鏑木 清方(かぶらき きよかた、1878年(明治11年)8月31日 - 1972年(昭和47年)3月2日)は、明治~昭和期の日本画 日本画家。なお、姓は「かぶらぎ」でなく「かぶらき」と読むのが正しい。
清方は、近代日本の美人画家として上村松園と並び称せられる。作品は風景画などはまれで、ほとんどが人物画であり、単なる美人画というよりは明治時代の東京の風俗を写した風俗画というべき作品が多い。
清方は1878年、東京都 東京・神田 (千代田区) 神田に生まれた。本名は健一。満13歳の1891年(明治24年)、浮世絵師の系譜を引く水野年方に入門した。翌年には日本学園中学校・高等学校 日本中学をやめ、画業に専心している。16歳ころから清方の父親が経営していた「やまと新聞」に挿絵を描き始め、十代にしてすでにプロの挿絵画家として活躍していた。
川平 慈英(かびら じえい、1962年9月23日 - )は、沖縄県出身の男性俳優、タレントである。また、熱狂的なサッカー好きとしても知られ、サッカー関連番組のキャスターを多数務めている。ケイ・ファクトリー所属。名前はJ(ジェイ)・カビラと表記される場合もある。愛称:「ジェイカビ」
元アナウンサー(琉球放送→沖縄放送協会→日本放送協会 NHK)で現在は昭和女子大学職員の川平朝清は実父、タレントでJ-WAVEのナビゲーターとして知られるジョン・カビラ(本名・川平慈温)、元日本マクドナルドマーケティング本部本部長の川平謙慈(現在シカゴ在住)は実兄。
1972年5月15日の沖縄返還 沖縄本土復帰に伴う父親の転勤で家族と共に東京に転居。玉川学園高等部時代、読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ1969)のユースチームに在籍した。中高生時代はサッカー部、クリエイティブムーブメント部、そして英語劇部に入部していた。英語劇部では「ジーザスクライストスーパースター」や「WEST SIDE STORY」(Baby John役)等のミュージカルに出演した。卒業後、一旦玉川大学に入学するが、すぐに中退してテキサス州立大学にサッカー留学した後帰国し(サッカー部の監督と方針を巡って意見が対立した為)、上智大学卒業。大学在学中にミュージカル俳優としてデビューする。その後もテレビ朝日「ニュースステーション」やテレビ東京「三菱ダイヤモンド・サッカー」のキャスターとして自らのサッカー経験を生かしたユニークな解説で人気を集める。テレビの他、舞台、映画、ラジオでも活躍。特にテレビ東京『ASAYAN』ナレーションでの決まり文句「いいんです!」(これは兄のジョン・カビラも使っていることがある)が有名になった。尚「ニュースステーション」に於いては、1997年の1998 FIFAワールドカップ サッカー・ワールドカップ・フランス大会特集で「いーんですか!?・・・・いいんです!」と使われている。
華原 朋美(かはら ともみ、本名・下河原朋美(しもがわら ともみ)、1974年8月17日 - )は、日本の女性歌手、タレント、女優。身長156cm 体重43kg
愛称は「朋ちゃん」。ラテン文字表記は「tomomi kahara」。代表曲に『I”m proud』『I BELIEVE』など。表現力に秀でており、小室哲哉に「愛を歌うことが出来る人」と称された。
東京都江東区亀戸生まれ、千葉県浦安市育ち。血液型はA型。松蔭学園(中学・高校)卒業。
所属事務所はプロダクション・尾木、所属レコードレーベル レコード会社はユニバーサルミュージック (日本) ユニバーサルミュージック・A&Mレコード(ユニバーサルシグマ・A&M)。
憧れの歌手として、中山美穂やマライア・キャリーを挙げている。中山とは、ミュージックステーション (テレビ番組) Mステや、自身が3代目の司会 パーソナリティーを務めた「TK MUSIC CLAMP」初回の対談ゲストとして、共演を果たしている。
樺山紘一(かばやま こういち、1941年(昭和16年)-)は東京生まれの歴史学者。専門はフランス中世史。
堀米庸三の弟子。
1965年 東京大学文学部卒業
1968年 東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了
1969年 京都大学人文科学研究所助手
1976年 東京大学文学部助教授
1990年 東京大学文学部教授(98年 文学部長)
2001年 国立西洋美術館館長
2005年 印刷博物館館長
『ゴシック世界の思想像』(岩波書店, 1976年)
『ルネサンス周航』(青土社, 1979年)
『カタロニアへの眼――歴史・社会・文化』(刀水書房, 1979年)
『西洋学事始』(日本評論社, 1982年)
