石井 正則(いしい まさのり 1973年3月21日 - )は、日本のお笑い芸人、俳優。お笑いコンビ・アリtoキリギリスの漫才#ボケとツッコミ ボケ担当。ホリプロ所属。神奈川県出身。神奈川県立商工高等学校卒業。
158cmの小さい背丈が特徴で、自身の持ちネタにもしている。小柄なイメージとは裏腹に肥満体型。芸人になる前は、アナウンサーを目指していた事があり、滑舌と声の通りがとても良い。
1994年8月、石塚義之とコンビ結成。
1998年から「タモリのボキャブラ天国 黄金ボキャブラ天国」(フジネットワーク フジテレビ系)にコンビで出演。石井の滑舌良く礼儀正しい「サラリーマンキャラ」が好評を博し、全国的に知名度を得た。
石井 丈裕( いしい たけひろ、1964年10月25日 - )は、西武ライオンズ、北海道日本ハムファイターズ 日本ハムファイターズに所属した投手である。1999年限りで日本ハムから戦力外通告を受けると台湾大聯盟の声宝太陽選手兼任コーチとなった。2002年は同チームの監督を務め、現在は西武2軍投手コーチである。
早稲田実業学校 早稲田実業時代は同期に荒木大輔がおり、法政大学時代は1学年上に西川佳明がおり、また同期の猪俣隆がエース格に成長したため、高校・大学とも控えに甘んじ目立った活躍がなかった。これが逆に功を奏し、プロで故障に悩まされた荒木・猪俣と対照的にプロ入団時には肩・肘に何ら問題ない状態だった。社会人野球のプリンスホテル硬式野球部 プリンスホテルで才能が開花、ソウルオリンピック野球日本代表にも選ばれ、銀メダル獲得に貢献した。この年のドラフト会議 ドラフト前プロ入り拒否を表明したが西武が2位で強行指名、しかし結局入団、西武系列のプリンスホテル所属選手だったため密約説も噂された。
石井 貴(いしい たかし、1971年8月25日 - )は、西武ライオンズ所属のプロ野球選手(投手)で、背番号は21番である。(1994年 - 2001年は背番号14番)気合を押し出したピッチングが有名で、ニックネームは「投げる金剛力士像」。
1997年まではリリーフ 中継ぎ、ストッパー 抑えでの登板が多かったが、1998年よりスターター 先発転向しローテーションに定着した。2003年からの2シーズンは右肩痛に苦しみ、それぞれシーズン1勝ずつしか挙げられなかったが2004年プレーオフ制度 (日本プロ野球) プレーオフセカンドステージ第5戦で1点リードの10回裏の投手に指名されると無失点に抑えてリーグ優勝をもたらし、胴上げ投手となると、2004年の日本シリーズでは第1戦と第7戦に先発、中日打線を2戦合計13イニングを無失点に抑えともに勝利投手、見事に日本シリーズMVPに輝いた。日本選手権シリーズ 日本シリーズでの勝利数がレギュラーシーズンの勝利数を上回った投手は史上初めてである。
石井 隆一(いしい たかかず、1945年12月15日-)は、富山県知事、元総務省消防庁長官。元早稲田大学大学院公共経営研究科客員教授。
終戦直後の富山県富山市に生を受ける。学歴は1964年、富山県立富山中部高等学校卒業。1969年に東京大学法学部卒業。学位は学士 法学士(東京大学)。同年、自治省(当時)に入省し、その後静岡県に出向。2004年、総務省消防庁長官を退官。その後、中沖豊・富山県知事(当時)の勇退を受けて富山県知事選挙に出馬し当選。その間、消防庁長官在任中の2003年4月から2006年3月にかけて早稲田大学大学院公共経営研究科客員教授を務めた。
『地方分権時代の自治体と防災・危機管理』近代消防社 (2004/08)
石井 琢朗(いしい たくろう、1970年8月25日 - )は、プロ野球・横浜ベイスターズに所属する内野手。背番号は5番。琢朗は登録名で本名は石井 忠徳(いしい ただのり)。母から
は「たーちゃん」と呼ばれている。道具を大切に扱う選手として有名である。
妻は元フジテレビジョン フジテレビアナウンサーの荒瀬詩織、2002年7月に長女が、2005年8月に二女が誕生した。前妻はアイドルグループCoCo (女性アイドルグループ) CoCoの元メンバー瀬能あづさ。
全盛期よりは守備範囲は衰えたものの堅実で勝負どころでの球際の強さ、年齢を重ねるたびに磨かれつつある無駄のないバッティングには定評がある。
