香取慎吾(かとり しんご、1977年1月31日 - )は、日本の男性アイドルグループSMAPのメンバー。ジャニーズ事務所に所属。血液型はA型。愛称は慎吾くんまたは慎吾ちゃん。また、香取慎吾の特上!天声慎吾の影響から、王子と呼ばれることもある。
その親しみやすさは、慎吾ママ、NIN×NIN忍者ハットリくん(忍者ハットリくん実写版)でのハットリくん役、西遊記での孫悟空役等でジャニーズ随一とされている。身長180.9cm(番組内の測定で発覚)。寝起きは183cmあるという。
神奈川県横浜市鶴見区 (横浜市) 鶴見区出身。日本放送協会学園高等学校中退。
ジャニーズ入りのきっかけは母親が事務所に履歴書を送ったこと。ちなみに母親はジャニーズかボーイスカウトか中学受験で迷った。
角松 敏生(かどまつ としき、1960年8月12日 - )は、東京都出身のミュージシャン、音楽プロデューサー。身長168cm。
日本大学文理学部哲学科在学中に、ギタリストとして作成したテープがきっかけで、ボーカリストとして1981年にシングル「YOKOHAMA Twilight Time」ならびにアルバム『SEA BREEZE』でデビュー。デビュー当初のスタイルは当時流行していた大瀧詠一・山下達郎直系のリゾート・ポップスであったが、その後渡米し、NYファンク/ヒップホップをリアルタイムで取り入れた独自のダンスミュージックへと発展させ、OLを中心とした熱烈に支持するファン層を生み出してゆく。しかし、自己の体験を切り出す様な創作スタイルを続けてきたため、1990年代初頭の作品から徐々に内省的な作品が増え、インタビューでも思想的・哲学的な内容が多くなっていった。そして自身の音楽に対する絶望感を訴え、1993年をもって歌手としての活動の「凍結」を宣言し、休止してしまう。
角野 卓造(かどの たくぞう、1948年8月10日 - )は、俳優。東京都出身。学習院大学文学部卒。妻は女優の倉野章子。
東京放送 TBSテレビ放映のドラマ「渡る世間は鬼ばかり」の小島勇役として出演していることで有名。また、フジテレビジョン フジテレビで放映されたドラマ「HERO」では高視聴率だったこともあって、TBSのドラマ「渡る世間は鬼ばかり」の視聴率と合計して「視聴率50%の男」と言われた逸話もある。
1970年に文学座研究所に入所し、1974年に「花咲くチェリー」で初舞台。その後は数多くのドラマ・映画・舞台に出演し、現在総合俳優として活躍中。TBSドラマの常連として知られ、父親役多数。嫁と自分の母親(つまり嫁からすると姑)の間で苦労する役が多く、「板ばさみ俳優」と言われたことも(本人談)。
上遠野 浩平(かどの こうへい、1968年12月12日 - )は、日本の小説家、SF作家、推理作家。
法政大学第二経済学部商学科卒。
1998年、『ブギーポップは笑わない』で第4回電撃小説大賞 電撃ゲーム小説大賞を受賞し、デビュー。同作は、電撃文庫で当時、最高の発行部数を誇る人気作品となり、アニメ化・映画化もされ、ライトノベル界に多大な影響を与えた。西尾維新など,上遠野浩平の作品に影響された,と語っているライトノベル作家は多い。
最初は電撃文庫でライトノベルを主に執筆し、中高生を中心に絶大な支持を得ていたが、執筆の場はそこにとどまらず、講談社、徳間書店などでも作品を発表し、ライトノベルに限定されない活躍を見せている。
角野 栄子(かどの えいこ、1935年 1月1日 - )は、東京都生まれの童話作家、絵本作家、ノンフィクション作家、エッセイスト。日本福祉大学客員教授。早稲田大学教育学部英語英文学科卒業。