『地中海の誘惑』(中央公論社, 1985年)
『ヨーロッパの出現』(講談社, 1985年)
下野康史(かばたやすし、1955年2月7日-)は、日本の自動車評論家。
立教大学社会学部産業関係学科卒業後、二玄社に入社。自動車情報誌『カーグラフィック』、『NAVI』の編集に携わる。
1988年夏から、フリーランスのジャーナリストとして活動。
専門用語をあまり用いない平易な自動車解説が特徴で、自動車専門誌のみならず一般誌に記事を寄せるケースも多い。
ロードレース (自転車競技) 自転車ロードレース愛好家としても知られており、東京糸魚川ファストランに毎年参加している。
乗んなきゃわかんない (1989年 1989/11月 11、朝日新聞社)
自動車最新事情 クルマニカ―あなたの個性を活かすベスト・チョイス〈’91〉(1990年 1990/12月 12、祥伝社)
椛田 早紀(かばた さき、1981年12月22日、AB型)は、日本の歌手。大分県別府市出身。私立女子大学文学部日本文学科卒業。身長152cm、体重38kg。現在未所属。
1998年テレビ東京系『ASAYAN』モーニング娘。追加オーディションで最終審査16名まで勝ち残る。その後2001年、同番組の敗者復活オーディションに参加し最終審査4名まで残り、レコード会社4社からのオファーを受ける。
そして馬場一嘉(G.&Cho./Arr./Sound P.)、eiri(G.)、吉田純子(Key.&Cho./Compose)と共にユニット"CLOVER"を結成し、2001年8月22日フォーライフレコード(現在:フォーライフミュージックエンタテイメント)よりシングル「あたりまえのこと」(日本TV系「ニッテる!」エンディングテーマ)でデビュー。2002年12月4日、伊勢正三プロデュースによる椛田早紀としてのソロシングル「Fish」(TBS系TV「B-1(ビー・ワン)」エンディングテーマ)をリリース。2004年3月18日"プレイステーション2"用ゲームソフトナムコ『塊魂 カタマリダマシイ』挿入歌「LONELY ROLLING STAR」(歌謡エレポップ)を担当する。2004年8月7日より渋谷シネクイント他全国ロードショーの劇場アニメーション『MIND GAME』に声優としてオウタ役で出演。
KABA.ちゃん(カバちゃん、本名:椛島 永次(かばしま えいじ)、1969年6月19日 - )は、福岡県生まれの日本の振付師、タレント。血液型はA型。熊本県立熊本北高等学校中退。アンセム (芸能プロダクション) アンセム所属。
1996年、小室哲哉がプロデュースする三人組のダンスユニット・dos (音楽ユニット) dosのメンバーとして「ASAYAN」からデビュー。dos結成以前から現在まで、SMAPや安室奈美恵や華原朋美などの振付師として活躍している。2003年に発売されたSMAPの大ヒット曲「世界に一つだけの花」の振付を担当した。
dos時代、話すとついオカマのキャラクターが出てしまうため、事務所サイドから緘口令を敷かれていたという。そのため「森田一義アワー笑っていいとも! 笑っていいとも!」の名物コーナー「テレフォンショッキング」にも、他の2人のメンバーは出演したが、本人だけ「風邪」という理由で欠席したほど。だが数年後にはdosとしてではなく「SMAPの振付師」という肩書きでオカマキャラのまま出演したことがしばしばあり、2005年3月23日までは『笑っていいとも!』の隔週水曜レギュラーとなっていた。
叶 和貴子(かのう わきこ、本名:高松 和貴子、1956年4月23日 - )は、北海道函館市生まれ。昭和後期から平成期(1980年代-)の女優。よく、「かのわ たかこ」と読まれるが「かのう わきこ」と読むのが正しい。
1977年に桐朋学園大学 桐朋学園短期大学音楽科を卒業後、1980年に東京放送 TBSのテレビドラマ『源氏物語』の紫の上役でデビューした。細面の美人として当初から評判が高く、「和服のよく似合う美人女優」とのイメージにあった役どころが多い。一方で、子供向け特撮番組への出演やヌード写真 ヌード写真集の出版などの幅広い芸歴も持っている。
1991年に関節リウマチであることが判明し、病状の悪化を受けて、1997年にいったん芸能活動を休止し、治療に専念した。2000年に活動を再開。現在は、闘病経験をもとに健康をテーマにしたテレビジョン テレビ、ラジオのトーク番組出演や講演を中心とした活動を行っている。
加納 竜(かのう りゅう1956年3月26日 - )は、広島県出身の俳優・元アイドル歌手。本名・山地 弘之(やまじ ひろゆき)。血液型・O型。アクターズプロモーション所属。
