最近の有名人・芸能人 姓名判断 2156

姓だけ入力すると画数の良い命名候補が一覧できます
 有名人の画数を占ってみよう

最近の有名人・芸能人 姓名判断 2156

嵐山光三郎

嵐山 光三郎(あらしやま こうざぶろう、1942年1月10日 - )は日本の作家、エッセイスト。本名、祐乗坊 英昭(ゆうじょうぼう ひであき)。
祐乗坊宣明の息子として静岡県浜松市に生まれ、1950年から東京都北多摩郡国立町(現在の国立市)に育つ。桐朋中学・高等学校を経て、1965年に國學院大學文学部国文科卒業。専攻は中世文学。大学時代の教師に丸谷才一がいた。
平凡社で『別冊太陽』と『太陽 (雑誌) 太陽』のそれぞれ編集長を務める。編集者として檀一雄や澁澤龍彦と交際。1981年に独立し、青人社を設立、『DoLiVe 月刊ドリブ』を創刊。
1982年からは『笑っていいとも!増刊号』(フジテレビ)に編集長としてレギュラー出演した。

嵐寛寿郎

嵐 寛寿郎(あらし かんじゅうろう、1903年12月8日 - 1980年10月21日)は、日本の映画俳優。
300本以上の映画に出演した。戦前映画界の大衆のヒーロー。剣劇王阪東妻三郎には三歩下がって道を空けたが時代劇の大剣客スターである。
不世出の天才山中貞雄に活躍の場所を与えた点でも記憶される。通称アラカン、天狗のおじさん。
本名は、高橋照一。屋号は葉村屋。18才で演劇の世界に入る。牧野省三の門をくぐり嵐長三郎の名で映画界入り。マキノ御室製作の『鞍馬天狗異聞・角兵衛獅子』でデビュー。『鞍馬天狗』と『むっつり右門』は生涯の当たり役となった。独立プロ、東亜、独立プロ、新興キネマ、日活、大映、フリー、新東宝、フリーと流転の人生を送った。

荒木田守武

荒木田守武(あらきだもりたけ、文明 (元号) 文明5年(1473年) - 天文 (元号) 天文18年8月8日 (旧暦) 8月8日(1549年8月30日))は、戦国時代 (日本) 戦国時代の伊勢神宮祠官・連歌師。荒木田一門薗田氏の出身で、父は荒木田守秀。母は荒木田(藤波)氏経の娘。荒木田守晟の弟。山崎宗鑑とともに俳諧の祖とも言われている。
1541年(天文10年)一禰宜となる。山﨑宗鑑から連歌を学び、「新撰闔ャ玖波集」に入集されたものをはじめ、1508年(永正5年)の「法楽発句集」などの連歌集、1530年(享禄3年)の「独吟百韻」1540年(天文9年)の「守武千句」などの俳諧集、1525年(大永5年)の教訓歌集「世中百首」などがある。

荒木雅博

荒木 雅博(あらき まさひろ、1977年9月13日 - )は、平成期(1990年代後半~)の中日ドラゴンズに所属する内野手。背番号は2。
中日の不動の1番打者。また、チームの得点源として欠かせない存在で俊足巧打と広い守備範囲で知られる二塁手。九州の古豪・強豪、熊本工業高校 熊本工高出身。高校時代は俊足強肩の好遊撃手・主将として名を馳せる。しかし、阪神甲子園球場 甲子園では1本もヒットを打てなかったり、小指を骨折してコーチとして甲子園に出場するなど不運続きだったエピソードを持つ。1995年のドラフト会議 ドラフトで、福留孝介(大阪近鉄バファローズ 近鉄が指名権獲得)・原俊介(読売ジャイアンツ 巨人が指名権獲得)と、くじに敗れた中日が「ポスト立浪和義 立浪」の期待をかけて1位指名をして入団。(この頃、中日はチームの柱、立浪の後継者を次々と獲得していた)

荒木不二洋

荒木 不二洋(あらき ふじひろ, 男性, 1932年7月28日 - )は、数学者。数理物理学者。京都大学理学部物理学科卒業。プリンストン大学Ph.D. 。京都大学理学博士。京都大学名誉教授。元京都大学数理解析研究所 数理解析研究所(RIMS)所長。
湯川秀樹の研究室で場の量子論を学ぶ。その後、京都大学工学部助手・講師、京都大学数理解析研究所助教授・教授を歴任し、場の量子論・量子統計力学の代数的構造論、並びに作用素環論などにおいて先駆的研究をする。その業績は国際的に高く評価され、数理物理学分野において最高の権威とされるポアンカレ賞を受賞している。
アラン・コンヌ コンヌがフィールズ賞を受賞したときに業績紹介をしたことも有名。