大学卒業後、出版社に勤務。1960年、25才の時にブラジルに2年間滞在。その体験をもとに描いたノンフィクション「ルイジンニョ少年、ブラジルをたずねて」で作家としてデビューする。
1985年に発表した『魔女の宅急便』は代表作のひとつであり、宮崎駿によりアニメ映画化され大ヒットした。この作品を書いたときは魔女について特に詳しかったわけではなかったが、映画のヒットに伴い魔女についての質問が多くよせられたのをきっかけに魔女について調べ始めた。魔女についての研究調査としたエッセイも執筆している。
門田 泰明(かどた やすあき)は、日本の小説家。
代表作は、「特命武装検事・黒木豹介」シリーズ(通称、黒豹シリーズ)
良い意味でも悪い意味でも、ダイナミックで迫力のある文章を書き、(宇宙空間での射撃など、故意に科学的常識を無視してしまっているところもある)大人から学生まで、幅広い人気を得ているベストセラー作家。
現代小説には珍しく、日本刀を用いた剣劇シーンが多く、その迫力あふれる文章表現から、本人も剣術・剣道の経験者であると言われている。
「特命武装検事・黒木豹介」
黒豹必殺
黒豹忍殺し
黒豹夢想剣
帝王コブラ
黒豹スペ-ス・コンバット
黒豹奪還
黒豹ダブルダウン
門倉 健(かどくら けん、1973年7月29日-)は横浜ベイスターズに所属する投手、背番号は24。長身から投げるストレートと鋭く落ちるフォークが武器。
ニックネームは「アゴ倉」「モアイ」。アゴの長い顔が特徴。本人はそれを気に入っているらしく、自分より顔の長い野球選手がいると悔しがる。「アゴの長さでは現役一」を自称。(門倉以外に顎が長くて有名な選手は手嶌智と内川聖一くらいだが、とある番組で清原和博に顔の長さを測定して負けたとき本気で悔しそうな顔をしていた)
ヒーローインタビューでお立ち台に上がると観客とともに猪木コールをやるのが恒例。
TBS系列の「うたばん」では、たびたび登場する山内あゆがMCの石橋貴明に「お前門倉に似てるじゃねぇか!」と「門倉」呼ばわりされており、その縁で門倉タオルをプレゼントしたこともある。
角川 博(かどかわ ひろし、1953年12月25日 - )は芸映、キングレコード所属の演歌歌手、タレントである。広島県広島市出身。私立広陵高等学校 (広島県) 広陵高等学校卒。
広陵高校で野球部に所属。角川在籍時に広陵は春夏3度甲子園に出場。特に1970年選抜高校野球大会 春選抜大会は広島東洋カープ、北海道日本ハムファイターズ 日本ハムファイターズで活躍した佐伯和司を擁して、優勝した島本講平の箕島高校に準決勝で敗れた。但し角川はレギュラーでは無い。キャッチャーをやっていて佐伯の球を捕らされ恐くて辞めたらしい。しかし後年の芸能人野球大会では何度か出場し力の違うところは見せていた。高校卒業後、地元広島の歓楽街流川や福岡市 福岡博多のクラブで歌い、中洲で歌っているところスカウトされ上京。1976年4月、『涙ぐらし』でデビュー。同年、第18回日本レコード大賞新人賞、第9回日本有線大賞新人賞をはじめ、新人賞を総なめにした。翌年には『許してください』で紅白歌合戦に出場を果たす。女心を歌わせたらトップクラスの力量を持つと言われ五木ひろしが妬いた、とも言われる。しかし本職よりもものまね歌手としての方が知名度が高いか。ものまね番組創成期にもよく出演したのでパイオニアの一人なのかも知れない。レパートリーは美空ひばり、越路吹雪などだが、特に公演で美空ひばりの『悲しい酒』を謳い上げお客様を感動させている。
角川 春樹(かどかわ はるき、1942年1月8日 - )は、日本の実業家、映画監督、俳人。角川春樹事務所特別顧問、幻戯書房会長。