広島県立可部高等学校在学中にテレビに出たのがきっかけで、1974年に高校卒業後すぐ上京、翌年夏に歌手としてデビュー。松竹映画『愛と誠・完結編』に主演し、主題歌もヒットするが、その後は俳優として活躍する。
同心部屋御用帳 江戸の旋風II (1976年 - 1977年 フジテレビジョン CX系)
華麗なる刑事 (1977年 CX系)
刑事犬カール (大島孝司 役)(1977年 - 1978年 東京放送 TBS系)
鉄道公安官 (ドラマ) 鉄道公安官 (星野 一 役) (1979年 テレビ朝日 ANB系)
狩野 舞子(かのう まいこ、1988年7月15日 - )は、東京都三鷹市出身のバレーボール選手。現在八王子実践高等学校3年生で、日本のバレーボール界において将来が期待されている選手の一人である。
両親と姉もバレーボール選手で、母親と姉は八王子実践高等学校のOGである。また、姉の狩野美雪はVリーグ・久光製薬スプリングスの選手である。
到達点
小学校4年生のときに、三鷹市の大沢スポーツクラブでバレーボールを始める。八王子実践中時代には全国都道府県対抗中学バレーボール大会の東京都代表に選ばれ、卒業間近になった頃にはアテネオリンピック (2004年) アテネオリンピック日本代表候補18人の中の一人に選ばれた(中学生が選ばれたのは中田久美以来24年ぶり)。しかし、成長期であるこの頃から、骨の成長に背中の筋肉の発達が追いつかないことが原因である腰痛に苦しむことになり、結局アテネ五輪の代表になることはできなかった。八王子実践高校に進学してからは1年生ながらエースとなり、2年生からはキャプテンとして、腰痛と戦いながらチームを率いている。
狩野 芳崖(かのう ほうがい、文政11年1月13日 (旧暦) 1月13日(1828年2月27日) - 明治21年(1888年)11月5日)は、明治期の日本画家。
1828年下関に生まれる。ほぼ同時代を生きた高橋由一が、日本近代洋画の最初の画家だとすると、近代日本画史の劈頭を飾るのは芳崖であろう。由一にとってイギリス人画家ワーグマンとの出会いが決定的であったのと同様、芳崖にとってはアメリカ人の美術史家アーネスト・フェノロサ フェノロサとの出会いが重要であった。日本美術を高く評価していたフェノロサは、日本画の伝統に西洋絵画の写実や空間表現を取り入れた、新・日本画の創生を芳崖に託した。フェノロサと知り合った1882年、すでに54歳であった芳崖に残された時間はあまり多くなかったが、さまざまな試行錯誤の結果、畢生の名作「悲母観音」が誕生した。この絵の観音像の衣文表現などには仏画や水墨画の描法が看取される一方、色彩感覚や空間把握には西洋画の息吹が感じられる。芳崖は東京美術学校(現・東京藝術大学)の教官に任命されたが、「悲母観音」を書き上げた4日後の1888年11月5日、同校の開学を待たずに死去した。
加納 典明(かのう てんめい、1942年2月1日 - )は、愛知県名古屋市出身の写真家である。
その他、タレント・エッセイスト等として幅広く活躍。
名古屋市立工芸高等学校デザイン科卒業後、名古屋市在住の写真家・小川藤一に師事。
1962年に上京し、杵島隆に師事。その後、独立してフリーの写真家として広告業界を主な活動の場とする。
1969年、平凡出版社の「平凡パンチ」ニューヨーク特集個展(FUCK)を開催し、脚光を浴びる。
以降、写真家としての活動以外にも映画やテレビに出演するようになり、一時期畑正憲の「ムツゴロウ王国」へ移住していたこともある。
1993年「月刊THE TENMEI」創刊。1994年写真集「きクぜ」を発売し、物議を醸す。1997年「SPEED」の写真集(ワニブックス)や「沖縄アクターズスクール」の写真展を手がける。
狩野 探幽(かのう たんゆう、 慶長7年1月14日 (旧暦) 1月14日(1602年3月7日) - 延宝2年10月7日 (旧暦) 10月7日(1674年11月4日))は、江戸時代の絵師。京都生まれ。 狩野永徳の孫にあたる。
探幽は江戸時代の狩野派を代表する絵師。名は守信。早熟の天才肌の画家で、11歳のとき、駿府で徳川家康に謁見。15歳にして将軍の御用絵師となる。探幽は江戸城、二条城、名古屋城などの公儀の絵画制作に携わり、大徳寺、妙心寺などの有力寺院の障壁画も制作している。山水、人物、花鳥など作域は幅広い。また、自らが目にした古今の名画を縮図として模写しており、それらは「探幽縮図」と呼ばれて、現在まで膨大な量が残っている。「探幽縮図」は、歴史資料、絵画資料としてもまことに貴重なものとなっている。以上のように名実ともに江戸時代を代表する画家であった探幽は、近代に入って不当に低い評価を与えられていたが、近年、その真価が再評価されている。