訳詩。佐々木孝丸訳の先駆けとなった。小学校時代の旧友と『種蒔く人』を創刊。無産階級文化運動に従事したが、戦時中はフランス領インドシナで民族解放運動に関わった。戦後は文筆を主とし、鎌倉に居住し、平和運動に参加した。昭和24年、中央労働学院教授、同26年、法政大学教授、中央労働学院院長。シャルル・フィリップ全集やバルビュスの翻訳を残し、回想記を執筆した。
駒井 千佳子(こまい ちかこ、1965年9月7日 - )は、山梨県出身の芸能レポーター。同じ芸能レポーターの井上公造が代表取締役を務めるKOZOクリエイターズ所属。
フェリス女学院大学 フェリス女学院短期大学卒業。その後テレビ朝日甲府支局に入社し、記者兼リポーターを務める。
その後テレビ朝日甲府支局を辞め、東京放送 TBS系『スーパーワイド』の芸能リポーターに転身。
芸能取材で活躍する中、オウム真理教事件などではその熱心な取材から、“横山昭二弁護士の恋人”として噂に流れ、東京スポーツの一面記事として掲載された。
2002年3月にテレビ朝日系『スーパーモーニング』の芸能デスク(当時36歳)と結婚するが、互いの仕事が多忙であったために翌年離婚。
小堀 正次(こぼり まさつぐ、1540年(天文 (元号) 天文9年) - 1604年4月29日(慶長9年3月30日 (旧暦) 3月30日))は、戦国時代 (日本) 戦国時代から江戸時代前期にかけての大名。小堀正房の子。小堀遠州 小堀政一の父に当たる。
豊臣秀長、そして豊臣秀吉のもとで政治手腕を買われて、主に代官を務めた。1600年の関ヶ原の戦いでは東軍に属し、戦後、備中国 備中松山に1万4000石を与えられ、備中における天領の管理も任された。また、備中や近江国における幕府の検地などにおいても、大いに功績を挙げた。
1604年、江戸へ参勤に向かう途上で急死。後を子の政一が継いだ。
江戸の大名 こほりまさつく
小堀 桂一郎(こぼり けいいちろう、1933年9月13日 - )は、東京都出身の比較文学者。専攻は比較文学、比較文化、日本思想史。
保守派の代表的な学者の一人。ゲーテやホフマンスタールなどのドイツ文学研究からスタートし、日本における独文学受容史などにも手を広げた。ドイツ時代の森鴎外の研究をはじめとした鴎外研究でも知られる。歴史教科書問題などが顕在化した1980年代初頭より歴史認識問題などへの活発な発言を開始する。特に極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)史観批判、及び林健太郎との歴史認識論争は有名である。
政治活動にも積極的に関与し、「日本文化会議」や、「日本会議」副会長、「教科書正常化国民会議」の設立発起人、「横田めぐみさんたちを救出するぞ!全国大集会」呼掛け人、「天皇陛下の御訪韓問題を考える会」代表を務める。
小堀 杏奴(こぼり あんぬ、1909年5月27日 - 1998年4月2日)は、森鴎外と彼の二人目の妻・志げの次女で、東京都出身の随筆家である。
森於菟 - 兄
森茉莉 - 姉
森類 - 弟
小堀四郎(1902年? - 1998年8月9日) - 夫、画家
小堀桃子 - 長女
小堀鴎一郎(おういちろう) - 長男、医学博士
回想 (1942年)
朽葉色のショール (1971年) 講談社から再版 ISBN 4-06-198319-9
冬枯れの美 (1979年)
晩年の父 (1981年)
不遇の人 鴎外 日本語のモラルと美 (1982年)
日本の随筆家 こほりあんぬ
1909年生 こほりあんぬ
1998年没 こほりあんぬ
コブクロとは、日本の2人組J-POP・フォークソング フォークデュオ。
小渕健太郎(こぶち けんたろう、1977年3月13日 -)ギター・ボーカル 、宮崎県出身。O型。身長168.2cm。宮崎県立宮崎工業高等学校卒。
黒田俊介(くろだ しゅんすけ、1977年3月18日 - )ボーカル、大阪府堺市(現在の)堺区出身。O型。身長193.4cm。大阪体育大学浪商高等学校出身。野球部に所属していた。
1998年5月、セールスマンの傍ら、路上ライブをしていた小渕と、大阪府堺市(現在の)堺区の商店街でストリート・ミュージシャンをしていた黒田が、堺の銀座通り商店街で出会い意気投合。(小渕が黒田に曲を書いて、黒田から一緒に組もうと声をかけた。小渕はこれを「出来ちゃった結成」なのだと「笑っていいとも!」の「テレフォンショッキング」出演時に言っていた。)
小日向 文世(こひなた ふみよ、1954年1月23日 - )は日本の俳優。北海道三笠市出身。東京写真専門学校(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。
卒業後中村雅俊の付き人をしつつ演劇の道を目指し、1977年、串田和美が主宰する「オンシアター自由劇場」に入団。1996年の解散まで19年間の在籍で、劇団の看板女優吉田日出子の相手役として欠かせない存在となった。
劇団解散後は、映画・テレビドラマなど映像分野での活躍を切望するも、当初は端役に甘んじていたが、2001年1月期に放映された木村拓哉主演のフジテレビ月曜9時枠の連続ドラマ フジテレビ月9ドラマ、『HERO (テレビドラマ) HERO』へのレギュラー出演が大きな転機となったことは、本人も認めるところである。全話視聴率30%超えという快挙を成し遂げた大ヒットドラマのメインキャストとして、コミカルな事務官役を演じたことで、独特の雰囲気を持つ俳優と広く認知され、ドラマ・映画・舞台の脇役 バイプレーヤーとして、引く手あまたの目まぐるしい活躍を始めた。
小日向 しえ(こひなた しえ、1979年10月8日 - )は、日本の女優。血液型はB型。東京都新宿区出身。本名:田中しょうこ(旧姓:岩崎)
15歳の頃に父親の知り合いであったプロダクション社長に会い、装苑にモデルとしてデビュー。その後もOLIVE、ananなどの女性雑誌でモデルとして活躍のあと、女優に転向し映画やテレビドラマ、バラエティ番組にも出演した。
1997年からは歌手としてシングル6曲・アルバム1作を発表するなどマルチな活躍をしている。
フジテレビジョン フジテレビのバラエティ番組『ココリコミラクルタイプ』で共演していたココリコの田中直樹 (お笑い) 田中直樹と結婚。2004年に長男を出産。
小原裕貴(こはらゆうき、1980年5月21日 - )は、元ジャニーズ事務所所属のタレント。元ジャニーズJr.。岡山県出身。私立公文国際学園中等部、高等部卒業。亜細亜大学卒業。現在,大手広告代理店につとめている。
1991年1月25日、当時10歳(小学4年)。親戚の女性がジャニーズ事務所へ小原裕貴のプロフィールを記入した履歴書を送ったことがきっかけで、ジャニーズ事務所に入所。同期は国分博。
現役時代は端正なルックスとずば抜けたダンスセンスで莫大なファンからの支持を誇る。テレビ番組・ラジオ番組・雑誌・コンサート・舞台等の様々なメディアに多数出演。
原知宏とのユニット「ハラハラコンビ」や「FIVE」、「Musical Academy」などのジャニーズJr.内グループのメンバーだった事がある。