大橋 歩(おおはし あゆみ、1940年6月16日 - )は、イラストレーター、ブックデザイナー。多摩美術大学中退。三重県出身。
週刊平凡パンチの表紙のイラストを1964年5月(創刊号と思われる)から1971年の390号まで担当。目次には毎号コラムを掲載していた。
日本のイラストレーター おおはしあゆみ
1940年生 おおはしあゆみ
大庭 みな子(おおば みなこ、1930年11月11日-)は日本の小説家。東京都出身。
大日本帝国海軍 海軍軍医の父の転勤で愛知県豊川市、広島県賀茂郡 (広島県) 賀茂郡西条町(現東広島市)などで育つ。終戦の年には、被爆後の広島市に救援隊として動員された。賀茂高等女学校(現広島県立賀茂高等学校 広島県立賀茂高校)、岩国高等女学校(現山口県立岩国高等学校 山口県立岩国高校)、津田塾大学学芸学部英文学科卒業。1968年に『三匹の蟹』で群像新人文学賞・芥川賞、1982年に『寂与寥与(かたちもなく)』で谷崎潤一郎賞、1986年に『啼く鳥の』で野間文芸賞、1991年に『津田梅子』で読売文学賞(評論・伝記部門)、1996年に『赤い満月』に川端康成文学賞をそれぞれ受賞。小説からエッセイ・評論など作品多数あり、講談社より『大庭みな子全集』(全10巻)が刊行されている。1987年から1997年まで芥川賞選考委員を務めた。
大場 政夫(おおば まさお、1949年10月21日-1973年1月25日)は、東京都足立区出身の元プロボクサーで、世界ボクシング協会 WBA世界フライ級王座5度の防衛に成功後、現役世界王者のまま不慮の事故死を遂げたため「永遠のチャンプ」と称される。右ボクサーファイター。「弱肉強食」の象徴としてピラニアをペットにしていた。
ボクサーとして大成するまで、アメ横の有名な菓子問屋「二木の菓子」に勤めていたのはよく知られている
1970年6月15歳で東京・帝拳ボクシングジムに入門。
1966年11月プロデビュー。
1970年10月22日、世界初挑戦でベルクレック・チャルバンチャイ(タイ王国 タイ)を13回KOに降し、世界ボクシング協会 WBA世界フライ級王座獲得。
大場 久美子(おおば くみこ、1960年1月6日 - )は、埼玉県川口市出身の歌手、女優。身長は153cm。体重は40kg。血液型はA型。
東京成徳大学高等学校 東京成徳短期大学付属高等学校(現:東京成徳大学高等学校)普通科入学(芸能界本格的デビューの為、転校)→堀越高等学校 堀越高校(堀越学園)卒業。料理の他に日本舞踊やダンス、30年以上も続けている洋裁など、多くの趣味・特技を持つ。好きな色はピンク色。
テレビCMで、「デカプリン」というとおり豊満な乳房をゆっさゆっさと揺らすシーンにファンはノックアウト。
堀越高等学校 堀越高校在学中に「あなたをスターに」で特別賞を受賞したのを切っ掛けに芸能活動を開始。1978年から放送された東京放送 TBS系のテレビ番組「コメットさん」のヒロインを務め、全国的にその名が知れ渡る。ブロマイドが爆発的に売れ、一躍トップアイドルになる。歌手としては1977年、「あこがれ」でデビューした後は、「一億人の妹」というキャッチフレーズのもと立て続けにヒット曲を生み出す。ただし、歌唱力についてはかなり疑問があったことは否めない。「私は女優の世界にお嫁に行きます」との言葉を残した1979年の「さよならコンサート」で歌手としての活動を終了したかに見えたが、2000年に林寛子 (タレント) 林寛子、あべ静江、沢田亜矢子と共に自称"熟女ユニット"、「女盛りゲザデレタ」を結成してCDをリリースしている。同年にはダンサーの高橋てつやと結婚。
大庭 脩(おおば おさむ、1927年 - 2002年11月27日 )は、皇學館大学元学長、関西大学名誉教授、近つ飛鳥博物館元館長。大阪府出身。
1950年龍谷大学文学部史学科卒業。1953年龍谷大学大学院文学研究科修了。中華人民共和国 中国簡牘学・日本木簡学・中国法制史・日中関係史が専門。文学博士。
日本の学者 おおはおさむ
大野 林火(おおの りんか、1904年3月25日 - 1982年8月21日)は、神奈川県出身の日本の俳人。本名は大野正(おおの まさし)。近現代的で叙情身あふれる作風で知られる俳人。
東京大学 東京帝國大学経済学部卒業後、教職に就く。その傍ら句作を続け、1926年、林火主宰で俳句雑誌『浜』を創刊する。
臼田亞浪に師事し、次々と作品を発表。『海門』で本格的に俳人としての地位を築く。
1953年、俳人協会の会長に就任。1973年、神奈川文化賞文学部門を受賞。1982年、79歳で没。
『海門』(1939年)
『冬青集』(1940年)
『早桃』(1946年)
『白幡南町』(1958年)
俳人の一覧
神奈川県出身の有名人一覧
大野 隆治(おおの りゅうじ、1980年5月11日 - )は福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手。福岡県出身。ポジションは捕手で、背番号は25。
松坂世代の一人。東福岡高等学校から日本大学を経て2002年にドラフト5巡目で福岡ソフトバンクホークス 福岡ダイエーホークスに入団した。横浜ベイスターズの村田修一は高校・大学を通じてのチームメイト。プロでの背番号25は村田と同じ。
高校3年の時には春夏を通じて高校野球 甲子園に出場するなど、高校時代から強肩強打の捕手として有名だった。ポスト城島健司候補の一人。2004年のシーズンオフには城島と自主トレを行ったことから意欲の高さは伺えるが、残念ながら結果は伴っていない。城島がシアトル・マリナーズへ移籍した2006年のシーズンがチャンスとなる。一時期、登録名の名前を立詞としていた。