阿部眞弓(あべまゆみ)は、呼吸器内科医・医学博士・日本禁煙推進医師歯科医師連盟運営委員。東京都立三田高等学校卒業後東北大学医学部卒業。1994年に禁煙外来を始め、その後日本で初めて禁煙相談のインターネットサイトを開設し、受動喫煙に関する相談や禁煙支援・携帯電話を使った禁煙支援サービス「卒煙ネット」を行う。現在、東京女子医科大学付属病院と社会福祉法人三井記念病院総合健診センターで禁煙外来を開きながら受動喫煙や空気環境問題に関する研究や講演も行っている。
禁煙外来 吸いたい人もやめたい人もみんなで読む本 (芳賀書店)
99%禁煙できる本 (三笠書房)
阿部 真宏(あべ まさひろ、1978年5月12日-)はオリックス・バファローズの遊撃手。右投げ右打ち。川崎市高津区出身。
横浜中学校・高等学校 横浜高校時代は幕田賢治と共にクリーンナップを担い、夏の甲子園では4番を務めた。その後法政大学に進学、下級生の頃から遊撃手(一時三塁手に転向)のレギュラーとして同級生の広瀬純とともに3番や4番を任され、優勝に大きく貢献する。2001年にドラフト4位で大阪近鉄バファローズに入団(背番号41)。1年目の4月15日、北海道日本ハムファイターズ 日本ハムファイターズ戦でサヨナラ安打を放つなど戦力として期待されたが、ショーン・ギルバートの入団によって育成重視のために2軍落ち。しかしギルバートが退団した2年目にレギュラーとなり、2003年には規定打席に到達。打率.291をマークした。しかし、次の年は打率を落としてしまった。
阿部 牧郎(あべ まきお、1933年9月4日 - )は、日本の小説家。
京都府出身。京都大学文学部フランス文学科卒。サラリーマン生活の傍ら作家活動に入り、1968年に『蛸と精鋭』が候補になって以後69~71年にかけて7回(61、62、64、65、67、71回)直木三十五賞 直木賞候補になる。1987年『それぞれの終楽章』で第98回直木賞受賞。
官能小説家として多くの作品があるが、野球に関する小説も多く、直木賞候補になった『失われた球譜』以後『狼たちの笑う日』や『ドンキホーテ軍団』、『焦土の野球連盟』などフィクション、ノンフィクションの区別なく秀作がある。また、『英雄の魂 小説石原莞爾』、『豪胆の人 帝国陸軍参謀長・長勇伝』などの評伝小説も多い。
阿部 文男(あべ ふみお、1922年6月23日 - )は、日本の政治家、元自由民主党衆議院議員。
山形県出身。函館市議会議員、北海道議会議員を経て、1969年、旧北海道3区から衆院選に立候補し、初当選。当選7回。
自民党内では宏池会 前尾→大平→鈴木→宮澤派に所属。鈴木派時代は、宮澤喜一のライバル田中六助に近い存在だった。
1989年8月、第一次海部俊樹内閣の北海道開発庁長官・沖縄開発庁長官として初入閣。翌年の2月まで務めたが、1992年1月、長官在任中、北海道のリゾート事業に絡み、鉄骨加工会社「共和」から9000万円を受け取ったとして賄賂罪 受託収賄罪で逮捕起訴された。
2000年3月、懲役3年(追徴金9000万円)の実刑が確定。
阿部 寛(あべ ひろし、1964年6月22日 - )は、日本の俳優。
神奈川県横浜市神奈川区出身。身長189cm。血液型A型。愛称は「阿部ちゃん」。茂田オフイス所属。
横浜市立三ツ沢小学校、横浜市立松本中学校、神奈川県立白山高等学校、一浪後、中央大学理工学部卒。大学在学中の1983年、姉に勧められて優勝賞品である車ほしさに「集英社第3回ノンノボーイフレンド大賞」へ応募し、見事優勝。以降、雑誌「ノンノ」「メンズノンノ」のカリスマモデルとして活躍。
「メンズノンノ」の創刊号から43号まで連続して表紙を飾り、「世界で最も『同じ雑誌の表紙を連続して飾った人物」としてギネスブックに掲載されている。
