上川隆也(かみかわたかや、1965年5月7日 - )は日本の俳優。東京都出身。血液型A型。
1989年中央大学経済学部(2部)を中退して、演劇集団キャラメルボックスに入団。
1995年、日本放送協会 NHKドラマ「大地の子」に主人公・陸一心役で出演し、脚光を浴びる。
2006年のNHK大河ドラマ功名が辻では山内一豊を演じ、仲間由紀恵とW主演。
中央大在学時に既に演技の魅力に取り付かれ個人演劇団を組織して日本各地を巡礼興行していた。その後、本格的に演劇の世界へ引き込まれ、キャラメルボックスに入団する。以後、主に舞台俳優として活躍していたが、その高度な演技力がテレビ関係者の誘いを受けるきっかけとなり、人柄から醸し出される印象がテレビ視聴者にも好感を与えてテレビ俳優としても人気が出る。とりわけNHKで全国区に知られるようになってからは一躍有名俳優となったが、あくまで舞台活動はそのまま続けており、テレビや映画で有名になった今現在でも舞台・テレビ両方で精力的に活動を続けている。
上方 よしお(かみがた よしお、1952年12月16日 - )は日本の漫才師。本名は松倉 善弘(まつくら よしひろ)。大阪府守口市出身。漫才コンビ『のりお・よしお』のツッコミ担当。吉本興業大阪本部所属。
上方柳次・柳太の弟子。
1973年、『上方慎一』の芸名で漫才コンビ『B&B (漫才) B&B』の2代目メンバーとして島田洋七とコンビを組むが、洋七の東京進出を反対し、コンビは解消。1975年、西川きよしの弟子で松竹芸能に当時所属していた西川のりおとともに『西川のりお・上方よしお』を結成。1980年代前半の漫才ブームで横山やすし・西川きよし、ザ・ぼんち、B&Bらとともに人気漫才コンビの地位を築いた。
神風正一(かみかぜ しょういち、本名:赤沢正一、1921年10月19日-1990年5月15日)は、香川県大川郡大内町 (香川県) 大内町(現在の東かがわ市)出身で二所ノ関部屋所属の元大相撲力士。元相撲解説者。最高位は関脇。
小学校時代は健康優良児に選ばれたという経歴をもち、1937年(昭和12年)5月場所に初土俵をふむ。順調に昇進し、1942年(昭和17年)1月新入幕、同時に入幕した輝昇勝彦・若瀬川泰二とともに若手として期待された。突っ張りを交えた颯爽とした取り口で関脇まで昇進したが、1950年、番付面の不満を理由に突如引退、年寄・片男浪を襲名したがまもなく廃業した。その後日本放送協会 NHKの相撲解説者として、独特の語り口で人気を博した。
上岡 敏之(かみおか としゆき、1960年‐)は、指揮者。東京都出身。
1979年に東京藝術大学に入学し、マルティン・メルツァー教授の下で指揮、作曲、ピアノ、ヴァイオリンを学び、在学中の1982年には安宅賞を受賞。1984年にはロータリーの奨学生としてハンブルク音楽大学に留学し、指揮をクラウスペーター・ザイベル師事。1986年にはマセフィールドの奨学金受けさらに研磨を積んでいる。
1987年に彼の音楽家としての活動がはじまる。この年、ハンブルク音楽大学で室内楽および伴奏の講師として地位を得るとともに、シュレスヒビ・ホルシュタイン州の州都キールの市立劇場でソロ・レペティートゥアおよび専属指揮者として契約。1992年までこの活動は続けられ、その後拠点をノルトライン・ヴェストファーレン州のエッセンに移し、エッセンの市立アールト劇場の第一専属指揮者として活躍。その間、エッセンの州立フォルクヴァンク音楽大学の吹奏楽および指揮法の講師も務めている。
上大岡 トメ(かみおおおか とめ、1965年 - )はイラストレーター、随筆家 エッセイスト。東京都生まれ。山口県宇部市在住。東京理科大学工学部建築学科卒業。一級建築士。
大成建設勤務を経てイラストレーターとなる。2004年7月に出した『キッパリ! たった5分で自分を変える方法』(幻冬舎)が100万部を超えるベストセラーになる。2005年11月には、第二段『スッキリ! たった5分間で余分なものをそぎ落とす方法』が発売された。
現在は、「ほぼ日刊イトイ新聞」や「Shes.net」などで連載している。また、エフエム山口のキャラクター「緑山タイガ」のデザインも手がけた。
進研ゼミ小学講座やこどもちゃれんじの保護者向け情報誌のさし絵も手掛ける。
神尾 米(かみお よね, 1971年11月22日 - )は、神奈川県横浜市出身の元女子プロテニス選手。東海大学付属相模高等学校 東海大相模高校卒業。伊達公子の刺激で日本女子テニス界が最盛期にあった頃に活躍した選手のひとりである。シングルス自己最高ランキングは24位(1995年10月16日付)。これは当時の日本女子では3位にあたり、1番手は伊達、2番手は沢松奈生子に続く好位置につけていた。現役時代はブリヂストンスポーツに所属した。