石井聰亙(いしいそうご、男性、1957年-)は、日本の映画監督。
福岡県生まれ。福岡県立福岡高等学校、日本大学芸術学部卒。
1976年、日本大学芸術学部入学直後、8mm映画デビュー作『高校大パニック』を撮り、熱狂的な支持を得る。
続く1980年『狂い咲きサンダーロード』でジャパニーズ・ニューウェイブの急先鋒となる。1982年『爆裂都市Burst City』を発表。斬新で前衛的なアクション映画を撮り続け、1984年の『逆噴射家族』はイタリアの第8回サルソ映画祭グランプリ等、国内のみならず海外でも高い評価を受ける。
その前後からジャパニーズパンク・ニューウェーブシーンと共闘した数々の音楽ビデオと実験的短編映画製作に打ち込み、1994年の『エンジェル・ダスト』(バーミンガム映画祭グランプリ)、『水の中の八月』(95)、『ユメノ銀河』(97・オスロ映画祭グランプリ)と作品を発表。
石井 進(いしい すすむ)
暴力団稲川会会長については、石井隆匡を参照のこと。
石井食品代表取締役については、石井進 (実業家) 石井進を参照のこと。
歴史学者については、石井進 (歴史学者) 石井進を参照のこと。
石井 茂雄(いしい しげお、1939年5月6日 - )は、昭和中期から後期(1950年代後半~1970年代後半)のプロ野球選手(投手)。岡山県出身。右投げ右打ち。
1957年8月、岡山県立勝山高等学校定時制を中退し、オリックス・バファローズ 阪急ブレーブスに入団する。入団7年目の1963年に17勝を挙げて先発投手陣の一員となり、梶本隆夫・米田哲也・足立光宏らとともに1960年代の阪急の主力投手として活躍した。1964年には自己最高の28勝をマークするも、小山正明(千葉ロッテマリーンズ 大毎)が30勝を挙げたため惜しくも最多勝利 最多勝には届かなかった。1967年に最高勝率 (野球) 最高勝率(9勝4敗、.692)を獲得。
石井紘基(いしい こうき、1940年11月6日 - 2002年10月25日)は、元民主党 (1996-) 民主党所属の衆議院議員。
東京都世田谷区に生まれる。池之上小学校、成城学園中学・高等学校、中央大学法学部卒、早稲田大学大学院、モスクワ大学大学院修了。社会民主連合事務局長で、衆議院議員選挙での同党公認が決定していたが、1992年秋に突如日本新党へ移籍。1993年、衆議院議員選挙で日本新党から立候補し、初当選。以来、当選を重ねる。議員活動としては、主に日本の政府支出の無駄使いに関して、フィールドワークを持っていた。2000年、映画「バトル・ロワイアル」に関しては、青少年に悪影響を与えるとして、上映に反対し規制を働きかけようとした。
石井 愃一(いしい けんいち、1946年2月24日-)は日本の俳優。群馬県沼田市出身。1975年、劇団東京ヴォードヴィルショーに入団。以後、多数のテレビドラマ、コマーシャル CM、映画、舞台に出演。息子は俳優の石井智也。
金曜時代劇「清左衛門残日録」(横山半蔵)
金曜時代劇「茂七の事件簿 新ふしぎ草紙」
金曜時代劇「御宿かわせみ」
大河ドラマ「徳川慶喜 (NHK大河ドラマ) 徳川慶喜」(間部詮勝)
大河ドラマ「元禄繚乱 (NHK大河ドラマ) 元禄繚乱」
日本テレビ
「史上最悪のファミリー」
「火曜サスペンス劇場 下町銭湯騒動記」シリーズ
「最後の弁護人」
「一番大切な人は誰ですか?」(セミレギュラー)
石井啓一(いしいけいいち、1958年3月20日)は、公明党所属の衆議院議員。比例区北関東選出。東京都豊島区生まれ。
1976年3月 早稲田中・高等学校 早稲田中学校卒業
1979年3月 早稲田中・高等学校 早稲田高校卒業
1984年3月 東京大学工学部卒業
1984年4月 建設省入省
1992年12月 道路局課長補佐で退職
1993年7月 第40回衆議院議員総選挙で初当選(旧東京5区・1期目)
1996年10月 第41回衆議院議員総選挙で当選(東京比例区・2期目)
1998年11月 公明党副幹事長
1999年6月 公明党茨城県本部代表
1999年11月 公明党青年局長
2000年6月 第42回衆議院議員総選挙で当選(北関東比例区・3期目)
2000年7月 公明党政務調査会副会長