山本 和範(やまもと かずのり、1957年10月18日- )は、福岡県北九州市八幡東区出身のプロ野球選手。左投げ左打ち。ポジションは外野手。1994年後半戦から1995年は登録名をカズ山本とした。愛称はドラさん、ドラキュラ、ドラ、カズ。現在は吉本興業所属のタレントで、カズ山本として活躍している。
1976年、戸畑商から大阪近鉄バファローズ 近鉄バファローズにドラフト会議 ドラフト5位で投手として入団、すぐ外野手に転向。二軍では3年連続3割を記録するが、一軍では全く結果を残せず、1982年に解雇。引退と郷里・福岡への帰郷を決意していたが、同僚だった久保康生投手に引き止められ、大阪に残る。一旦はバッティングセンターでアルバイトをしていたが、1983年、穴吹義雄監督の誘いで福岡ソフトバンクホークス 南海ホークスに入団。1984年に右翼手のレギュラーを獲得。1986年には初めてオールスターゲーム オールスターに監督推薦で出場。難聴で打球音が聞こえないハンディを抱えながらも、この年ゴールデングラブ賞を受賞。
梶原真弓(かじわら まゆみ、1967年2月12日 - )は日本の女性タレント。埼玉県戸田市出身。私立浦和実業学園高等学校卒。
1987年放送のテレビ朝日の番組「胸キュン刑事」で主演デビュー。1994年結成のシェイプUPガールズのメンバーとしても活躍している。ゴルフへの造詣も深く、芸能人ゴルフ大会の常連メンバーでもある。
幼稚園から中学1年まで水泳を習っていて、ジュニアオリンピック強化指定選手で、ジュニアオリンピック出場。
1994年の某番組で、水泳芸能界No.1とも言える井上晴美を下す大金星を挙げた。
最近は、同メンバーの中島史恵と活動することが多い。
また、2004年10月にゴルフショップを経営する青年実業家と結婚した。シェイプUPガールズでは、今井恵理に続いて2人目の既婚者となる。
梶原 拓(かじわら ひろむ、一般には”かじわら たく”として知られる。1933年(昭和8年)11月14日 - )は、岐阜県岐阜市出身。岐阜県立岐阜高等学校、京都大学法学部卒。前岐阜県知事、旭日大綬章受章者。
京都大学を卒業後、旧建設省に入省し、都市局局長等を歴任。1985年に当時の上松陽助知事のもと、副知事となる。その後、1991年(平成元年)に夢おこし県政を掲げ岐阜県知事に初当選。以降4期16年にわたって岐阜県の知事を務め、全国知事会長も歴任するなど国から地方への政治の流れの中に身を投じた。IT戦略会議構成員を務め、ソフトピアジャパンを立ち上げた。一方でハコモノ行政を行い民業を圧迫したとの批判もあった。
梶原 しげる(かじわら しげる、本名・梶原茂、1950年7月26日 - )は、神奈川県茅ヶ崎市出身のフリーアナウンサー。
神奈川県立外語短期大学附属高等学校、早稲田大学第一法学部を卒業。1973年に文化放送入社。1991年末に退社。その後はタレント活動を続けながら、東京都北区 (東京都) 北区にある東京成徳大学大学院で臨床心理学を勉強していた。
プロ野球中継の実況アナウンサーを務めたこともあったが、野球のイロハを知らなかったことで野球解説者の別所毅彦に叱られた。それ以降、スポーツ中継の実況はやっていない。にも拘らずフリー転身後は「ラスタとんねるず”94」(GIANT SHOWGI)や「フードバトルクラブ」といったスポーツの要素を含んだ番組でなかなかの実況の腕前を披露した。2006年には日韓合作映画「力道山」にプロレス実況役で出演。
柏原 崇(かしわばら たかし、1977年3月16日 - )は日本の俳優。山梨県甲府市出身。血液型はA型。亜細亜大学中退。JVCエンタテインメント・ネットワークス所属。愛称は「カッシー」。
俳優・歌手の柏原収史は実弟。ファミリーマートのコマーシャル CMで共演したり、ロックバンド「No”where」を結成(現在、活動休止中)したりしている。
1993年 第6回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストでグランプリを受賞。翌年、テレビドラマ「青春の影」で役者デビュー。
1995年 映画『Love Letter』でスクリーンデビューし、同年の日本アカデミー賞新人賞を受賞。