荒木経惟

荒木 経惟(あらき のぶよし、1940年5月25日 - )は、写真家。東京都生まれ。通称「アラーキー」の名で呼ばれ丸い縁の黒めがねをトレードマークとする。
1959年、東京都立上野高等学校卒業。
1963年に千葉大学工学部写真印刷工学科を卒業後、大手広告代理店の電通に宣伝用カメラマンとして就職。
1971年、陽子(1947年 - 1990年)と結婚。
1972年に電通を退社、フリーに。
1988年、安斎信彦、田宮史郎と事務所「AaT ROOM」設立
独特のエロス観と情愛で、ごく日常の中にある裸体・猫・花・風景などの撮影を得意とする。1990年に亡くなった妻の姿を撮影したことで世間に衝撃を与えた。その作品は、天才的なひらめき、感覚によるものが多く、ときには、下品さもいとわない。一部の作品については女性をモノのように扱っているのではないかと議論を呼んだり、かつては、「いろもの」的な写真家ととらえられることも多かったが、遅くとも1990年代には、その高い評価は固まったといえる。

荒木大輔

荒木 大輔(あらき だいすけ、1964年5月6日 - )は、昭和末期から平成期(1980年代後半-1990年代前半)のプロ野球選手である。現在西武ライオンズのコーチ 投手コーチを勤める。東京都調布市出身。夫人は元女優・モデル (職業) モデルの相田寿美緒。
調布リトルリーグ所属時代に世界リトルリーグ野球選手権大会優勝。1980年に早稲田実業学校 早稲田実業に進学。同年夏、予選の東東京大会で故障のエース・芳賀に代わり好投し全国高等学校野球選手権大会 夏の甲子園に出場。本戦でも好投を続け決勝進出を果たすも、愛甲猛を擁する横浜中学校・高等学校 横浜高校に4-6で敗れ優勝を逃す。1年生とは思えない力投と、端正な顔つきが相まって女性ファンから絶大な支持を集め、試合後バスを女性ファンが取り囲むのは名物となった。この大会より早実高は荒木を不動のエースに据え選抜高等学校野球大会 春夏5季連続で甲子園に出場。「大ちゃんフィーバー」は社会現象となり、新生児の名前に「大輔」が流行した。1980年9月に生まれた松坂大輔の母親も荒木の大ファンで「大輔」と命名したとされる。

荒木しげる

荒木 しげる(あらき しげる、1949年2月9日 - )は、日本のミュージシャン、俳優。本名、荒木 生徳。
鹿児島県出身。血液型・B型。
玉川大学在学中の1968年にグループサウンズ「フォー・セインツ(のちにフォー・クローバースに改名)」でデビューし、ドラムスを担当。「小さな日記」「希望」「冬物語」などのヒット曲を生み出す。1973年に解散後はコマーシャル CMモデルを経て俳優に転向。当初は本名の荒木生徳名義で活動していたが、1975年、特撮テレビドラマ『仮面ライダーストロンガー』主演をきっかけに、役名が城茂だったことから荒木茂(のちに荒木しげる)に改名。その後、『超神ビビューン』『特捜最前線』『暴れん坊将軍』等に出演し、現在も活躍中。2000年にはシングル「失恋日記/雨情話」をリリースし、歌手としても活動を再開している。

荒木貞夫

荒木 貞夫(あらき さだお、1877年5月26日 - 1966年11月2日)は大正~昭和の陸軍大将で、皇道派の重鎮として、当時の血気盛んな青年将校のカリスマ的存在であった。
東京都狛江市出身。日本学園中学校・高等学校 日本中学中退を経て、明治30年11月陸軍士官学校卒業。明治37年2月陸軍大学中退。1931年より犬養毅・斎藤実内閣陸軍大臣 陸相。1934年、軍事参議官。1935年、男爵。1936年、二・二六事件の粛軍の結果予備役編入。1939年、平沼騏一郎内閣文部大臣 文相。
A級戦犯に処せられて終身禁固の判決を受け服役。1955年、仮釈放。東京裁判ではのらりくらりとしながらもその堂々とした態度が、他の被告人らを奮い立たせたとも云われている。