富山県に生まれ、東京都杉並区に育つ。杉並第五小学校・天沼中学校から國學院大學久我山高等学校 國學院久我山高等学校に進む。高校在学中は剣道部に所属。早稲田大学史学科への進学を希望して早稲田大学文学部を受験し合格したが、國學院大學理事の地位にある父の懇願で國學院大學文学部に進学。在学中は拳闘部に所属してボクシングに熱中。大学3年の時には、渋谷ハチ公前で全学連相手に大立ち回りを演じ、新聞沙汰になったこともある。
角川書店時代には、1970年から映画『ある愛の詩』『いちご白書』の原作本を始めとして、洋画の原作やノベライズを次々と刊行。フレデリック・フォーサイスを日本に紹介した。さらに過去の作家となっていた横溝正史のブームを仕掛け、映画製作に乗り出すと、1970年代後半から1980年代にかけていわゆる角川映画で一世を風靡した。このときにメディアミックス路線を敷いてエンターテイメント中心とした文庫戦略は、後に他の出版社も追随して、これまで名作文学や古典が中心だった文庫本のあり方に変革をもたらした。
角川 歴彦(かどかわ つぐひこ、1943年9月1日 - )は日本の実業家。東京都出身。学歴は早稲田大学高等学院を経て早稲田大学政治経済学部卒業。学位は学士 政治学士(早稲田大学)。角川書店創業者の角川源義は父、同社前社長の角川春樹は実兄。
角川書店には1966年の大学卒業と同時に入社。1975年に専務、1992年に副社長に昇格した。テレビ情報誌の『ザテレビジョン』や都市生活情報誌の『東京ウォーカー』など雑誌部門を育てて経営に貢献したと言われる。ゲーム分野の子会社の角川メディアオフィスの社長も務めていたが、1992年の9月に経営路線の対立で春樹により角川書店副社長を辞任させられる。角川メディアオフィスの従業員のほとんどが歴彦について退社し、歴彦は主婦の友社の協力を得てメディアワークス(現在は角川グループ系列)を創業した。翌1993年、春樹が角川書店社長を解任されたことで、顧問として角川書店復帰、同年に社長に就任した。
角川 源義(かどかわ げんよし、男性、1917年(大正6年)10月9日 - 1975年(昭和50年)10月27日)は角川書店(現・角川ホールディングス)の創立者、俳人である。富山県富山市(旧東水橋町)出身。俳号は源義(げんぎ)。旧制の神通中学校(現在の富山県立富山中部高等学校)から國學院大學文学部国文科を卒業。
国文学者・民俗学の研究者出身であり、中学校教師を経て、1945年(昭和20年)11月に角川書店を設立した。
辺見じゅん(作家、幻戯書房代表)、角川春樹(俳人、角川春樹事務所特別顧問、幻戯書房会長)、角川歴彦(角川ホールディングス社長)の父にあたる。
井沢元彦の小説『GEN-源氏物語秘録』や荒俣宏の小説『帝都物語』に登場する。また関連書籍として鎗田清太郎 著の『角川源義の時代 角川書店をいかにして興したか』がある。
加藤 良三(かとう りょうぞう、1941年 - )は日本の外交官。
東京都出身。東京大学法学部を経て、1965年(昭和40年)に外務省に入省した。オーストラリア、エジプトの大使館で書記官を務めた後、帰国して条約局および北米局で勤務した。1987年(昭和62年)に在アメリカ合衆国公使に任命され、その後サンフランシスコ領事、アジア局長、総合外交政策局長、外務審議官などを務め、総政局長→次官へのコースを川島裕同様切り拓くかと見えたが、田中真紀子外務大臣と外務省とのいさかいを受けて、次期次官には野上義二が座り、加藤は、2001年(平成13年)に在アメリカ合衆国大使に任命された。