池田 貴族(いけだ きぞく、1963年5月8日 - 1999年12月25日)は、日本のミュージシャン、評論家、作家。本名、池田 貴(いけだ たかし)。
愛知県名古屋市出身。ホリプロ所属。1990年、ロックバンドremoteのボーカリストとしてシングル「NO!」でデビュー。その後、音楽活動以外にも霊感タレントとしてテレビ番組などへの出演で知られる。
愛知県立千種高等学校卒業。中日ドラゴンズのファン。機動戦士ガンダムシリーズのファンでもある。
1999年12月25日、肝細胞癌 肝細胞がんのため死去。享年36。
高校在学中よりバンドに熱中し、1987年にロックバンド「remote」を結成する。活動の拠点は主に東京都渋谷区原宿の歩行者天国(通称:ホコ天)。
池田 修二(いけだ しゅうじ)は河合塾国語科講師。担当は古文。通称「池修」。親しみやすいキャラクターと、古文の世界観を体感させる授業で生徒に人気がある。慶應義塾大学文学部仏文科卒。その後古文を学び直す。
重要な部分は一文一文、とことんわかるように講義する。重要単語であれば、一語一語あらゆる手段を使って(英単語やフランス語を用いるなどして)説明する。整理されたシステマティックな教え方ではない。そのため授業がどんどん次週へとずれ込んで行くが、逆に言えばそれだけ丁寧に教えているのだということでもある。
なお、例を出して説明する場合、男性の名前は「太郎」、女性の名前は「花子」でほぼ決定である。
池田 綾子(いけだ あやこ、1978年6月1日 - )は、日本の女性歌手、シンガーソングライター。埼玉県立越ヶ谷高等学校、武蔵野音楽大学声楽科卒。血液型B。
独特の澄んだ歌声を持ち味とする。
2002年2月21日シングル「ヤサシイウタ」でデビュー。
シングル『Life』は、テレビドラマ『愛なんていらねえよ、夏』の主題歌になった。『僕たちのTomorrow』は、九州旅客鉄道 JR九州の九州新幹線 つばめ2枚きっぷのCMソングとして九州地区で、現在も放映されている。
ヤサシイウタ (2002年2月21日)(東京放送 TBS系ドラマ「温泉へ行こう! (テレビドラマ) 温泉に行こう!2」主題歌)
Life (2002年8月7日)(TBS系ドラマ「愛なんていらねえよ、夏」主題歌)
REDIRECT 日本の漫画家 あ行#池田文春
池田 晶子(いけだ あきこ、1960年 - )は、日本の文筆家東京都出身。慶應義塾大学文学部哲学科卒業。埴谷雄高との交流をきっかけに活動を始める。処女単行本『最後からひとりめの読者による埴谷雄高論』(1987年)を上梓するも、かつて全共闘であった担当編集者と喧嘩をし、自ら絶版にする。言葉と精神の仕事のはずの言論出版会の陰険さに失望するとともに、数年間文筆業界では「干された」状態にあった。
その後『事象そのものへ!』(法蔵館、1991年)の連載で復帰し、専門知識や用語に頼ることなく、日常の言葉によって「哲学するとはどういうことか」を語ることで、多くの読者を集める。現代の思潮や流行している解釈に迎合せず、自分の考え、自分の言葉だけで存在と宇宙について思考をめぐらしている。
池澤春菜(いけざわ はるな、1975年12月15日 - )は女性声優。ギリシャ・アテネ生まれ神奈川県育ち。血液型はO型。オスカープロモーション所属。2002年までは81プロデュースに所属していた。
主な担当キャラクターに『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』の星馬豪、『マリア様がみてる』の島津由乃、『忍ペンまん丸』のまん丸、『だぁ!だぁ!だぁ!』の花小町クリスティーヌ等。
芥川賞作家池澤夏樹の長女で、福永武彦の孫。知性派として知られる。成城学園中・高等学校、成城大学出身(中退)。学生時代にはイギリスやタイ王国 タイに留学するなど、国際的な経歴を豊富に持つ。大学在学時の1994年、『B-UNIV バーチャファクトリー』(京都放送 KBS京都)のアシスタントとして芸能界デビュー。