あべ 弘士(あべ ひろし、男性、1948年6月19日 - )は、絵本作家。北海道旭川市出身。
1972年から25年間、旭川市旭山動物園飼育係として勤務。
現在は退職し、絵本を中心に作品を創っている。
『あらしのよるに』(講談社)で講談社出版文化賞絵本賞、産経児童出版文化賞、JR賞受賞。
旭山動物園日誌(出版工房ミル)
おっとせいおんど(福音館書店)
雪の上のなぞのあしあと(福音館書店)
絵ときゾウの時間とネズミの時間(福音館書店)
どうぶつえんガイド(福音館書店)
カエルのべんとうや(福音館書店)
どうぶつえん物語(絵本館)
あらしのよるにシリーズ(講談社)
あかいとり(童心社)
阿部 典史(あべ のりふみ、1975年9月7日)は、東京都出身のモーターサイクル・ロードレース (オートバイ) ロードレースレーサー。エントリーネームはニックネームでもある「Norick Abe(ノリック・アベ)」。
父はオートレース選手の阿部光雄。5歳からバイクに乗り、ポケバイ、ミニバイクレースを経験した。15歳で渡米しダートトラック、モトクロスの修行をする。全日本ロードレース選手権フル参戦一年目の1993年に最高峰クラスの500ccクラスにおいて、史上最年少の18歳でチャンピオン、そして500ccクラス最後のチャンピオンとなった。
1994年にはロードレース世界選手権(WGP)日本グランプリ (ロードレース) 日本GPでケビン・シュワンツ、マイケル・ドゥーハン等と苛烈なトップ争いを繰り広げながらも残り3周で転倒リタイアしてしまうという、センセーショナルなデビューを飾る。阿部のパフォーマンスのインパクトは、バレンティーノ・ロッシがこの阿部の勇姿に憧れ自らを「ろっしふみ」と名乗ったエピソードが物語っている。この時点で阿部は本田技研工業 ホンダ陣営(チームブルーフォックス)の所属だったが、この時の実力を高く評価したウェイン・レイニーからの強い誘いにより、シーズン中ながらヤマハ発動機 ヤマハ陣営へ異例の移籍を果たし、WGPにさらに2戦スポット参戦した。当時のヤマハは他社のワークス・マシンに乗っていた日本人ライダーと契約する前例はなく、ウェイン・レイニーの強い希望によって実現したといえる。
阿部 信行(あべ のぶゆき、明治8年(1875年)11月24日 - 昭和28年(1953年)9月7日)は日本の大日本帝国陸軍 陸軍軍人、政治家。第36代内閣総理大臣。石川県金沢市生まれ。旧加賀藩 金沢藩士の子としてうまれる。義弟には井上成美(最後の海軍大将)がいる。
東京都立日比谷高等学校 東京府立一中を経て、第四高等学校在学時に日清戦争があり、軍人志望に転換、四高を中退し、陸軍士官学校 (日本)#士官候補生以降 陸軍士官学校へ。陸士9期生、陸軍大学校#19期 (明治40年卒) 陸軍大学校19期生。1930年12月22日に第4師団 (日本軍) 第4師団長となる。1933年、軍事参議院 軍事参議官。1936年、二・二六事件後の粛軍の結果、陸軍大将を最後に役種 予備役編入。
阿部夏丸(あべなつまる、1960年 - )は愛知県出身の作家。名古屋芸術大学を卒業後、幼稚園絵画講師、書店店長などを経験。「泣けない魚たち」で第11回坪田譲治文学賞・第6回椋鳩十児童文学賞をダブル受賞した。
第2作「オグリの子」は、NHKでドラマ化された。小学館のアウトドア雑誌「BE-PAL」にて、阿部夏丸責任編集「月刊雑魚釣りニュース」を担当。自宅にて絵画教室「オープンハウス」を主宰する。
泣けない魚たち
オオサンショウウオの夏
オグリの子
峰雲へ
父のようにはなりたくない
見えない敵
日本の小説家 あへ なつまる
日本の児童文学作家 あへ なつまる
1960年生 あへなつまる