久野 誠(くの・まこと、1952年12月19日 - ) は、CBC中部日本放送のアナウンサー。三重県津市出身。三重県立津高等学校、早稲田大学教育学部卒業後、1975年にCBC入社。長年、スポーツアナとして、中日ドラゴンズ戦の実況やドラゴンズ関連の番組の司会を担当している。
なお誕生日は占部沙矢香アナと同じ。
スポーツ中継(プロ野球、大相撲ほか)
久野誠のドラゴンズワールド
サンデー競馬中継 みんなの競馬 みんなの競馬(中京競馬の裏開催時)
久野誠のプレイボールまで待てない!!
土曜天国
ばつぐんジョッキー
もぎたてのカボチャたち
サンデードラゴンズ
おはようクジラ(全国ネット「プロ野球応援バトル」担当/この番組のためにドラゴンズブルーのタキシードを30万円で作った)
久野 収 (くの おさむ, 男性, 1910年6月10日-1999年2月9日)は日本の哲学者。大阪府堺市生まれ。1934年京都大学文学部哲学科卒業。
久野を理解するキーワードは「市民」。
大阪府立中央図書館には久野収の蔵書約2000冊が遺贈され、
2005年2月には久野収図書収蔵記念展が催された。
『憲法の論理』みすず書房 1969
『平和の論理と戦争の論理』 岩波書店 1972
『三〇年代の思想家たち』 岩波書店 1976
『神は細部に宿りたまう』三一書房 1977
『歴史的理性批判序説』 岩波書店 1977
『発言』 晶文社 1987
『展望』 晶文社 1990
『久野収 世界を見つめる』 自由国民社 1995
『久野収対話集・戦後の渦の中で 1-4』 人文書院 1972-73
久野 綾希子(くの あきこ、1950年8月24日-)は、日本のミュージカル女優。大阪府出身。劇団四季出身。
1977年劇団四季入団、1986年退団。在団中は、『キャッツ (ミュージカル) キャッツ』、『赤毛のアン』、『エビータ』などミュージカルを中心に活躍、また人気テレビゲームである、サクラ大戦シリーズの劇場版やゲーム版で声優としても活躍中である。
2001年、『異国の丘』で15年ぶりに劇団四季の舞台に復帰。『マンマ・ミーア!』では、ドナとロージーを演じている。
トットチャンネル(中野葵子)
釣りバカ日誌6
元禄繚乱(矢頭菊)
愛の劇場「うらぎり」(TBS)主演
火曜サスペンス劇場「同窓生」(1988年9月、日本テレビ・ライトヴィジョン)主演、「向かいの家」(1991年5月、日本テレビ・総合プロデュース)主演、「女監察医室生亜季子20・拳銃」(1995年6月、日本テレビ・東映)
国谷 裕子(くにや ひろこ、1957年2月3日 - )はフリーのニュースキャスター テレビキャスター。
大阪府出身。ブラウン大学卒業。
日本放送協会 NHK衛星放送のニューヨーク契約駐在キャスター、その後帰国して総合テレビの『NHKニュースTODAY』『NHKニュース21』、衛星放送の『ワールドニュース』に契約出演。1993年から『クローズアップ現代』(総合テレビ)に出演している。
日本のジャーナリスト くにやひろこ
國村 隼(くにむら じゅん、1955年11月16日-)は俳優。大阪府出身。
大阪放送劇団付属研究所9期生。井筒和幸監督「ガキ帝国」(1981年)で映画デビュー。その後、数々の映画,ドラマに出演し個性派俳優として活躍。映画では阪本順治監督作品,ドラマでは大石静脚本作品の常連。
顔つきが「こわもて」であることからか、リドリー・スコット監督「ブラック・レイン」(1989年)や崔洋一監督「月はどっちに出ている」(1993年)やクエンティン・タランティーノ監督「キル・ビル Vol.1」(2003年)など、とにかく非常に渋い演技を得意としてきた。河瀬直美が1997年度のカンヌ国際映画祭で日本人初のカメラ・ドール(新人監督賞)を受賞した「萌の朱雀」(1997年)に出演以降、演技力の評価が高まった。近年はコミカルな役所も増えている。声に渋みがあり一部でナレーションもこなす。
国松 善次(國松 善次、くにまつ よしつぐ、昭和13年(1938年)4月1日 ‐ )は、平成期における日本の政治家。
滋賀県知事(第7代)。
滋賀県出身。滋賀県立草津高等学校、滋賀県立短期大学農業部卒業後、大阪府庁入庁。その後中央大学法学部通信課程を卒業し、1976年滋賀県庁入庁。教育委員会事務局文化部長、厚生部次長、健康福祉部長、総務部長を経て1999年より2006年まで滋賀県知事。中央官僚出身ではなく県庁職員出身の知事ということで期待されたが、結果として中央志向が強い知事であったという評価がなされている。
2期務めたが、2006年7月2日に行なわれた滋賀県知事選挙の結果、新人の嘉田由紀子に敗れ、落選した。2006年7月19日退任。
國松 孝次(くにまつ たかじ、1937年6月28日 - )は、日本の警察官僚、元警察庁長官。静岡県浜松市出身。静岡県立浜松西高等学校、東京大学法学部第二類卒。
1961年4月 - 警察庁入庁
1969年 - 警視庁本富士警察署長
1972年2月 - あさま山荘事件発生時に警視庁広報課長として派遣幕僚団に参加
在フランス日本国大使館一等書記官(-1977年6月30日)、内閣官房長官秘書官事務取扱
警視庁第一方面本部長
1981年8月21日 - 警察庁警備局公安第三課長
1982年8月23日 - 警察庁警備局警備課長
1984年4月7日 - 大分県警察本部長
1985年8月7日 - 警察庁刑事局捜査第二課長
1986年8月18日 - 警察庁刑事局刑事企画課長
1987年6月16日 - 警察庁警務局人事課長