香山 壽夫(こうやま ひさお、1937年(昭和12年)3月1日 - )は、東京都生まれの建築家。博士 (工学) 工学博士。放送大学教授。放送大学文京学習センター所長。東京大学名誉教授。(有)香山壽夫建築研究所所長。1996年日本建築学会賞、2000年公共建築賞、2002年日本建築学会作品選奨、2005年度日本芸術院賞受賞。
東京大学においては吉武泰水に師事、ペンシルヴァニア大学においてはルイス・カーンに師事した。専門は建築設計、都市計画。特に都市計画、町並み保存などの分野に研究成果を残し、学校、資料館、ホール、教会等の作品を多く手がけている。
大学キャンパスの設計においてはコミュニケーションに着目し、フォーマル・コミュニケーション、インフォーマル・コミュニケーション、フリー・コミュニケーションの3つのレベルの場を提供することが重要であると考え実践した作品を設計している。
神山 典士(こうやま のりお 1960年- )は、ノンフィクション作家、株式会社バザール主宰、東京塾主宰。
埼玉県生まれ。1984年、信州大学人文学部心理学科卒業。
『初代総料理長サリー・ワイル』
『ひとりだちへの旅』
『小室哲也 深層の美意識』講談社 1996年
『アウトロー』情報センター出版局 1997年
『ライオンの夢 コンデ・コマ=前田光世伝』小学館 1997年
『北京 もうひとつの家族』教育ラボセンター 1999年
『北朝鮮にスマッシュ。』メディアファクトリー 1999年
『ひとりだちへの旅』ラボ教育センター 1999年
『あなたの会社のビジネス モデルを変身させる法』PHP研究所 2000年
神山征二郎(こうやませいじろう、1941年7月16日-)は、映画監督。
岐阜県岐阜市に生まれる。岐阜県立岐阜北高等学校卒業。日本大学芸術学部映画学科中退後、1963年、新藤兼人監督が主宰する「近代映画協会」に参加する。
新藤兼人、吉村公三郎、今井正各監督の助手を務めた後、1971年、『鯉のいる村』で監督デビューする。1976年、『二つのハーモニカ』で「日本映画監督協会新人奨励賞」を受賞する。
その後、独立し、1983年『ふるさと』を発表し、「文化庁優秀映画奨励賞」を受けるなど国内外で高評価を受ける。1987年に『ハチ公物語』が大ヒットし、山路ふみ子映画賞を受賞する。
1988年に「神山プロダクション」を設立する。以後、ヒューマニズムあふれる作品を次々と発表し、人気を博する。
幸山政史(こうやま せいし、1965年6月10日 - )は熊本市長。熊本市出身。九州大学経済学部卒。
九州大学を卒業後、日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)入行、1995年に熊本県議会議員に初当選。熊本県議を2期務めた後、2002年の熊本市長選挙に立候補。現職候補が自由民主党 (日本) 自民党、民主党 (1996-) 民主党など大政党の推薦を取り付け、大掛かりな組織戦を展開する中、彼は現職候補が出席しなかった学生主催のイベント等に積極的に出席し、無党派の支持を獲得していったとされる。その結果、大方の予想を裏切り現職候補を破って熊本市長に初当選、「無党派の風」として全国的に大きな話題となった。彼のホームページで自分の経歴や自慢話をしている。
神山 繁(こうやま しげる、1929年1月16日 - )は、日本の俳優。広島県呉市出身。海軍経理学校卒業。妻は女優の文野朋子(故人)。
進駐軍の通訳などを経て、1952年に文学座に演出部研究生として入座。後に俳優に転じる。1963年、芥川比呂志、小池朝雄、仲谷昇、岸田今日子らとともに同座を脱退し、劇作家・福田恆存を代表とする現代演劇協会・劇団雲を結成する。『夏の夜の夢』『リア王』『コリオレイナス』『テムペスト』などのシェイクスピア劇や、遠藤周作作の『黄金の国』、『罪と罰』『スカパンの悪だくみ』などの舞台で活躍するが、1975年、芥川と福田との対立が決定的になると、芥川と行動を共にし、雲(現代演劇協会)を脱退して演劇集団 円の結成に参加した。円では、『ペリクリーズ』『から騒ぎ』などに出演し、『ママに捧げる鎮魂歌』『山の巨人たち』『ほんとうのハウンド警部』では演出を務めた。1987年に愛妻・文野と死別すると、しばらく仕事から離れ、1989年、60歳を迎えるにあたって円を退団した。
甲本 雅裕(こうもと まさひろ、1965年6月26日 - )は、岡山県岡山市出身の俳優。アルファーエージェンシー所属。兄はザ・ハイロウズの甲本ヒロト。
関西高校卒業。京都産業大学卒業。剣道4段。
1989年から東京サンシャインボーイズに在籍。以降充電にはいるまでのほぼ全作品に出演した。
以降も、多くの映画・ドラマにおいて、バイプレーヤーとしての魅力を発揮。
気弱な青年、実直なサラリーマン、豪快な快男児、トリッキーな男など、幅広い演技が光る。また、岡山弁丸出しで話す役もたびたびある。
2004年、彼が出演した健康ドリンクのCMで、ハイロウズがCMソングを担当し、初めての「兄弟共演」を果たした。
甲本 ヒロト(こうもと ひろと、本名:甲本 浩人、1963年3月17日 - )は、岡山県岡山市出身のロック (音楽) ロック歌手である。
