最近の有名人・芸能人 姓名判断 2113

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最近の有名人・芸能人 姓名判断 2113

稲川素子

稲川 素子(いながわ もとこ、1934年1月18日 - )は、事業家、プロダクション事務所社長。
福岡県出身。慶應義塾大学文学部出身。数多くの外国人タレント、モデルなどが在籍する稲川素子事務所社長として有名である。
他に、財団法人ケアジャパン・評議員、日本ミュージカルスポーツ協会会長、日本アカデミー賞協会会員、日本外国特派員協会会員 、日本ペンクラブ会員、日本社交舞踏教師協会顧問などの肩書きも持つ。
また、女性事業家・世界中の外国人タレントを持つという経験から、各種講演・テレビ出演も多く、世間に対する知名度も比較的高い。
日本の実業家 いなかわもとこ

稲川淳二

稲川 淳二(いながわ じゅんじ、1947年8月21日 - )は日本のタレント、工業デザイナー。本名、稲川 良彦(いながわ よしひこ)。愛称は淳ちゃん。東京都渋谷区恵比寿 (東京都) 恵比寿出身。ユニJオフィース所属。
ラジオの深夜放送で人気を博し、テレビ番組のリポーターやリアクション芸人として活躍。また、ラジオ放送での怪談が好評を博し、以後霊感タレントとしても活動している。トレードマークは口ひげ。
1970年代中期、ニッポン放送人気深夜ラジオ番組『オールナイトニッポン』二部伊藤政則 カッコマンの跡を継いでパーソナリティーとなる。ゲストにおすぎが(映画評論家として)出演したこともある。デザイナーなのに宴会でのお座もちが縁で芸能界入りした。舞台俳優として活動していたが、1980年代中期に貧乏・不健康と言うキャラクターでバラエティ番組にも登場。1987年にテレビ朝日系列で放送されたドラマ『ザ・ハングマン6』および『ハングマンGOGO!』で、悪人に対する仕置きの見本となる「テンジクネズミ モルモット小父さん」役を演じて一躍有名になる。

稲垣浩

稲垣 浩(いながき ひろし、1905年12月30日 - 1980年5月21日)は、昭和期の映画監督。日本映画の基礎を作った名監督の一人である。
東京本郷区駒込千駄木町(現・文京区千駄木1丁目)に、小芝居小屋の俳優の息子として生まれる。
生活を助けるため、小学校をやめ、新派劇の名優だった高田実に弟子入りし、「東明浩」の芸名で子役を務める。一時期、関西に移り「天然色活動写真 天活」の「連鎖劇」に出演し、映画に興味を持つ。
その後、東京に戻り、父と一緒に舞台に立っていたが、1922年、父の旧友で日活向島撮影所の幹部俳優だった山本嘉一に招かれて、俳優として日活に入社する。村田実監督の教えを受け、伊藤大輔 (映画監督) 伊藤大輔と知り合う。

稲垣足穂

稲垣 足穂(いながき たるほ、1900年12月26日 - 1977年10月25日)は、日本の小説家。
大阪市船場 (大阪市) 船場生まれ。小学生の時、祖父母のいる明石市 明石に移住し、神戸市 神戸で育つ。関西学院大学 関西学院普通部卒。
独自の視点から、天体、飛行、少年愛などをテーマにした作品を発表した。代表作に『一千一秒物語』がある。
在学時に同人誌「飛行画報」を創刊。東京に出た当初は飛行家を目指すが断念。後に再び東京へ。佐藤春夫の知遇を得て、『チョコレット』『星を造る人』を婦人公論に発表。
新感覚派の一角とみなされ、『星を売る店』などを発表。同じく同性愛研究家である江戸川乱歩とも出会った。南方熊楠との親交も長く続く。

稲垣潤一

稲垣 潤一(いながき じゅんいち、本名同じ、1953年7月9日 -)は、宮城県仙台市出身の歌手、音楽家 ミュージシャン。血液型はO型。
宮城県工業高等学校卒。小学校5年頃から箸を持ってドラムセット ドラムスの真似をしていたという。中学に入り本格的なバンド活動を始め、仙台のライブハウスや横須賀や立川の米軍キャンプ等で演奏を続けるうち、「スーパーポップボーカル」というキャッチコピーで1982年に『雨のリグレット』でデビュー。歌うドラマーのスタイルで話題となる。透明感のある個性的な声質を持つ。
他の作詞・作曲家提供作による楽曲がほとんどであり、これは80年代、シンガーソングライターがもてはやされた時期の本格派ミュージシャンとしては特徴的である。シングルでの自作曲のリリースは皆無に等しい。初期の池田聡と共通する特徴である。ただ池田と異なり、稲垣の場合は、シングルを見てもよくわかるとおり、編曲家を含めて、きわめて様々な作家が参加しており、その作品は文字通り、作曲家・編曲家の宝庫である。どこか「夏」を感じさせる音楽スタイルが、大滝詠一を彷彿とさせるというファンもおり(おそらく、編曲家・井上鑑の参加にその理由の1つがあると想像される)、事実大滝の提供作品(シングルとしては、「バチェラー・ガール」や「カナリア諸島にて」、アルバム収録曲としては、「恋するカレン」(1990年の「Self Portrait」に収録)等)も幾つかあり、評価が高い。

稲垣実男

稲垣 実男(いながき じつお、1928年3月28日 - )は日本の政治家、元自由民主党衆議院議員。愛知県幡豆郡出身。早稲田大学第二政経学部卒。
1976年、第34回衆議院議員総選挙では次点で落選するが、翌年、当選した現職議員の死亡により、繰り上げ当選。厚生政務次官、党全国組織委員会副委員長、衆議院決算常任委員会委員長、党政調副会長などを歴任し、1996年11月、第2次橋本内閣で北海道開発庁長官兼沖縄開発庁長官として入閣した。通算当選7回。派閥は中曽根派から江藤・亀井派に所属。
2000年の総選挙で落選し、政界引退。政治家としては影が薄く、目ぼしい活躍は見られなかった。2004年、自らが社長を務める顧問投資会社が、許可も受けずに高齢者相手にサギ商法を手がけていたことが判明し、出資法違反容疑で逮捕され、2005年、有罪判決が下った。

稲垣史生

稲垣 史生(いながき しせい、1912年5月12日 - 1996年2月27日)は、日本の時代考証家・歴史小説家。本名、稲垣 秀忠。
富山県出身。早稲田大学文学部国文学科を卒業。新聞記者、雑誌編集長を経て、文筆業に。
1942年、「京包線にて」でサンデー毎日大衆文芸賞受賞。1962年、「花の御所」でオール読物新人賞受賞。
日本放送協会 NHK大河ドラマ『竜馬がゆく』『樅ノ木は残った』『勝海舟』などで時代考証を手がけた。『考証風流大名事典』などの時代考証に関する著作のほか、歴史小説も著した。1975年、第1回放送文化基金賞受賞。弟子に杉浦日向子がいる。
日本の小説家 いなかき しせい
1912年生 いなかき しせい

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