荒木久美

荒木 久美(あらき くみ、1965年10月11日 - )は日本の元女子陸上・マラソン選手。福岡県小郡市出身。
佐々木七恵、増田明美、浅井えり子、宮原美佐子らと共に日本女子マラソンの黎明期に活躍した。
また全日本実業団女子駅伝や、全日本都道府県対抗女子駅伝で活躍。
全日本実業団女子駅伝では80年代に山下佐知子らと京セラ黄金期を築く。
1986年10月 ソウルアジア大会女子10000M出場、銀メダル獲得。
1987年03月 名古屋国際女子マラソンが初マラソン、2:37:12の5位に入る。
1987年11月 ローマ世界陸上女子10000M出場、予選を通過し決勝では18位。
1988年01月 大阪国際女子マラソンに出走、ゴール手前で浅井えり子を抜き、宮原美佐子に次いで2:31:40の3位に入り、ソウル五輪女子マラソン代表となる。

荒木和博

荒木和博(あらきかずひろ 昭和31年(1956年) - )は、日本の学者。拓殖大学海外事情研究所教授。特定失踪者問題調査会代表。陸上自衛隊予備自衛官(予備一等陸曹、朝鮮語技能)。「諸君!」に、「月報『朝鮮民主主義人民共和国 北朝鮮問題』」を連載中。
東京都生まれ。慶応義塾大学法学部政治学科を卒業。民社党本部書記局に入局、教育・広報・青年運動などを担当。1993年第40回衆議院議員総選挙 第40回総選挙に無所属で立候補するが落選。
元現代コリア研究所研究部長。拓殖大学海外事情研究所講師、助教授を経て平成16年10月より現職。この間、北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会事務局長、拉致問題に取り組む民社人権会議幹事なども務める。

荒木絵里香

荒木絵里香(あらき えりか、1984年8月3日 - )は日本のバレーボール選手。岡山県倉敷市出身。ニックネームはエリカ。テレビ中継におけるキャッチフレーズは世界をぶちぬく鉄腕エリカ、パワプリエリカ(2005年ワールドグランドチャンピオンズカップ グラチャン)など。
到達点
高校時代、大山加奈と共に2002年の春の高校バレーの優勝に貢献した。第10回Vリーグでは新人ながらベスト6を受賞し、2005年のバレーボール・ワールドグランプリで全日本代表デビューを果たした。体格を生かした力強いスパイクとブロックで安定した活躍を見せている。大きい体と愛くるしい笑顔からクマのプーさんと呼ばれることもある。好きな食べ物はチョコレート。父親は早稲田大学ラグビー蹴球部 早稲田大学の元ラグビー選手である。

荒木一郎

荒木 一郎(あらき いちろう、1944年1月8日 - )は、日本の俳優、歌手、音楽プロデューサー、小説家。母親は女優の荒木道子。
東京都出身。
1963年、青山学院高校卒業。文学座に在籍して俳優業を開始、『バス通り裏』でデビュー。一方で音楽の才能も注目され、東海ラジオの番組『星に唄おう』のDJを務め、そのテーマ曲「空に星があるように」で1966年に歌手デビュー。
1969年、スキャンダルで一度表舞台から姿を消すが、そんな状況下でも8トラックカートリッジでの作品発表など地道な活動を続け、1971年に完全復活。以後、他アーティストのプロデュースや映像作品の音楽制作なども含め、幅広い活動を行っている。

荒川良々

荒川 良々(あらかわ よしよし、1974年1月18日 - )は、松尾スズキの主宰する劇団、大人計画所属の日本の俳優 役者。本名、荒川良友。
佐賀県小城市出身。血液型はO型。
嫌われ松子の一生
ピンポン (漫画) ピンポン(太田)
恋する幼虫
ジョゼと虎と魚たち
下妻物語
SURVIVE STYLE 5+
真夜中の弥次さん喜多さん
いぬのえいが(声の出演)
姑獲鳥の夏
ロボコン (映画) ロボコン(豪原:第1ロボット部 部長)
血を吸う宇宙
ガッコの先生(2001年10月 - 12月、東京放送 TBS系) - 三郎 役
愛なんていらねえよ、夏(2002年7月 - 9月、TBS系)

Page Top