山北 茂利(やまきたしげとし、1978年1月6日 - )は、横浜ベイスターズ所属のプロ野球選手(投手)。背番号は27番。(本人はランディー・ジョンソンのつけていた51番を希望したが、すでに田中充 (外野手) 田中充が使っていたので土居龍太郎の27をもらった)。愛称は「アフロディーテ」「ランディー」など。190cm強の身長からスリークォーターで投げおろすスタイルで知られる、中継ぎで実績を残してきた左腕。
目標とするのは同じ長身左腕であるランディ・ジョンソン(現ニューヨーク・ヤンキース)で、2003年には背番号を入団時の59から51に変更。2005年のロッテ移籍時には51の逆の15をつけたが、翌2006年に再び51に変更。しかしすぐに横浜にトレードされ、前述の27に落ち着いた。一度も解雇されずに3球団を渡り歩くという、非常に珍しい経験をしている投手である。
山岸靖代 (やまぎし やすよ、1979年11月28日 - )は、伊賀フットボールクラブくノ一 伊賀FCくノ一所属の女子サッカー選手。埼玉県出身。身長163cm。ポジションはディフェンダー (サッカー) ディフェンダー(DF)。
芝小少年サッカークラブから埼玉栄高校を経て、日本女子サッカーリーグ L・リーグのプリマハムくノ一(現・伊賀FCくノ一)に入団。中心選手として活躍する。
なでしこジャパンではスーパーサブとしての起用が多いが、アテネオリンピック (2004年) アテネオリンピック本戦では矢野喬子選手の負傷欠場により先発で起用されることが多かった。
クラブ
リーグ
背番号
ポジション
第10回日本女子サッカーリーグ 1998
山岸 穣(やまぎし みのる、1982年8月17日 - )は、プロ野球・西武ライオンズの投手である。背番号は36番。
2005年9月18日の対千葉ロッテマリーンズ ロッテ戦(千葉マリンスタジアム 千葉マリン)でプロ初勝利を挙げるなど、1年目、特に後半から安定した投球を披露。140キロ前後の直球とカーブ・チェンジアップを武器とする。
2006年は期待されたが、故障により開幕一軍の座は逃した。しかし開幕直後には完治しており、早い時期での一軍昇格を期待されている。
投打 右/右
出身地 福井県鯖江市
出身校 福井県立福井商業高等学校 福井商(甲子園出場)- 青山学院大学 青学大(東都大学野球連盟 東都大学野球リーグ通算32勝)
山岸真(やまぎし まこと 1962年-)はSF翻訳者。新潟県長岡市出身。長岡高校を経て、埼玉大学教養学部卒。卒論のテーマはマイクル・ビショップ。
1980年代から海外SF紹介の第一人者として活躍。近年ではグレッグ・イーガンの作品翻訳などで知られている。
ちなみに、篠田節子の小説『百年の恋』の主人公岸田真一のモデル(ただし、職業・名前等に限定)でもある。
『宇宙消失』 ”Quarantine” (創元SF文庫)
『順列都市』 ”Permutation City” (ハヤカワ文庫SF)
『万物理論』 ”Distress” (創元SF文庫)
『祈りの海』 ”Oceanic and Other Stories” (2000年, ハヤカワ文庫SF):日本オリジナル
『しあわせの理由』 ”Reasons to be Cheerful and Other Stories” (2003年, ハヤカワ文庫SF):日本オリジナル
山岸 範宏(やまぎし のりひろ、1978年5月17日 - )は、日本プロサッカーリーグ Jリーグデビィジョン1(J1)・浦和レッドダイヤモンズ所属のサッカー選手 プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。
キリンチャレンジカップ2006、トリニダード・トバゴ戦で初めてA代表選出された。
昨季は1試合のみの出場。ポジション奪回を期す。2006年当初は控えだったが、その後都築龍太の戦線離脱により、ゴールを守り続けている。
身長・体重 1m85cm、84kg
出身地 埼玉県熊谷市(旧大里町)
血液型 A型
出身校 埼玉県立熊谷高等学校 熊谷高 - 中京大学
特 徴 日中の試合では眩しさ対策のためキャップをかぶって出場することもしばしば・・・
山岸 俊男(やまぎし としお、1948年1月21日 - )は愛知県名古屋市生まれの社会心理学者。北海道大学大学院文学研究科教授、ワシントン大学 (UW) ワシントン大学社会学部盟員教授。2002年北海道大学における21世紀COEプログラム「心の文化・生態学的基盤」拠点リーダーに就任。2004年紫綬褒章受章。
1966年 東海学園高等学校卒業
1970年 一橋大学社会学部卒業
1972年 一橋大学大学院社会学研究科社会学専攻修士課程修了
1981年 一橋大学大学院社会学研究科社会学専攻博士後期課程単位修得退学
1982年 ワシントン大学 (UW) ワシントン大学大学院社会学研究科博士課程修了、Ph.D.取得