1996年 ドラマ『白線流し』(フジテレビジョン CX系)で不器用な優等生・長谷部優介役を好演。以後、白線流しは10年間にわたってシリーズ化され、役柄とともに成長する姿を見守り続けるファンも多い。柏原本人も、このドラマには思い入れが深く、病気療養からの復帰、傷害事件の謹慎からの復帰、ともにこのドラマで果たしている。
柏原収史(かしわばら しゅうじ、本名同じ、1978年12月23日- )は、日本の俳優、ミュージシャン。山梨県甲府市出身。血液型はA型。メリーゴーランド所属。
1993年、実兄である柏原崇の「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」の最終オーディションを見に来ていた所をスカウトされ、芸能界入り。当時の事務所は「トライストーン・エンタティメント」。翌年、TVドラマ「人間・失格」で役者デビュー。
2000年に公開された映画「スリ」(黒木和雄監督)で日本映画評論家大賞・新人賞を受賞。
兄の崇とはファミリーマートのCMで共演したり、ロックバンド「No”where」を結成(現在、活動休止中)したりしている。
柏戸剛(かしわど つよし、1938年(昭和13年)11月29日 - 1996年(平成8年)12月8日)は、大相撲の力士で、
第47代横綱。
昭和13年11月29日山形県東田川郡山添村(のちの櫛引町、現鶴岡市)に生まれる。本名・富樫剛。身長188cm。
昭和29年9月、蔵前国技館落成の場所に初土俵を踏む。それまでの暫定的な国技館とは異なり本格的な国技館開館の場所に初土俵を踏んだことで後に「こんなすばらしい所で相撲が取れると思うと感動した」と語った。若い頃から期待され幕下時代には既に「伊勢ノ海部屋の富樫を知ってるか、未来の横綱だぞ」と言われていた。昭和33年9月入幕、昭和34年3月から伊勢ノ海部屋の伝統の四股名柏戸を襲名する。11代目である。
柏田 貴史(かしわだ たかし、 1971年5月14日 - )は熊本県八代市出身のプロ野球、読売ジャイアンツおよびアメリカ大リーグ、ニューヨーク・メッツの元投手。左投左打。
熊本県立八代工業高等学校 八代工業高校を経て1990年にドラフト会議 ドラフト外で巨人に入団。1994年に初めて一軍に昇格。1995年はイースタン・リーグの最多勝を獲得。実績はあったものの出場機会に恵まれずにいたが、1997年2月にはメジャーリーグのメッツの春季キャンプに参加し、そのまま移籍した。それまで日本では1勝しか挙げられなかったが、3勝を挙げるなど活躍し実力を発揮した。1998年に巨人に復帰。
1999年以降は中継ぎ・ワンポイントリリーフ専門の投手として、毎年40試合以上登板し、左の中継ぎエースとして活躍し、2000年のチーム日本一に貢献した。2002年以降、中日ドラゴンズ 中日から移籍してきた前田幸長や岡島秀樹といった左投手の台頭もあり出場機会が激減。2005年は1軍登板が開幕から1度も無かったこともあり、シーズン終盤に現役引退を表明した。引退後はメジャーリーグの経験を評価され球団に残り、国際スカウトに転身した。
柏木 由紀子(かしわぎ ゆきこ 本名 大島 由紀子 1947年12月24日-)は女優、タレント。玉川学園短期大学卒。坂本九は夫で、大島花子は長女、元宝塚歌劇団の舞坂ゆき子は次女。
株式会社ホリプロ所属。
小学生の時に劇団若草に入団。雑誌『女学生の友』(小学館)などのモデルをつとめる。
高校生の時に松竹映画『明日の夢があふれている』で映画デビュー。同時期に『若い真珠』でレコードデビューしている。1966年東京放送 TBS放映「東京の人」のヒロインに登用後、主にテレビドラマでキャリアを重ねる。
1971年坂本九と結婚。結婚後は女優活動のほか、夫をサポートする形で福祉活動に貢献。24時間テレビ 「愛は地球を救う」では長らく札幌テレビ放送でパーソナリティーをつとめた。
柏木 博(かしわぎ ひろし、1946年 - )は、兵庫県神戸市出身のデザイン評論家である。
1970年、武蔵野美術大学産業デザイン学科卒。同校卒業後、自宅アパートでデザイン論・デザイン史を研究し始める。編集者などを経て、1983年から東京造形大学にて教鞭を執る。大学教授職と並行して、デザイン評論家としても活動する。その間に著書多数出版。1994年、勝見勝賞を受賞。文化庁芸術選奨選考委員となる。1996年、武蔵野美術大学(近代デザイン史)の教授に就任。その他、企業や展示の監修も務める。2000年、文化庁メディア芸術祭審査委員。2004年現在、武蔵野美術大学教授。企業デザインアドバイザー。