THE BLUE HEARTS、THE HIGH-LOWSを経て、現在はザ・クロマニヨンズのボーカリストを務める。2006年ソロデビュー。
ライブパフォーマンスの一環で、全裸になることがある。そのパワフルさと朴訥さを兼ね備えた、ユニークなボーカルスタイルで知られる。ライブ中よく跳ぶ。甘いものが好きでプロレスファンでもある。
ブルーハーツ時代には、ひたすらアップテンポで盛り上がる「THE BLUE HEARTS#代表曲 リンダリンダ」、愛を情熱的に歌い上げた「キスしてほしい」、人を勇気付ける「人にやさしく」などがヒットした。
昭和25年(1950年)9月7日
兵庫県相生市
日本大学理工学部
三光汽船社員
文部科学副大臣
父・河本敏夫
兵庫12区
3回(参議院1回)
自由民主党(高村派)
衆議院第一議員会館241号室
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河本三郎(こうもと さぶろう 1950年(昭和25年)9月7日 - )は、日本の政治家、 衆議院議員(参議院議員1期)
1950年(昭和25年)兵庫県相生市生まれ。海城高校から日本大学理工学部を経て、三光汽船に入社し17年間のサラリーマン生活を送る。1992年(平成4年)の参院選でトップ当選。1996年(平成8年)、父親の河本敏夫の引退をうけて兵庫12区から第41回衆議院議員総選挙に立候補し、初当選する。同じ年の11月に、第2次橋本内閣で経済企画政務次官に就任し、その後、自由民主党国会対策副委員長などの要職に就任する。
高村 正彦(こうむら まさひこ、1942年3月15日 - )は、日本の政治家、自由民主党 (日本) 自由民主党所属の衆議院議員で、弁護士。徳山市 徳山市長、衆議院議員をつとめた高村坂彦の四男。趣味は学生時代から行っている少林寺拳法(四段)で少林寺拳法振興議員連盟会長を勤める。
1942年3月15日
山口県周南市
中央大学法学部
法学士
弁護士
元・経済企画庁長官(村山内閣)元・外務大臣(小渕内閣)元・法務大臣(第2次森改造内閣)
二世父・高村坂彦
衆議院小選挙区一覧#山口県 山口1区
自由民主党 (日本) 自由民主党(番町政策研究所 高村派)
税制調査会副会長
衆・第一議員会館226号室
http://www.koumura.net/}}
光法 賢一(こうぼう けんいち、1973年8月18日-)は、鹿児島県熊毛郡 (鹿児島県) 熊毛郡南種子町出身の大相撲力士。宮城野部屋所属。本名は峯山 賢一(みねやま けんいち)。身長182cm、体重136kg。 最高位は西前頭9枚目(2002年1月場所)。得意技は左四つ・上手投げ。
中学卒業と同時に、元幕内・廣川が主宰する宮城野部屋に入門。1989年3月場所に初土俵を踏んだ。直後に師匠が急逝し元幕内の竹葉山が部屋を継承。1991年9月場所には若干18歳で幕下に昇進。決して体が恵まれているとは言えなかったが、左四つになると力を発揮し期待された。しかし、攻めが遅かったため幕下上位で苦労し十両に昇進するまで7年以上掛かってしまった。我慢の甲斐あって1999年1月場所にようやく十両に昇進。十両に定着し、安定した成績を残した。怪我で1度は幕下に陥落したが直に十両に復帰し格の違いを見せた。2001年11月場所には新入幕を果たし、東前頭14枚目で8勝7敗と勝ち越し、翌2002年1月場所には最高位の西前頭9枚目まで番付を上げた。しかし、幕内での勝ち越しは新入幕の場所の1回だけにとどまり、幕内に定着することが出来ず、現在は十両での土俵が続いている。また、十両でも負け越しが多く、最近は十両中位~下位に甘んじている。パンチの効いた張り手と姑息なけたぐりが得意技。趣味は洋画・音楽鑑賞。
郷原 洋行(ごうはら ひろゆき、1944年1月21日 - )は鹿児島県出身の元JRA騎手、調教師。
1962年に大久保房松調教師の元で騎手免許取得。同期には中島啓之が、1年先輩には同郷の吉永正人がいる。騎手時代は、馬を力強く追うことから当時「豪腕」と呼ばれ、ライバルの闘将加賀武見と双璧をなしていた。又、その騎乗スタイル故か加賀とは違い牝馬限定タイトルには縁が無かった。
1993年に騎手を引退し調教師に転向した。
息子の郷原洋司も現在JRA騎手である。
平地成績 11898戦 1513勝
障害成績 8戦 2勝
通算成績 11906戦 1515勝
リユウズキ(1967年 皐月賞など)
オペックホース (1980年 東京優駿(日本ダービー))
郷原 洋司(ごうはら ひろし、1972年11月6日 - )は日本中央競馬会(JRA)所属の騎手。父は元JRA騎手で現調教師の郷原洋行。
1991年に騎手デビュー。2001年に七夕賞(GIII)をゲイリートマホークで制して重賞初制覇。
2002年にはカンファーベストに騎乗してカブトヤマ記念(GIII)で1位入線するが、斜行により他馬の進路を妨害したとして10着に降着となる。ところがこの騎乗が一部ファンの間で注目を浴び、『中央競馬ワイド中継』内の企画「中央競馬ベストレース・オブ・ザ・イヤー2002」(視聴者の投票によりベストレースを選ぶ)において、他にGIレースが並ぶ中このカブトヤマ記念が7位に選ばれた。