最近の有名人・芸能人 姓名判断 1420

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最近の有名人・芸能人 姓名判断 1420

舟越保武

舟越 保武(ふなこし やすたけ、1912年12月7日 - 2002年2月5日)は佐藤忠良と共に戦後日本を代表する彫刻家。東京藝術大学名誉教授。文化学院出身で画家の妻道子との間に子供6人。次男の舟越桂や三男の舟越直木も彫刻家として活躍中。
1912年、岩手県二戸郡一戸町小鳥谷生まれ。父親が熱心なカトリック教会 カトリック信者だった。県立盛岡中学校(現岩手県立盛岡第一高等学校)在学中(同期に松本俊介)に高村光太郎訳の「ロダンの言葉」に感銘を受け、彫刻家を志す。
1939年 東京美術学校(後の東京藝術大学)彫刻科を卒業。このとき出会った佐藤忠良とは終生の友情を培うことになり、二人は戦後の日本彫刻界を牽引していく。卒業後、独学で石彫をはじめ、数々の作品を発表して注目される。1950年、長男が生まれて間もなく急死したのを機に、自らも洗礼を受けてカトリックに帰依、キリスト教信仰やキリシタンの受難を題材とした制作が増える。

舟越桂

舟越 桂(ふなこし かつら、1951年 - )は、日本の彫刻家である。岩手県盛岡市出身。父舟越保武も戦後日本を代表する著名な彫刻家の一人。
その作品は多くの美術館に展示されているほか、国際的な現代美術展への出展も多い。また、書籍の装丁などに作品が使用されるなど、その作品は多くの人々の目に触れている。現在、母校である東京造形大学において教鞭をとる。
1951年 - 東京芸術大学教授であった彫刻家・舟越保武の次男として生まれる。
1975年 - 東京造形大学彫刻科卒業。
1977年 - 東京芸術大学大学院美術研究科彫刻専攻終了。
1986年 - 文化庁芸術家在外研究員としてロンドンに滞在。

船越英二

船越英二(ふなこし・えいじ。本名・船越栄二郎。1923年3月17日-)は、昭和中期から平成期(1940年代後半-1990年代)の日本の俳優。兄は俳優の三島謙(本名・船越栄太郎)。長男は同じく俳優の船越英一郎。夫人は元女優の長谷川裕見子。
人気ドラマ『暴れん坊将軍』では逝去した有島一郎の後を継ぎ、2代目御側御用取次田之倉孫兵衛役を演じたことでも知られている。
東京都出身。専修大学経済学部卒業。俳優になる気はなかったが、1947年、大映第2期ニューフェイス募集に兄の友人が応募して合格。同年、映画『第二の抱擁』でデビュー。以降、大映の看板俳優として、二枚目役をはじめ幅広い役柄をこなす手堅い演技派として大活躍。数々の名作映画に主演で出演した。『和製マルチェロ・マストロヤンニ』とも云われている。1971年の大映倒産後は、主にテレビドラマで活躍。現在は、俳優業を引退し、神奈川県湯河原町で会員制の旅館を経営している。

船越英一郎

船越 英一郎(ふなこし えいいちろう、本名:船越 栄一郎)、1960年7月21日 - )は、 俳優。ホリプロ所属。血液型はB型。
神奈川県足柄下郡湯河原町出身。日本大学三島高等学校、日本大学芸術学部映画学科卒業。
父親は俳優の船越英二で、母親は元女優の長谷川裕見子で、伯父(父・船越英二の兄)は俳優の三島謙で、妻は女優の松居一代。二時間テレビドラマ ドラマに出演することが多く、「2時間ドラマの帝王」又は、「Mr.2時間ドラマ」、「Mr.土曜ワイド」、「ミスター」と呼ばれ、民放5局の二時間ドラマ全てに主演作品がある唯一の人物でもある。船越本人は、土曜ワイドの常連である。