母親の影響で10歳からテニスを始め、高校卒業後の1990年にプロ転向。主な成績は、全日本テニス選手権で1994年のシングルス優勝、1996年のダブルス優勝がある。グランドスラム (テニス) 4大大会でも、1995年に全豪オープン、ウィンブルドン選手権 ウィンブルドンと全米オープン (テニス) 全米オープンの3大会で3回戦進出を果たし、とくに全米オープンでは刺傷事件からの復帰を果たした第2シードのモニカ・セレシュに挑戦している。ただし全仏オープンでは1度も初戦を突破できなかった(1994年~1996年の3度出場)。しかしテニス経歴がピークにあった頃、慢性的な肩の故障を抱え、再起不能の宣告を受ける。1997年2月の「全日本室内テニス選手権」優勝を最後に、25歳の若さで現役を引退した。第一人者の伊達公子が1996年11月に世界ランキング8位で突然の引退をした直後、すぐに3番手の神尾も日本女子テニス界を去ることになった。
神内 靖(かみうち やすし、1983年8月12日 - )は福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手。京都府綾部市出身。ポジションは投手で、背番号は38。
延岡学園高等学校から2001年にドラフト会議 ドラフト4巡目でダイエー(現ソフトバンク)に入団。高校2年の夏には甲子園に出場。宮崎県ではチームの同僚である寺原隼人と並ぶ評判の投手だった。
1年目から結果を残した寺原とは対照的に、課題の制球難から2軍でも満足な成績を残せずにいた。3年目の2004年7月25日の対千葉ロッテマリーンズ ロッテ戦でプロ初先発。勝利投手にはなれなかったが、7回までを無失点に抑える好投を見せた。この試合での好投が認められ、この年は12試合に登板。翌2005年は中継ぎとして46試合に登板し、一軍に定着。防御率3.26、17ホールドポイント HPと好成績を残した。
鎌田 祐哉(かまだ ゆうや 1978年11月27日 - )は、平成期(2000年代-)の東京ヤクルトスワローズ ヤクルト所属のプロ野球選手(投手)である。秋田県秋田市出身。
秋田経済法科大学附属高等学校 秋田経法大附属高校から早稲田大学を経て、2000年ドラフト会議 ドラフト2位でヤクルト入団。前年ドラフト2位でヤクルトに入団した藤井秀悟は早大の1年先輩である。入団当初からまとまった投手として期待されたものの、故障でなかなか地力を発揮できなかった。しかし2002年後半に3勝を挙げたことで自信を掴んだ。2003年はいい投球を見せるものの前半は勝運に恵まれなかったが、後半はその不運も払拭。勝ち星を倍増し、2完封を含む6勝。ほぼローテーションに定着した。
鎌田 實(かまた みのる、1948年 - )東京都出身の医者である。
東京医科歯科大学卒業後、長野県諏訪中央病院医師として、「住民とともに作る地域医療」の最前線に取り組んできた。1988年、今井澄のあとを受けて同病院院長就任。またチェルノブイリ原子力発電所被爆事故の患者の治療にも協力し、信濃毎日新聞賞を1994年に受賞した。著書「がんばらない」は西田敏行の主演でテレビドラマとしても放映された。現在は諏訪中央病院名誉院長であり、またNHKラジオ第1放送の祝日特別番組「鎌田實のいのちの対話」のパーソナリティーとしても出演している。
日本の医学者 かまたみのる
1948年生 かまたみのる
鎌田 道隆(かまだ みちたか、1943年 - )は歴史学者。専攻は日本近世史。奈良大学学長。鹿児島県屋久島生まれ。立命館大学大学院文学研究科修了。文学博士。奈良大学助教授・教授を経て、2002年より学長。平城遷都1300年記念事業協会評議員。
「近世都市 京都」(角川書店)
「京 花の田舎」(柳原書店)
「渡辺崋山」(平凡社)
「江戸時代で遊ぶ本 カラクリ玩具をつくろう」(河出書房新社)
「近世京都の都市と民衆」(思文閣出版)
2004.7-2004.8 『日本放送協会 NHK 趣味悠々 「作って遊ぶ! からくり玩具」』(計 9 回)に出演。車だん吉、宮内美穂らにからくり玩具の何たるかを教授。車氏に ”先生、女性に甘いでしょう!” と指摘されても彼の作ったからくりには 95 点や 100 点満点をあげるという、仏のようなやさしい一面をみせ、和気あいあいとしたなごやかな番組であった。