金丸 信(かねまる しん、大正3年(1914年)9月17日 ‐ 平成8年(1996年)3月28日)は、昭和・平成期における日本の政治家、衆議院議員(12期)。
1914年9月17日、山梨県中巨摩郡今諏訪村(現・南アルプス市)に、父・金丸康三と母・とくの長男として生まれる。金丸家は、「里見八犬伝」から、子どもの名前をつけており、3番目に生まれた長男は、「信」と名づけられた。(なお、兄弟は、上から、れい・てい・信・仁・忠・智義と付けられている。)当時の金丸家は、酒造屋であり、多くの使用人を抱えている裕福な家であった。
西野小学校を卒業の後、父の友人が校長をしていた、旧制身延中学校(現・山梨県立身延高等学校)に入学をした。旧制身延中では、父の友人が剣道の師範をしていたことから、剣道を学校でしていたが、試合で頭を叩かれたことが原因で、剣道嫌いとなり、柔道に精進した。
金原瑞人(かねはらみずひと, 1954年11月29日 - )は、翻訳家・児童文学研究家・法政大学社会学部教授。作家金原ひとみの実父。
1989年に見学したアイオワ大学の創作ゼミに触発され、法政大学で小説創作ゼミを開講した。このゼミは、古橋秀之、秋山瑞人といった小説家を輩出している。
1973年 岡山県立岡山大安寺高等学校卒業
1979年 法政大学文学部英文学科卒業
1982年 法政大学大学院人文科学研究科英文学専攻修士課程修了
1985年 法政大学大学院人文科学研究科英文学専攻博士課程単位取得満期退学
1985年 法政大学第一教養部非常勤講師
1989年 法政大学社会学部専任講師
1991年 法政大学社会学部助教授
金原 ひとみ(かねはら ひとみ、1983年8月8日 - )は、日本の小説家。
東京都出身。父は児童文学研究家・翻訳家の金原瑞人。文化学院高等課程中退。2003年に『蛇にピアス』が第 27 回すばる文学賞を受賞・出版、2004年に第 130 回芥川龍之介賞 芥川賞を受賞した。
小学校 4 年生のとき不登校になって、中学、高校はほとんど通っていないという。12 歳の時に小説を書き始めた。父が法政大学でゼミを開いていたので、中 3 ではあったが、めいっ子の高校生という事にして他の大学生と同じように創作をしていた。20 歳で周囲に勧められてすばる文学賞に応募した。
芥川賞受賞作である『蛇にピアス』は、芥川賞の選評において、宮本輝が、「はじめは、その手の作品かと思ったが、何故だか心に残る」として推奨した。河野多恵子や村上龍、山田詠美らの選考委員も、甘さはあるが、細部まで描き尽くそうとする点を高く評価した。石原慎太郎は、現代の若者のピアスや入れ墨について、自己の理解の範囲が及ばないことに言及し、浅薄な表現衝動に過ぎないという選評を寄せた。
兼高かおる(かねたか かおる、1928年2月28日 - 本名:兼高ローズ)はジャーナリスト。神戸市生まれ。
東京・香蘭女学校卒業、ロサンゼルス市立大学留学、ジャパンタイムズのフリーライターを経て、1958年にスカンジナビア航空主催の世界早廻りに挑戦し73時間9分35秒の新記録を樹立する。これがきっかけとなり1959年(昭和34年)から1990年(平成2年)まで31年間に渡り、「兼高かおる世界の旅」(東京放送 TBS系)を放映、ナレーター、ディレクター兼プロデューサー役をこなす。取材した国は150カ国にわたり、距離にして地球を180周した計算になる。番組終了後、横浜市山下公園にある横浜人形の家館長に就任。
金田 龍之介(かねだ りゅうのすけ、1928年6月15日- )は、日本の俳優。