船木誠勝

realname=船木 優治
nickname=ハイブリッド・レスラー
weight=ジュニアヘビー級(プロレス)
nationality=日本
birth_date=1969年3月13日
birth_place=青森県弘前市
losses=
no contests=
船木 誠勝(ふなき まさかつ、1969年3月13日-)は日本のプロレスラー、俳優。青森県弘前市出身、弘前大学付属中学卒業。本名は船木 優治(ふなき まさはる)で、若手時代は本名でリングに上がっていた。バツイチで再婚、現在の妻は元舞台女優で劇団唖然房所属だった喜山いづみ。
完全実力主義を標榜するプロレス、総合格闘技団体であるパンクラスの設立者。エースとして第一線で活躍する一方、2000年の引退後も運営や方向性の面でも積極的な寄与を行う。現在は俳優業・HERO”S等格闘技番組のコメンテーター等で活動中。パンクラスとの関係を一切断ち、かつて絶縁宣言した前田日明との関係を復活させた。2005年9月には前田の前で、プロレス復帰を匂わせていたが2006年2月で立ち消えとなった。詳しくは後述。

舩木聖士

舩木聖士(ふなきさとし、1973年8月26日- )は広島県三原市出身の元プロ野球選手(投手)。阪神タイガース・千葉ロッテマリーンズに所属した。現在は関西メディカルスポーツ学院で教員・ピッチングコーチを務めている。身長174cm・体重86kg。右投げ右打ち。投球フォームはオーバースロー→スリークォーター。
広島県立尾道商業高等学校 尾道商時代は1年上に山内泰幸(広島東洋カープ 広島)がいたために2年次は控え投手。高校では満足した成績を残せなかったが、社会人のNKK入りし急成長。1995年の都市対抗野球で本格派のエースとして準優勝に貢献、自らもアトランタオリンピックの予選代表にも選出された。翌年、阪神タイガースにドラフト会議 ドラフト1位で入団。140キロ台後半のストレートと球種 (野球) スライダーを武器に早速ローテーション入りし、当時の阪神の弱い打線ながらも6勝を記録、将来のエースとして大いに期待される。しかし翌年以降は肘の故障に苦しんで、成績は大きく低迷。2002年に同球団を解雇された後は、ロッテに入団。主に中継ぎとして登板していたが故障により球威が落ちており、ルーキー時の輝きは取り戻せなかった。

舟木一夫

舟木 一夫(ふなき かずお、1944年12月12日 - )は、日本の演歌歌手。愛知県一宮市出身。本名は、上田成幸。
初期の所属事務所はホリプロダクション、すなわち現在のホリプロであった。
当初は舟木和夫という芸名になる予定だったが、舟木自身の希望で一夫になった。なお、この舟木和夫という芸名は、もともと遠藤実が橋幸夫のために考案していた芸名だった。
優れた美声で1960年代を中心にヒットを飛ばし、同じ時期にデビューした西郷輝彦、橋幸夫とともに「御三家」として人気を集める。青春ソングの定番「高校三年生」に代表されるように、学生時代を元にした歌謡曲のほか、銭形平次のテーマソングのように、時代モノも数多く歌っている。また舞台などにも出演し、多彩な活動している。

不動裕理

不動裕理(ふどう ゆうり、1976年10月14日 - )は、熊本県熊本市出身の女子ゴルフ プロゴルファーである。2000年から2005年の「6年連続」で日本女子ゴルフツアーの賞金女王(賞金ランキング1位)になった。ルーテル学院中学・高等学校卒業。
身長156cmと小柄な体格ながら、正確なショットと勝負強さには定評がある。日本女子プロゴルフ界の中でもずば抜けた安定感を持つが、後輩の宮里藍などに比べると雰囲気は地味で、寡黙なタイプの選手。往年の日本女子プロゴルフの名選手、清元登子に師事している。
1996年にプロゴルファーテスト合格。同年12月、「LPGA新人戦加賀電子カップ」でプロデビュー戦初優勝。2000年、日本国内女子ツアー史上初めて年間獲得賞金額が1億円を突破し、初の賞金女王(賞金ランキング1位)になる。2003年にはツアー新記録となる年間「10勝」を挙げた。獲得額は1億4932万5679円で、この年の男子賞金王伊沢利光を上回った。2004年7月、ツアー通算「30勝」を達成し、日本女子ゴルフ史上最年少記録となる「27歳285日」で永久シード権を獲得した。この年から宮里藍が強力なライバルとして出現する。同年のLPGAツアーチャンピオンシップ 女子ゴルフツアー最終戦では宮里との一騎打ちを制して大会2連覇。2005年の「リゾートトラストレディース」で3位に入り、女子プロゴルフ生涯獲得賞金歴代1位となる。最終戦では大山志保と4打差の2位に終わって大会3連覇を逃したが、6年連続の賞金女王に輝いた。