1975年 ワシントン大学 (UW) ワシントン大学社会学部教育助手
山川 豊(やまかわゆたか、1958年10月15日-)は、演歌歌手である。三重県鳥羽市石鏡町出身。
漁師演歌の最高峰、鳥羽一郎の実弟としても知られる。
「函館本線」(1981年)にてデビュー。新人賞を総なめした。(近藤真彦と同期)
以来、「放浪ごころ」(1982年)、「港酒場」(1987年)、「途中下車」(1994年)などなど、旅情感募る味わいソングで多くの人情派ピープルから熱い支持を集めているようだ。
また、高身長、筋肉隆々の痩せ型、幅広肩、そして何より小顔でジャパニーズ・ダンディズムをギュッと凝縮したかのようなルックスも大きな魅力。
2006年3月に「笑っていいとも」のテレフォンショッキングに出演した際、「最近社交ダンスに嵌っており、現在取得の更に上級の資格取得の為に奮闘している」との事。
山川方夫(やまかわ まさお 1930年2月25日 - 1965年2月20日)は日本の作家。本名、山川嘉巳。
東京市下谷区上野桜木町(現在の東京都台東区上野桜木町)にて、日本画家山川秀峰の長男として生まれ、品川区下大崎(現在の品川区東五反田)に育つ。
1936年、慶應義塾幼稚舎に入学。1942年、慶應義塾普通部に入学。1945年、敗戦を神奈川県中郡 (神奈川県) 中郡二宮町 (神奈川県) 二宮町の父の別荘で迎える。1947年、慶應義塾予科文学部に入学。在学中に学制改革を経て慶應義塾大学文学部仏文科に進む。1952年に卒業。卒論はサルトル。1952年、慶應義塾大学大学院文学研究科仏文専攻に入学。「三田文学」に参加。1953年、大学院中退。1956年、田久保英夫、桂芳久、江藤淳、坂上弘と共に第3次「三田文学」を創刊。
山川 均(やまかわ ひとし、1880年12月20日 - 1958年3月23日)は、日本の社会主義者・社会運動家・思想家・評論家。労農派マルクス主義の指導的理論家であった。
岡山県倉敷に生まれる。同志社尋常中学部に学び、新島襄や柏木義円らから影響を受ける。同志社を中退して上京。1900年、守田有秋らの友人と語らって発行していた雑誌『青年の福音』に掲載した皇太子の結婚事情について書いた論説「人生の大惨劇」が不敬罪に問われ、重禁固刑を受ける。これは、不敬罪が適用された最初である。出獄後、いったんは倉敷に戻るが、ふたたび上京。
1906年に堺利彦らの社会党に入党、日刊『平民新聞』にも参加し、社会主義運動に加わった。1908年には赤旗事件で入獄し、獄中で「大逆事件(幸徳秋水事件 幸徳事件)」の報を聞く。出獄後、一時故郷で薬局を開業するも、再三上京し堺の売文社に入社。社会主義冬の時代を評論活動で糊口を凌ぐ。
山川 直人
山川直人 (映画監督) (1957年-)
山川直人 (漫画家) (1962年-)
山川 静夫(やまかわ しずお 1933年2月27日 - )は、昭和後期から平成期(1950年代後半~1990年代前半)の日本放送協会 NHKアナウンサーで、現在は文芸評論家(特に歌舞伎)、エッセイスト。旧静岡市出身で、静岡浅間神社の神主の家に生まれた。
國學院大學文学部卒業。日本の伝統文化に造詣が深く、國學院大學在学中から歌舞伎の声色が得意で、ニッポン放送の歌舞伎番組に出演していた経験を持つ。17代中村勘三郎とも親交があった。
1956年にNHKに入局。NHK青森放送局、NHK仙台放送局、NHK大阪放送局に勤務の後、1968年に東京アナウンス室に配属。前期の担当番組はお父さんはお人よし、女性手帳(大阪制作分)、お楽しみグランドホール、ひるのプレゼント、歌のグランドショー、お国自慢にしひがしなど。
山川 健一(やまかわ けんいち、1953年(昭和28年)7月19日 - )は、日本の作家・ロック (音楽) ロックミュージシャン。千葉県千葉市出身。本名・同じ。早稲田大学商学部卒業。
1977年『鏡の中のガラスの船』で『群像』新人賞優秀作受賞。作風はヴァラエティに富んでおり、『壜の中のメッセージ』『天使が浮かんでいた』に代表されるところの、ローリング・ストーンズをはじめとするブリティッシュ・ロックの精神を盛り込んだ青春小説を精力的に執筆する一方で、『追憶のルート19』『サザンクロス物語』等に代表されるオートバイ 単車小説も数多く手掛ける。またアップルコンピュータ アップル社のMacintosh マッキントッシュ・コンピュータ コンピューターに関する造詣も深く、自身のマッキントッシュとの出会いをライトなタッチで描いた『マッキントッシュ・ハイ』は、マッキントッシュ初心者向けの指南書としても好評を博した。マック関連の最新刊は「希望のマッキントッシュ」。また、イタリアの乗用車、アルファロメオのオーナーであった際には、それに関する著書も出している。この他ポルシェ、ジャガー、レンジローバーに関する書籍も発表している。1989年には、高見沢俊彦を実名で登場させた作品「蜂の王様」を発表し、一部で物議を醸した。