樋口泰行(ひぐちやすゆき、1957年11月28日 - )は、平成期の経営者。
兵庫県生まれ。松下電器産業のエンジニア時代、同じプロジェクトで仕事をした米国IBMスタッフたちから、強烈なカルチャーショックを受け、「MBA(経営学修士)留学」を渇望するようになる。猛勉強の末、ハーバード大学へ入学し、卒業後は異色のキャリアを積む。そして45歳という若さで日本ヒューレット・パッカードの社長に抜擢された。
経歴だけを見れば、一見華やかなエリートと思われるが、本人は内向的で、話し下手で、人一倍不器用な人間だったと言う。それでも大きな成果を上げることができたのは、愚直なまでの「努力」と「熱意」で目の前の仕事と格闘してきたからであり、例えどんなに厳しい環境でも、必死に努力して自分の存在価値を示せば、次のステップが見えてくる。そんな信念を持って生きてきた事を綴り、2005年3月に著書『「愚直」論』を出版した。
樋口 廣太郎(ひぐち ひろたろう、1926年1月25日 - )は、日本の実業家。アサヒビール中興の祖。
京都大学経済学部卒業後、住友銀行に入行。副頭取まで昇進した。1986年、アサヒビール社長に就任。1987年、アサヒスーパードライを発売し大ヒットさせる。1998年、当時の小渕恵三内閣総理大臣に請われて、首相の諮問機関・経済戦略会議の議長に就任した。
ほかに、日本アメリカンフットボール協会コミッショナー、日本スペイン協会会長などの要職を歴任。
つきあい好きが道を開く
才能論
1926年生 ひくち ひろたろう
日本の実業家 ひくち ひろたろう
樋口 久子(ひぐち ひさこ、1945年10月13日 - )は、埼玉県川越市出身の女子プロゴルフ選手。
中学校時代までは陸上競技選手だったが、高校時代に実姉が勤務していた東京急行電鉄 東急砧ゴルフ場で中村寅吉を知り、ゴルフへの関心を深める。卒業後中村に弟子入りし、川越カントリー倶楽部で練習場のスタッフとして勤務する傍らプロ選手としての下積み生活を経験。1967年に第1期女子プロテストに合格した。
その翌年、日本女子プロゴルフ選手権大会、東京放送 TBS女子オープン選手権(現・日本女子オープンゴルフ選手権競技)の2大メジャーを連覇。以後1970年代 1970~1980年代 80年代にかけてこれら2冠を独占するなど日本女子プロゴルフの先駆者としての地位を築く。更に1977年には全米女子プロゴルフ選手権に日本人として初優勝(メジャータイトルそのものも日本男女を通して初)を達成し、世界もその実力を認めた。英語では「ひさこ」という名前が呼びにくいことから、“Hisako ”Chako” Higuchi”(チャコ・ヒグチ)と呼ばれ、世界ゴルフ殿堂の会員としてもこの愛称つきで登録されている。
樋口 龍美(ひぐちたつみ、1976年5月12日-)は、プロ野球中日ドラゴンズの投手である。背番号は21番。力強いフォームから長い腕をしならせ、140km/hを超える速球とキレのある変化球を投げこむ。
身長・体重 1m83cm、83kg
投打 左/右
出身地 福岡県甘木市(現・朝倉市)
血液型 A
球歴・入団経緯 日田林工高 - 九州国際大学 九州国際大 - JR九州硬式野球部 JR九州 - 中日ドラゴンズ(2005-)
プロ入り年度・ドラフト会議 ドラフト順位 2004年・自由枠
大学通算20勝を挙げ、1999年JR九州硬式野球部 JR九州に入社した。当時のJR九州では田崎昌弘がエースとして活躍していたが、注目の左腕として期待された。しかしなかなか結果を残せず、腰の回転を意識するために一時はアンダースローにも転向した。2003年に再びスリークォーターに戻してからは球速も伸び、日産自動車九州硬式野球部 日産自動車九州の補強選手として都市対抗初出場を果たすなど実績を残した。
樋口 真嗣(ひぐち しんじ、1965年9月22日 - )は、東京都出身の日本の特技監督で、映画監督。茨城県立古河第三高等学校卒業。
1984年、高校卒業後に『ゴジラ (1984)』で怪獣造形に携わることで映画界に入る。
1984年、『八岐之大蛇の逆襲』などで親交のあった庵野秀明らが設立したガイナックスに参加し、『王立宇宙軍~オネアミスの翼』で助監督をつとめる。
1992年、村濱章司らとともにゴンゾ GONZOを設立。
1995年、『ガメラ 大怪獣空中決戦』は日本アカデミー賞特別賞を受賞。
2002年、『ミニモニ。THE(じゃ)ムービー お菓子な大冒険!』で映画監督デビュー。
2005年、『ローレライ (映画) ローレライ』監督
樋口清之(ひぐちきよゆき、1909年1月1日 - 1997年2月21日)は奈良県生まれの考古学者・作家。専門は考古学・民俗学。國學院大學名誉教授。國學院大學文学部史学科卒業。文学博士。
考古学者としては静岡県の登呂遺跡の発掘などを行い日本考古学の黎明期を支えた。また民俗学・文化人類学など幅広い研究活動を行い柳田国男に並ぶ学界の権威であった。弟子に苗字研究家の丹羽基二がいる。
作家としての代表作は、「梅干と日本刀」「逆・日本史」など。
教科書的な歴史書からは忘れられがちな庶民生活の視点から、歴史の大局を描き出す。
1930年前後生まれの渡部昇一氏や谷沢永一氏と、互いの著書の推奨文や解説を書きあっている。