普天間かおり

普天間 かおり(ふてんま かおり、本名同じ、旧芸名「本間かおり(ほんまかおり)」、1973年9月23日 - )は、沖縄県出身の歌手、シンガーソングライター。
琉球王朝の流れを汲む家系に生まれる。3歳のころから歌い始め、沖縄の芸能界で知られた存在となる。1991年「本間かおり」としてデビュー、アニメソングを中心に歌手活動を始める。その後芸名を本名に戻し、シンガーソングライターとしてインディーズでライブを中心に活動。1999年にテイチクからCDをリリース、現在に至る。
をラジオ福島にて配信中。
運命の糸/光の河 2000年11月
この地球に生まれて/大丈夫だよ・・・ 2001年4月
髪なんか切ったりしない/あくび 2002年10月

ふづき美世

ふづき美世( - みよ 埼玉県久喜市出身、7月28日-)は元宝塚歌劇団花組娘役トップスター。81期生。本名・有馬ふづき。
日向薫のステージを見て宝塚歌劇を志し、中学時代は新体操部で激しいダンスにも耐えうる柔軟性を培った。
1993年、宝塚音楽学校にトップの席次で入学。
1995年、宝塚歌劇団に入団、星組大劇場公演「国境のない地図」(麻路さきトップお披露目公演)で初舞台を踏む。
同年花組に配属。1999年に「夜明けの序曲」(愛華みれ主演)新人公演のヒロインに抜擢され、2000年「源氏物語 あさきゆめみし」「ルートヴィヒⅡ世」と3作品で新人公演ヒロインを演じる。
2001年に宙組に組替え。2002年、バウホール公演「エイジ・オブ・イノセンス」(椿 火呂花主演)で初ヒロイン。

渕崎ゆり子

渕崎 ゆり子(ふちざき ゆりこ 1968年12月5日 - )は東京都出身の女性声優、舞台俳優。リマックス所属。一時は渕崎有里子、淵崎ゆり子の表記で活動していた。愛称「フッチー」。
主な担当キャラクターに『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』の星馬烈、『おじゃる丸』の田村カズマ、『めぞん一刻』の八神いぶき、『サクラ大戦シリーズ サクラ大戦』の李紅蘭、『少女革命ウテナ』の姫宮アンシーなど。
やや鼻にかかったハスキーボイスが特徴。少年から可憐な少女まで幅広く演じる。公表では身長160cm、体重48kg。O型。
10歳からグループこまどりに所属し、子役として活躍。洋画吹き替えを間に挟み、1984年に『魔法の妖精ペルシャ』の篠川紀信役でアニメデビューを果たした。その後1991年にシグマ・セブンに移り、2003年には現所属事務所・リマックスへ移籍。アニメデビュー当時は高校1年であり、同世代の声優と比較するとキャリアは長い。

二村忠美

二村 忠美(ふたむら ただみ、1959年10月8日 - )は北海道日本ハムファイターズ 日本ハムファイターズ・横浜ベイスターズ 横浜大洋ホエールズに所属したプロ野球選手(内野手・外野手)。野球解説者。福岡県出身。
伝習館高校から社会人の三協精機、九州産交を経て1982年、ドラフト3位で入団。ルーキーの年の1983年、打率.282、13本塁打、35打点で見事新人王を獲得。入団から4年連続で二桁本塁打を放つ等活躍した。1990年に大洋へ移籍、1993年には再び日本ハムへ復帰したがその年限りで現役引退した。引退後は地元福岡を拠点に日本初のスポーツ専門チャンネル、ドラマティック プロ野球・パ! スポーツ・アイESPNの野球解説者として放送開始初期から専属で解説している。元巨人監督の長嶋茂雄氏が浪人時代、日本ハムのキャンプ取材で彼を熱心に打撃指導していたシーンがテレビの珍プレー番組でよく放送されていた。現在は熊本市内で「FBBS」を設立。小学生、中学生の野球教室を開いている。

二見伸明

二見 伸明(ふたみ のぶあき、1935年2月10日 - )は日本の政治家。元衆議院議員。公明党、新進党、自由党 (日本) 自由党を経て2004年10月現在、民主党 (1996-) 民主党に所属。早稲田大学大学院修了。政治団体霞見會代表。
1968年 公明新聞政治部長・第1成局長を歴任。
1967年2月 衆院選に茨城3区から出馬し初当選(当選8回)
1970年 竹入義勝、矢野絢也、石田幸四郎ら委員長の下で23年に渡って中央執行委員を歴任。
1971年 正木良明政策審議会長の下で6年に渡って政策審議副会長に就任。
1977年 大久保直彦国会対策委員長の下で3年に渡って国会対策副委員長に就任。
1984年 竹入義勝委員長の下で4年に渡って文化局長に就任。

