最近の有名人・芸能人 姓名判断 2155

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最近の有名人・芸能人 姓名判断 2155

有川博

有川 博(ありかわ ひろし、1940年11月2日 - )は、日本の俳優、声優。
鹿児島県出身。
俳優座養成所を経て、1965年、劇団雲に入団。1975年から演劇集団 円に所属。彫りの深い二枚目俳優で、かつてはテレビで沖田総司やメロドラマのヒロインの相手役などを演じていたこともあるが、近年では二時間ドラマや時代劇で悪役を演じることも多い。映画「ロード・オブ・ザ・リング」のガンダルフの吹替など声優としても活躍している。
新選組(1973年・フジテレビ・鶴田浩二主演 沖田総司役)
江戸プロフェッショナル・必殺商売人(1978年・テレビ朝日)
サンキュー先生(1980年・テレビ朝日 増井平太郎役)

有川浩

有川浩(ありかわ ひろ, 1972年-)は、日本の作家。梅雨生まれ。女性。高知県出身。2003年、『塩の街 wish on my precious』で電撃小説大賞を受賞しデビューする。
余談として、たまに男性作家に分類されている事がある。
近刊書に『レインツリーの国』。
『塩の街 wish on my precious』(メディアワークス, 2003年) ISBN 4840226016
『空の中』(メディアワークス, 2004年) ISBN 4840228248
『海の底』(メディアワークス, 2005年) ISBN 4840230927
『Sweet Blue Age』(角川書店, 2006年) ISBN 4048736744
図書館戦争シリーズ
『図書館戦争』(メディアワークス, 2006年) ISBN 4840233616
『図書館内乱』(メディアワークス, 2006年)ISBN 4840235627

有賀さつき

有賀さつき(ありが さつき、1965年9月9日 - )は、愛知県出身。5才 - 8才まではニューヨーク在住。元フジテレビジョン フジテレビアナウンサー。血液型:A型。身長170cm。
小中学生時代は意外にも塾通いの毎日であったという。
アナウンサー時代は頻繁に漢字を読み間違えるなど、バラエティー専用アナウンサー(通称:バラアナ)で有名になった。
その一例として、旧中山道(きゅうなかせんどう)を1 日中 山道(いちにちじゅう やまみち)と読み間違えたという逸話があるが、これは誤り。「上岡龍太郎にはダマされないぞ」で山田雅人が「『旧中山道』を『1 日中 山道』と読んだ他局の女子アナがいた」と紹介したところ、彼女が「これって旧ちゅうさんどうですよね…」と読んだというのが事実。中山秀征は同番組に出演していたにも係わらず、当時の事実を忘れ、「あの人は今!?」で「そんな筈はない。『いちにちじゅうやまみち』も彼女の発言だ」と主張する。

亜蘭知子

亜蘭 知子(あらん ともこ、1958年1月14日 - )は、日本の作詞家である。歌手、随筆家 エッセイストとしても活躍している。
青森県出身、19歳で作詞家としてデビューした。
1987年にはTUBE、織田哲郎らと共に企画ユニット「渚のオールスターズ」を結成しバンド活動を行っていたこともある(1989年解散)。2006年、渚のオールスターズが再結成し、亜蘭も再び参加している。
☆発売アルバム名☆
神経衰弱、色彩感覚、浮遊空間、MORE RELAX、IMITATION LONELY、LAST GOOD-BYE、MIND GAMES、STAY IN MY EYES、SUNNY SIDE MEMORIES
Wait Forever(1988.10.21)
秋(1989.12.01)
Everything(1990.02.01)
神経衰弱(1981.07.25)
色彩空間(1982.07.25)

安蘭けい

安蘭 けい(あらん けい10月9日-)は宝塚歌劇団星組 (宝塚歌劇) 星組の男役2番手スター。滋賀県湖南市出身。
身長167cm、血液型AB型。愛称とうこ(本名より。出生時より瞳が大きかったので"瞳子"と命名されたと以前本人がインタビューで答えている)。
同期生に朝海ひかる(現在雪組男役トップ)と成瀬こうき(2002年退団)、春野寿美礼(現在花組男役トップ)、花總まり(元宙組娘役トップ)らがいる。
滋賀県立甲西高等学校を経て1989年に4度目の挑戦で宝塚音楽学校に合格。
1991年に首席で卒業し、77期生として宝塚歌劇団に入団。
『ベルサイユのばら (宝塚歌劇) ベルサイユのばら』で初舞台。

荒俣宏

荒俣 宏(あらまた ひろし、男性、1947年7月12日(戸籍上は7月17日) - )は、「博物学者」(異論もある)にして小説家。また神秘学者、翻訳家としても知られる。『世界大博物図鑑 第2巻 魚類』でサントリー学芸賞。現在、玉川大学客員教授。血液型はB型。
東京都生まれ。中学生のときに『世界恐怖小説全集』と出会い、同誌で翻訳を担当した中の一人、平井呈一に師事する。また、海の生物などの観察に熱中することで、ナチュラリストとしての素養もはぐくんだ。日本大学第二高等学校卒業。慶應義塾大学法学部に在学中よりヒロイック・ファンタジーの翻訳活動をしていた。翻訳活動時代に使用していた筆名に団 精二があるが、これはイギリスの幻想作家ロード・ダンセイニ ダンセイニ卿の名をもじったものである。このときの造語に、魔道、魔道士がある。

