久保文明(くぼ ふみあき, 1956年7月30日-)は、東京大学大学院法学政治学研究科教授。専門は、アメリカ合衆国 アメリカ政治。
東京都生まれ。東京大学法学部卒業。東京大学法学部助手、筑波大学社会科学系講師・助教授、慶應義塾大学法学部助教授・教授を経て、現職。
アナウンサーの秋沢淳子は慶大時代の教え子で初めてのゼミ生の一人。
『ニューディールとアメリカ民主政――農業政策をめぐる政治過程』(東京大学出版会, 1988年)
『現代アメリカ政治と公共利益――環境保護をめぐる政治過程』(東京大学出版会, 1997年)
(阿部斉 阿部齊・川出良枝)『政治学入門』(放送大学教育振興会, 1996年)
久保 利明(くぼ としあき、1975年8月27日 - )は、日本の棋士 (将棋) 将棋棋士。棋士番号207。兵庫県加古川市出身。淡路仁茂九段門下。
1986年の小学生名人戦でベスト4に入り、同年新進棋士奨励会 奨励会に入会。1993年、四段に昇段。10年かけ2003年に順位戦#A級 A級入りする。
棋戦 (将棋)#タイトル戦 タイトル戦には2度(第26期棋王戦 棋王、第49期王座戦 (将棋) 王座)登場しているが、いずれも1-3で羽生善治に敗れている。
モットーは捌いて勝つ。駒の捌きを常に重視する振り飛車党である。藤井猛、鈴木大介と振り飛車御三家をなす。
振り飛車党でありながら好きな囲いは『玉頭位取り』と公言している
名前=久保竜彦
本名=
愛称=ドラゴン
カタカナ表記=クボ タツヒコ
アルファベット表記=KUBO Tatsuhiko
原語名=
原語表記=
国=日本
誕生日=1976年6月18日
出身地=福岡県朝倉郡
身長=181cm
体重=73kg
血液型=A型
所属チーム名=横浜F・マリノス
ポジション=フォワード FW
久保 純子(くぼ じゅんこ、1972年1月24日 - )は、平成期(1990年代後半-2000年代前半)の元日本放送協会 NHKアナウンサー。本名は清重純子(きよしげ・じゅんこ、旧姓:久保)。愛称は「クボジュン」。
父、母ともに、元日本テレビアナウンサー。小学校4年間を英国、高校3年間を米国で過ごした帰国子女。ニューヨークパイオニア・セントラル高校→慶應義塾大学文学部英米文学科卒。1994年、NHK入局。NHK大阪放送局 大阪放送局でデビュー。2年後の1996年に東京アナウンス室へ異動となる。NHK初のアイドルアナウンサーとして、受信料制度周知キャンペーンなどに起用された。
育児休暇を挟んで2002年から契約職員として復帰。1児の母である。2004年3月31日の契約満了を以ってフリーに転向した。
久保 明(くぼ あきら、1936年12月1日 - )は、日本の俳優。東京都出身。
映画「トイレット部長」「不良少年」などに出演したが、大味で一本調子の演技から抜けきれず、役者としては大成しなかった。しかしながら、彼の代表作である"大学"シリーズでは、コンスタントな活躍を見せ、低評価にささやかな抵抗を示した。また、特撮作品にも数多く出演している。
思春期(松竹映画 1948年)
大学の侍たち(映画 1957年)
大学の人気者(映画 1958年)
大学のお姐ちゃん(映画 1959年)
大学の28人衆(映画 1959年)
潜水艦イ-57降伏せず(東宝映画 1959年)
大学の山賊たち(映画 1960年)
トイレット部長(東宝映画 1961年)
妖星ゴラス(東宝映画 1962年)
久保晶(くぼ あきら、1934年1月21日‐)は日本の俳優。
京都府出身。血液型はB型、みずがめ座である。身長165cm。
趣味は散歩、特技は関西弁である。
意地悪い舅役や、会社重役等がはまり役である。一方で優しい典型的なおじいちゃん役もはまり役である。また、テレビドラマ『ショムニ』での社長役で有名である。
『赤い月』(1977年、NHK)
『おしん』(1983年、NHK)
『ふぞろいの林檎たち』(1983年、TBS)
『親戚たち』(1985年、フジテレビ)
『独眼竜政宗 (NHK大河ドラマ) 独眼竜政宗』(1987年、NHK) - 良覚院栄真役
『空と海をこえて』(1989年、TBS)
『翔ぶが如く (NHK大河ドラマ) 翔ぶが如く』(1990年、NHK) - 医師役
久能 靖(くのう やすし、1936年2月13日 - )とは、ジャーナリスト、ニュースキャスター テレビキャスター、元日本テレビ放送網 日本テレビアナウンサー。千葉県出身。
神奈川県立小田原高等学校、東京大学文学部卒。1960年、アナウンサーとして日本テレビ放送網 日本テレビへ入社。ニュース番組を経て報道部記者に。あさま山荘事件 連合赤軍浅間山荘事件で長時間に亘る実況報道で、その頭角を現した。
1990年4月からフリーアナウンサー フリーとなるが、引き続き日本テレビを専属とする。情報番組では原稿を使わず、自身でメモを作成し、わかりやすく伝える事に徹した(ザ・ワイドのニュースコーナーのキャスターを勇退時に自身が発言)。又、時折駄洒落 ダジャレを織り交ぜる(当然、明るいニュースの時のみ)独自のユーモアセンスで既存のキャスターイメージを刷新したパイオニアでもあった。