東京都出身。1933年、大阪天満八千代座にて初舞台、1956年に上京し、劇団新派に入団して伊志井寛に師事。1968年、「悪名十八番」(大映)で映画デビュー。以降、映画、テレビ、舞台で活躍。身長170cmながら体重98kgと、禿頭の巨漢というイメージが強い。気のいいお父さん役から、時代劇での悪役(特に悪僧)まで幅広く役柄をこなす。1969年に放送作家協会賞=「極楽夫婦」(NHK)、2001年文化庁長官賞、2004年第25回松尾芸能賞優秀賞を受賞。
交渉人 真下正義 (2005)
スーパーの女 (1996)
落陽 (1992)
あげまん(1990)
ぼくらの七日間戦争 (1988)
金田 政彦(かねだ まさひこ、1969年4月30日 - )は、大分県豊後高田市出身のプロ野球選手(投手)で、現在は東北楽天ゴールデンイーグルス所属。背番号は2005年は"28"を付けていたが、2006年からは"34"に変更(ちなみに、"34"は同姓の400勝投手金田正一氏の背番号としても知られている)。左投げ左打ち。ファンからは「金やん」の愛称で親しまれている。
高田高から社会人野球の日産自動車九州硬式野球部 日産自動車九州を経て、1992年のドラフト会議 ドラフト2位でオリックス・バファローズ オリックス・ブルーウェーブに入団。1995年にウエスタンリーグで最多勝を獲得。その後は一軍でも活躍し、1999年には11勝を挙げ、2001年には開幕投手を務めた。2002年は最優秀防御率のタイトルを獲得するも、味方打線の援護が少なく、4勝9敗の成績に終わる。分配ドラフトにより2005年に東北楽天ゴールデンイーグルス入り。
金田正一(かねだ まさいち、1933年8月1日 - )は、愛知県名古屋市出身のプロ野球選手・プロ野球監督、野球解説者・野球評論家。左投げ左打ち。愛称は「カネやん」。あるいは「カネさん」、また本人のいないところでは「天皇」とも言われた。
現役時代は東京ヤクルトスワローズ 国鉄スワローズ、読売ジャイアンツで活躍し、引退後は千葉ロッテマリーンズ ロッテオリオンズの監督をつとめた。球界唯一の400勝投手。現在は野球評論家、名球会代表幹事(会長)。また、株式会社カネダ企画の経営にも携わっている。
実弟は同じ国鉄に在籍した金田高義と金田星雄、北海道日本ハムファイターズ 東映・日拓、ロッテ、広島東洋カープ 広島で活躍した金田留広。息子は俳優の金田賢一。甥に広島、日本ハム、巨人で活躍した金石昭人(バドミントン選手陣内貴美子の夫)がいる。
兼田敏(かねだびん、1935年9月9日 - 2002年5月19日)は、日本の作曲家。日本における吹奏楽の普及に尽力。
旧満洲新京生まれ。引き上げ後京都に住み、中学校時代にコルネット奏者となる。京都市立堀川高等学校音楽課程を経て、東京芸術大学 東京藝術大学作曲科に入学。在学中下総晥一に師事。
岐阜大学教授、愛知県立芸術大学教授、岐阜大学大学院教授となり、居を岐阜市に構え、岐阜県にて音楽活動の中心とする。
日本管打・吹奏楽学会顧問、日本バンドクリニック委員会代表、ナゴヤ・ディレクターズバンド指揮者を歴任。
また保科洋(東京藝大での同期)と交流が深く、吹奏楽文化の普及をともにリーダーシップをとっていた。
金田 喜稔(かねだ のぶとし 1958年2月16日 -)は、広島県安芸郡 (広島県) 安芸郡府中町出身の元サッカー選手、サッカー日本代表選手。現解説者。
広島県立広島工業高等学校 県立広島工業(通称・県工)時代は、楚輪博、木村和司、石崎信弘、室野哲雄、猿沢茂らとスペクタクルなサッカーを展開し1976年全国高等学校サッカー選手権大会 高校選手権でベスト8、国民体育大会 国体準優勝。1977年高校選手権ベスト4。かつて御三家と言われながら、永らく低迷が続く広島高校サッカーが最後に輝いた瞬間だった。その後中央大学に進み2年生で日本代表に選ばれた。変幻自在のドリブルの名手として知られ、この頃から世界の強豪チームを相手にしても、切れ味鋭いドリブルは充分通用した。