池澤 夏樹(いけざわ なつき、1945年7月7日-)は詩人、翻訳家、小説家。北海道帯広市出身。東京都立富士高等学校 都立富士高校卒業、埼玉大学理工学部物理学科中退。多くの文に旅行 旅が扱われることで知られるとおり、各地へ旅をしたことが、大学時代に専攻した物理学と併せて、池澤の文体の魅力をなす。また、翻訳やエッセイ、詩が小説に先行していることも彼の文章に大きな影響を与えていると見なされ、文明や日本についての考察を基調に小説や評論などの文が書かれる。翻訳は、ギリシア現代詩からアメリカ現代小説など幅広く手がけている。
1945年帯広に生まれる。マチネ・ポエティクで同人だった両親は、母は原條あき子(山下澄、1913年-2004年)、父は福永武彦で、疎開先の帯広で誕生した。1950年 50年、両親が離婚し、1951年 51年、母に連れられて東京に移る。母はその後再婚して池澤姓を名乗り、そのため池澤は実父について高校時代まで知らなかったという。その後1963年 63年には埼玉大学理工学部物理学科に入学、1968年 68年中退。南太平洋を中心に各地へ旅をしたり翻訳などをしたりし、1975年 75年、ギリシアに単身移住、3年間住む。この頃娘の池澤春菜 春菜が生まれる(後に声優となる)。帰国後、初の詩集『塩の道』を出版。これは『ユリイカ』の編集長の誘いという。79年より『旅芸人の記録』(監督テオ・アンゲロプロス)の字幕を担当、これが切欠でアンゲロプロスの作品の字幕を担当する。詩は1982年 82年『もっとも長い河に関する考察』を以てやめて、以降数編のエッセイを出していたが、1984年 84年短編小説『夏の朝の成層圏』を出し、小説を始める。小説『スティル・ライフ』で中央公論新人賞と第98回芥川龍之介賞 芥川賞を獲得することで小説家として認知された。1993年 93年に沖縄に移住、2005年にフランスのフォンテヌブローに移住。
池谷裕二(いけがやゆうじ、1970年 - )は、日本の脳科学者。研究者として活動する傍ら、主に脳科学に関する一般向けの著作を数多く著すなどで広く認知を得ている。
静岡県藤枝市に生まれる。静岡県立藤枝東高等学校を卒業ののち、東京大学東京大学#前期課程 理科一類に現役合格、入学するが、興味対象の変化により同大学薬学部に首席で進学。同大学大学院薬学系研究科にもまた首席で進学、日本学術振興会特別研究員に採用ののち、海馬の研究により1998年に薬学博士号を取得。東京大学大学院薬学系研究科助手、米国コロンビア大学生物科学講座客員研究員などを経て、現在東京大学大学院薬学系研究科講師(2006年2月1日 - )。日本薬学会会員、日本神経科学会会員、北米神経科学会会員、日本薬理学会学術評議委員。
池谷 公二郎(いけがや こうじろう、1952年6月28日 - )は、プロ野球選手(投手)、野球解説者。静岡県静岡市葵区出身。
静岡県立静岡商業高等学校 静岡商高時代は新浦壽夫に次ぐ二番手投手だったが、社会人野球入りしてから一気に伸びた。金指造船所に入社するも1年も経たず野球部が解散、特別措置で大阪近鉄バファローズ 近鉄に7位指名されたがヤマハ硬式野球部 日本楽器に移籍。1972年、ドラフト会議 ドラフト1位で広島東洋カープに指名されたが、入団は翌年1973年シーズン終了後。会社が都市対抗野球大会の戦力として欠かせないと待ったがかかった。池谷の大活躍で日本楽器は優勝。他球団の指名の可能性もあったが、仁義を通して1973年のドラフト会議前に広島入りした。
池谷 薫(いけや かおる、1943年11月30日 - )はコメットハンターとして知られる日本のアマチュア天文家。静岡県生まれ。
1962年から本格的に彗星捜索を始め、翌1963年に自身初の池谷彗星(C/1963 A1)を発見。以後5年連続で5個の新彗星を発見するという偉業を達成したが、特に1965年に関勉と共に発見した池谷・関彗星 (C/1965 S1) 池谷・関彗星(C/1965 S1)が有名。1980年代には2個の超新星も発見。
2002年2月1日、中国の張大慶と共に周期彗星池谷・張彗星(153P/Ikeya-Zhang)を発見。これは、1967年の池谷・関彗星(C/1967 Y1)以来、実に35年ぶりのことであった。最近では映画「ガラスの使徒」のモデルともなった。