二間瀬敏史

二間瀬 敏史(ふたませ としふみ、1953年1月2日 - )は、北海道札幌市出身の宇宙物理学 宇宙物理学者。
京都大学理学部を卒業後、京都大学大学院航空宇宙工学専攻へ入学。京大大学院では松田卓也に師事したが、相対論の研究を反対されながらも押し通したのでそのまま博士課程には進めず、B・F・シュッツのところへ留学して博士号取得。弘前大学で助教授を務め、現在東北大学教授。著書に相対論・宇宙論関連が多く『なっとくする宇宙論』などがありいずれも定評がある。
『なっとくする宇宙論』(講談社)
『図解雑学 宇宙論』
『図解雑学 天文学』
『図解雑学 時間論』
『図解雑学 素粒子』

二葉亭四迷

二葉亭 四迷(ふたばてい しめい、男性、元治元年2月28日 (旧暦) 2月28日(1864年4月4日) - 1909年(明治42年)5月10日)は、日本の小説家、翻訳家。長谷川 二葉亭(はせがわ ふたばてい)とも呼ばれる。本名、長谷川 辰之助(はせがわ たつのすけ)。江戸市ヶ谷生れ。東京外国語大学 東京外国語学校露語科中退。
坪内逍遥と交流を結び、その勧めで評論『小説総論』を発表。1887年から91年の間に出された写実主義小説『浮雲 (二葉亭四迷) 浮雲』は言文一致体で書かれ、日本の近代小説の先駆となった。また、ロシア文学の翻訳もよくし、イワン・ツルゲーネフ ツルゲーネフの「あひゞき」「めぐりあひ」は特に有名。自然主義作家へ大きな影響を与えた。

双葉十三郎

双葉十三郎(ふたば じゅうざぶろう、1910年10月9日 - )は、日本の映画評論家・翻訳家。東京都出身。東京大学経済学部卒業。
幼少時から映画館に入り浸る。大学卒業後、住友財閥 住友本社に勤務。在職中から映画評論の世界に足を踏み入れ、のちに退社し、映画評論家として一本立ちした。映画に対する知識は群を抜いており、特に戦前の映画など、現在の映画評論家がカバーできていない映画にも造詣が深い。また、従来の映画評論家から評価されてこなかったB級映画なども誠実に評論することでも知られる。
アメリカ映画史
外国映画ハラハラドキドキぼくの500本
外国映画ぼくの500本
日本映画批判 一九三二-一九五六

二葉あき子

二葉あき子(ふたばあきこ 1915年2月2日 - )は昭和・平成期の歌手。
広島駅のすぐ北側、広島県広島市大須賀町二葉(現在の東区 (広島市) 東区二葉の里)出身で、芸名は二葉の里で安芸の国と地元からとる。本名は加藤芳江。
昭和10年、東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)師範科卒業。音楽学校在籍中、東京音楽学校の奏楽堂で同校期待の増永丈夫の美しいバリトンを聴いて感銘を受ける。その増永丈夫はすでに藤山一郎として流行歌手として名をなしていた。
レコードデビューは、在学中にコロムビアで吹込んだ教育レコード。卒業後、地元の広島の三次高女(現在の広島県立三次高等学校) で教鞭をとる。教師時代も上京して学校用教材のレコードを吹込んだ。

二木啓孝

二木 啓孝(ふたつき ひろたか、1949年 - )は、『日刊ゲンダイ』ニュース編集部部長。鹿児島県出身。
明治大学農学部で食品化学(味噌・しょうゆ等)を学ぶが、大学側から除籍 (学籍) 除籍されたため、明治大学に二木が在学した証拠は無いと言われている。
明治大学除籍後、出版社に勤務。28歳で『週刊ポスト』専属フリーライターとなる。1983年に『日刊ゲンダイ』入社、1995年に現職となる。
二木はオウム真理教が起こした一連の事件に関する報道で活躍し、注目を浴びる。現在もその取材活動の手は休まる事が無い。昼出勤、深夜締め切り、翌朝TVやラジオの出演と、非凡なハードワーカーである。休日は、寝貯めする習性がある。

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