川嶋勝重(かわしま かつしげ、1974年10月6日 - )は、ボクシングの元世界ボクシング評議会 WBC世界スーパーフライ級王者(第17代王者)。千葉県市原市出身。身長164cm。
長南高校(現茂原北陵高校)時代は野球部に所属。卒業後、地元の企業に就職するが、友人のボクシングの試合を観戦し、感動したのを機にプロボクサーになることを決意。1995年に元世界ボクシング評議会 WBC・世界ボクシング協会 WBA世界ミニマム級王者の大橋秀行氏が会長を務める大橋スポーツジムに入門。
トレーナーは元OPBF東洋太平洋フェザー級王者の松本好二。
試合での対戦相手に対する厳しさとは別に、普段は礼儀正しく心の優しい性格で強い精神力の持ち主として知られている。
河島あみる(かわしま- 本名:深谷亜美瑠=ふかたに・あみる(旧姓:河島) 1977年12月2日-)タレント。松竹芸能所属。
シンガーソングライターやタレントとして知られた故・河島英五の長女。実妹はアナム&マキのメンバーの一人で同じくシンガーソングライターの河島アナム。
中学校の時にテレビ番組「ひらけ!ポンキッキ」のお姉さんに憧れて児童劇団に入ったことが芸能活動開始のきっかけとなった。その後、趣味で書いていた旅行感想文がきっかけとなって、関西圏を中心にレポーターやタレント活動を開始するようになる。父・英五が阪神・淡路大震災の被災者支援のために行っているチャリティーコンサート「復興の詩」にも携わり、2004年には実行委員会の青年部代表を務めた。また、英五最後の作詞である「ピンクのアオザイの裾を夜風にあそばせ」(歌:堀ちえみ)はあみるの結婚式に堀がアオザイの衣装で出席したことが縁で作られ、あみる自身も作曲に携わった。
川嶋あい(かわしまあい、本名:川島 愛、1986年2月21日 - )は、シンガーソングライター。つばさレコーズ、ダブルウイング所属。福岡県福岡市早良区出身。血液型A型。
3歳の時から音楽教室に通い、演歌歌手を志す。北島三郎、鳥羽一郎、山川豊など、演歌歌手の公演の前座を務めることもあった(特に鳥羽一郎とは家族ぐるみの付き合いがあったと、ラジオで本人が語っている)。
10歳の時にニューヨークカーネギーホールの舞台で演歌を歌っている。但しカーネギーホールの記録には残されておらず、単に参加料を払うのみであった。
1999年5月 - 『十六恋ごころ/あなたに片想い』で演歌歌手としてデビューするが全く売れず、数ヶ月後に演歌歌手の道は断念した(なお、作曲も担当した。)。
川地民夫(かわじたみお、本名・河地猛、1938年7月21日-)は、昭和後期・平成期の俳優。
神奈川県逗子市に生れる。逗子開成 逗子開成高等学校卒業後、関東学院大学工学部に在学中、逗子の家の隣に石原裕次郎が住んでいたのが縁で、日活に入社する。1958年、『陽のあたる坂道』でデビューする。小林旭、沢本忠雄と「三悪トリオ」として売り出し、アクション物、青春物に次々と主演する。その後脇役に転じてから独特の個性に磨きがかかり、特に1963年の『野獣の青春』以来、鈴木清順監督に重用された。
日活退社後は東映への出演が多く、特に、1971年から7本作られた、菅原文太と共演した『まむしの兄弟』シリーズで見せたユーモラスな演技は大いに人気を博した。
川崎 雄介(かわさき ゆうすけ、1982年2月17日 - )は、千葉ロッテマリーンズ所属のプロ野球選手。ポジションは投手。背番号は49番。
2005年オフ、ロッテに大学・社会人ドラフト会議 ドラフト4巡目で指名を受け、入団。
2006年4月16日に同じく左の中継ぎの高木晃次と入れ替わりに1軍に初めて昇格。そして4月18日 18日に東北楽天ゴールデンイーグルス 楽天戦で初登板し、2回を無失点に抑えた。その後はリードされている状況で3試合で中継ぎ登板したが結果が出ず、5月7日に2軍落ちした。
140km/h前後の球種 (野球)#直球 ストレートの他に球種 (野球)#スライダー スライダー、チェンジアップを投げる。
川﨑 宗則(かわさき むねのり、1981年6月3日 - )は鹿児島県姶良郡姶良町生まれのプロ野球選手。福岡ソフトバンクホークスの内野手(遊撃手)。右投左打。
勝負強いシュアなバッティングが持ち味。“ムネリン”や“ソウくん”(おすぎが使用)の愛称で親しまれ、甘いマスクで女性などからの人気が高い。二軍時代は、左打者であることや、安打数が多いこと、俊足であることなどから、イチローをもじって「サツロー(薩摩のイチロー)」とも呼ばれた。背番号は52。実家は電気店であり、自身も高校時代に第2種電気工事士の資格も取得している。
2001年はウエスタン・リーグで規定打席不足ながら打率3割をマーク、翌2002年にも規定打席不足ながら打率.367をマーク。認定でウエスタン・リーグの首位打者となり、第15回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表 インターコンチネンタル杯の日本代表にも選出された。
川﨑麻世(かわさきまよ、1963年3月1日-)はタレント、俳優、歌手。京都府京都市生まれ。大阪府枚方市育ち。
デビュー前、大阪・よみうりテレビの素人参加番組パクパクコンテストで人気を博していた。(同番組出身者は他に松原秀樹、草川祐馬などがいる。)
1977年「ラブ・ショック」で歌手としてデビュー。ブロマイドが爆発的に売れ、人気アイドルとなる。美少年で鼻が高く、特に足が長いことで有名になった。すでに新御三家として第一線で活躍中の西城秀樹の物まねを得意としていた。
堀越高等学校 堀越高校卒業。同級生には曾我泰久。
歌手の仕事のかたわら、東京工芸大学短期大学部画像技術科を1983年に優等で卒業。
川崎洋(かわさきひろし、1930年1月26日 - 2004年10月21日)は、詩人。東京都出身。福岡県立八女高等学校 八女高校卒、西南学院専門学校英文科(現:西南学院大学)中退。ラジオ・テレビ・映画のシナリオも手がけている。長く読売新聞朝刊家庭面にて『こどもの詩(うた)』の選考を務めた。
混声合唱組曲「海のディヴェルティメント」「やさしい魚」(いずれも新実徳英が作曲)
海の不思議 (平成元年NHK全国学校音楽コンクール NHKコンクール中学校の部課題曲。平吉毅州が作曲)
風になりたい (平成17年NHK全国学校音楽コンクール NHKコンクール高等学校の部課題曲。寺嶋陸也が作曲)
ほか多数。
川崎病(かわさきびょう、英語 英Kawasaki disease)とは、おもに赤ちゃん 乳幼児にかかる急性熱性発疹性疾患。
小児急性熱性皮膚粘膜リンパ節症候群(英語 英MCLS: MucoCutaneous Lymph-node Syndrome)とも言われるが、世界的に川崎病(KD)が一般的。
(もっとも、若いころの川崎は、MCLSと呼ばないで川崎病と呼ぶと「私はそんな名前は付けていない」と言って怒ったそうである。)
1961年に日本赤十字社の小児科医川崎富作が患者を発見し、1967年に報告し名づけられた。名称と神奈川県川崎市との直接の関係はない。川崎公害に起因するぜんそくなどとの混同を防ぐため、「川崎富作病」と呼ぶべきだとの意見もある。