上沼 恵美子(かみぬま えみこ、1955年4月13日 - )は、日本のタレント、歌手である。兵庫県三原郡南淡町(現:南あわじ市)出身。血液型はO型。
関西を中心にバラエティー番組の司会者を多く務め、毒舌で知られる。所属は上沼事務所。夫は関西テレビ放送 関西テレビ取締役エグゼクティブプロデューサーの上沼真平(2006年、関西テレビを定年退職予定)
1971年、中学校卒業後、姉妹漫才コンビ「海原千里・万里」の妹海原千里(海原お浜・小浜門下)としてデビュー。当時は高校生ながら巧みな話術で一気に人気スターに。
1977年、現在関西テレビ取締役エグゼクティブプロデューサーの上沼真平氏と電撃結婚。コンビを解消し芸能界を引退、専業主婦になる。しかし、翌年、芸能界に復帰。(後に番組内で「自分は専業主婦は耐えられなかった。」と発言。)
雷門 獅篭(かみなりもん しかご、1971年8月12日 - )は、静岡県浜松市生まれの落語家、漫画家。関東学院大学中退。
1994年6月に落語立川流Aコースに入門し、立川 志加吾(たてかわ しかご)と命名される。
1998年、漫画『山遊亭海彦』(原作立川談四樓、作画さだやす圭)の5巻巻末「おまけ漫画」がきっかけとなり、同社「週刊モーニング」に漫画『風とマンダラ』を連載開始。漫画家としてデビューする。
1999年7月より2002年5月(No.142)まで、師匠である立川談志が「Web現代」に連載する『立川談志世相講談』のカットを担当する。また2002年4月にはNHKBS2の番組「金曜アニメ館」の司会を担当した。(2003年3月まで)
上條恒彦(かみじょうつねひこ、1940年3月7日 - )は俳優、歌手。長野県東筑摩郡朝日村 (長野県) 朝日村出身。三歳の時に父親をガンでなくす。
朝日中学を経て、1958年長野県松本県ヶ丘高等学校卒業後、同年4月上京。大森の荒物問屋の住み込み店員を手始めに、新聞店の配達員、サンドイッチマン、コンクリート工場の工員、ダンプカーの運転手、旅館の下働き、うたごえ喫茶の歌手など、約15種類の職業を経験する。1964年3月、初めて労音の仕事をし、世に出るキッカケができる。1968年結婚。翌年、長男の恒、次の年に次男の契が生まれる。1969年NHKのステージ101の初期メンバーとしてレギュラーになる。1971年グループ「六文銭」と共演した曲「出発の歌(たびだちのうた)」で、三重県合歓の郷の「ポピュラーソング・フェステバル”71」でグランプリ受賞。次いで、11月、第2回世界歌謡祭でグランプリを獲得。翌年1972年には紅白歌合戦で、ヤング101と共に、晴れやかで若々しい初出場を飾った。また、フジテレビジョン フジテレビ系列の時代劇「木枯し紋次郎」の主題歌「だれかが風の中で」を歌い、ヒットさせる。9月には「日本歌謡祭」で「橋」が入賞。1973年には、2月、沖縄海洋博の歌「珊瑚礁に何を見た」を吹き込む。「さよならの世界」で第4回世界歌謡歌唱グランプリを受賞。
上重 聡(かみしげ さとし、1980年5月2日 - )は、日本テレビ放送網 日本テレビアナウンサー。大阪府八尾市出身。立教大学コミュニティ福祉学部卒業。
1998年のPL学園中学校・高等学校 PL学園時代に全国高等学校野球選手権大会 夏の甲子園準々決勝で松坂大輔(横浜高校→西武ライオンズ 西武)と延長17回を投げ(先発は同じ3年の稲田投手、上重自身は7回から登板)、敗れたことで有名となった。立教大学時代には、右ひじを傷めたこともあり一時は野手に転向したが、2年のときに投手に復帰。2000年10月22日に、東京六大学野球連盟 東京六大学秋季リーグの対東京大学 東京大2回戦で36年ぶり、リーグ2人目の完全試合を達成した。この時のウイニングボールは上重直筆の「完全試合」のサイン入りで野球体育博物館に展示されている。
上坂 冬子(かみさか ふゆこ、1930年‐、本名:丹羽ヨシコ)は日本のノンフィクション作家である。
東京都出身。豊田東高校卒業後、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。
1959年、『職場の群像』で第一回中央公論社思想の科学新人賞を受賞したのを機に文筆活動をはじめ、以後ノンフィクション作家として執筆活動に専念する。初期には婦人問題に関する評論を手がけたが、昨今は昭和史・戦後史にまつわるノンフィクションが多い。1993年には第41回菊池寛賞、第9回正論大賞を受賞。1997年、『原発を見に行こう』で第17回エネルギーフォーラム賞(普及啓発賞)受賞。著書多数。
靖国問題など保守系論壇誌における発言も活発に行っている。保守的な論陣を張ることが多く、上坂を見出した鶴見俊輔らとは対極の立場でもある。思想の科学関係者らからは、新人時代に踏み台にしたと揶揄する声多し。
上坂 太一郎(かみさか たいちろう、1977年4月14日 - )は、愛知県名古屋市守山区出身の阪神タイガースに所属するプロ野球選手である。O型、身長175cm、体重75kg。右投右打。
内野手登録だが外野も守れる。
享栄高では全国高校野球選手権大会 甲子園に出場。社会人の王子製紙硬式野球部 王子製紙春日井では5番打者として活躍し都市対抗出場。1999年のドラフト会議 ドラフト5位で阪神に外野手として入団。当時スポーツ紙に「曽我部直樹 曽我部二世」と評された。
1年目の2000年9月13日対読売ジャイアンツ 巨人戦に1番レフトでスタメン出場し、プロ初安打を含む猛打賞、さらには二盗・三盗を連続で決め、鮮烈なデビューを飾った。特に連続盗塁については、当時の野村克也 野村監督が「阪神に来て、初めて野球をした気分だ」というコメントを残している。この日の相手先発がダレル・メイだったため、以後メイや左投手が先発のときは坪井を外して上坂をスタメンで起用する光景がしばし見られた。秋季キャンプでは和田豊の後釜に据えられ、セカンドの練習に励む。
神木 隆之介(かみき りゅうのすけ、1993年5月19日 - )は、埼玉県富士見市出身のアミューズ所属(前・セントラル子供タレント)の俳優・声優である。血液型はB型。
出生当初は体が弱かったので丈夫に育つようにと、2歳の時に母親が「セントラル子供タレント」へ入団させたのが芸能界に入るきっかけとなる。現在、ドラマ・映画・舞台・テレビCM・ラジオ等で活躍中である。
趣味は写真をとること、映画鑑賞。
かなりの鉄道ファン。ロケ先では現地の列車や鉄道駅 駅のスケッチをしたり、最近は、買って貰ったデジタルカメラで撮影をするのが楽しみらしい。また、東日本旅客鉄道 JR東日本が発行しているICカード、Suicaのペンギン (Suicaキャラクター) ペンギンの声も担当していた。
名前=上川徹
本名=
愛称=
カタカナ表記=カミカワ トオル
アルファベット表記=KAMIKAWA Toru
原語名=
原語表記=
国=日本
誕生日=1963年6月8日
出身地=鹿児島県鹿児島市
身長=181cm
体重=76kg
血液型=
所属チーム名=
ポジション=フォワード FW