荒巻義雄

荒巻 義雄(あらまき よしお、1933年4月12日 - )は日本の小説家、SF作家、評論家。北海道出身。本名、荒巻義雅。北海道札幌南高等学校を経て、早稲田大学第一文学部心理学科、北海学園大学工学部建築学科卒業。『紺碧の艦隊』の大ヒットで、いわゆる架空戦記小説の世界を代表する小説家として広く知られるようになる。
1970年 - 評論『術(クンスト)の小説論』、短編『大いなる正午』でデビュー。
1972年 -『白壁の文字は夕日に映える』で星雲賞日本短編賞を受賞。
『ビッグウォーズシリーズ』などのSF小説を執筆していていたが、1980年代に『ニセコ要塞』を皮切りに、架空戦記を執筆するようになる。『ニセコ要塞』は北海道を舞台にした近未来戦記であり、1990年代以降の架空戦記小説ブームの始祖とも言える作品であった。

荒船清十郎

荒船 清十郎(あらふね せいじゅうろう、1907年3月9日 - 1980年11月25日)は、政治家。埼玉県出身で明治大学中退。運輸省 運輸大臣の時に自分の選挙区の駅に急行列車 急行電車を停車させた事で閣僚辞任に追い込まれた。
埼玉県会議員を経て1946年自由党 (日本) 日本自由党公認で衆議院議員選挙に立候補して初当選。その後公職追放を受けたが解除後返り咲く。保守合同後は自由民主党 (日本) 自由民主党の大野伴睦 大野派に属し、その後川島正次郎 川島派を経て椎名悦三郎 椎名派に転じた。
1966年第1次佐藤内閣第2次改造内閣の運輸相の時、自分の選挙区(当時の埼玉3区)にある深谷駅を急行停車駅に指定したため世論の批判を受け辞任。その時荒船は「国鉄も俺の言うことを一つくらい聞いてくれてもいいじゃないか」と言ったが、所属派閥の領袖・川島正次郎から「やはり野に置けレンゲソウ」と言われた。1970年衆議院副議長となるが2年後に舌禍事件を起こしまたもや辞任。1976年衆議院予算委員会 予算委員長としてロッキード事件の証人喚問を取り仕切った。同年三木内閣改造内閣、翌年福田内閣改造内閣でそれぞれ行政管理庁長官。

荒畑寒村

Arahata Kanson
荒畑 寒村(あらはた かんそん、1887年8月14日 - 1981年3月6日)は、日本の社会主義者・労働運動家・作家・小説家。元衆議院議員。本名は、勝三。
神奈川県横浜市永楽町の横浜遊郭内で生まれる。幼少期を現在の横浜市港南区野庭ですごす。社会主義者の幸徳秋水や堺利彦らが発行する週刊『平民新聞』の非戦論に共鳴し、社会主義に接近する。その後、行商・新聞記者を経て平民新聞の編集に参画。1908年、赤旗事件で検挙され入獄し、結果的に「大逆事件」での検挙・処刑を免れる。
出獄後、1912年に大杉栄と『近代思想』を創刊、さらに月刊『平民新聞』を発行するが、サンディカリズムを唱えた大杉とマルクス主義に立脚する荒畑との対立が次第に表面化。大杉と訣別して後は労働組合活動を続けながら、関西で活動。1920年に日本社会主義同盟・1922年に日本共産党の創立それぞれ参加する。

新珠三千代

新珠 三千代(あらたま みちよ、1930年1月15日 - 2001年3月17日)は、日本の俳優 女優。
奈良市生まれ。元宝塚歌劇団トップ娘役。
13歳で宝塚音楽学校入学。終戦を待ち宝塚歌劇団に入団。1946年『グラナダの薔薇』で初舞台。かれんな美ぼうと歌唱力でトップ娘役として活躍。中でも、同じ年に初舞台を踏んだ明石照子とのコンビは絶賛された。宝塚歌劇団 宝塚時代の代表作に『ハムレット』『ひめゆりの塔』『ジャワの踊り子』などがある。
1951年、東宝『袴だれ保輔』で映画デビュー。1955年に宝塚を退団。日活に入社して映画女優として活躍、月丘夢路、北原三枝とともに看板スターに。2年後に東宝に移籍。1959年スタートの6部作『人間の条件』では苦難を乗り越え戦場まで夫を追い求めるひたむきな妻を演じ、ブルーリボン助演女優賞。東宝『社長』シリーズも数多く出演。

安良城紅

安良城 紅(あらしろ べに、1986年3月30日 - )は、沖縄県出身の女性歌手である。オスカープロモーション所属。美少女クラブ31メンバーでセンターボーカル担当。
父親がアメリカ人、母親が沖縄県出身。小6の時、カリフォルニアから横須賀に移り住む。
2002年開催の第8回全日本国民的美少女コンテストで本選に進出。翌年秋に「美少女クラブ21(現・31)」に加入し、2004年6月9日、マキシシングル『Harmony』でエイベックスよりソロデビュー。
Crystal Kayとはナショナル・スクール アメリカンスクールからの同級生であり親友でもある。現在、上智大学比較文化学部在学中。
2006年開催の第11回美少女コンでは、審査の合間に歌のゲストとして出演したこともあってか、終了後の記念撮影に歴代入賞者以外で初めてその列に加わった(入賞こそ逃しているが本選までは進んでいるので特に問題なし)。

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