最近の有名人・芸能人 姓名判断 1710

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最近の有名人・芸能人 姓名判断 1710

セレス小林

セレス小林(せれすこばやし、本名:小林昭司、1973年2月27日 - )は、茨城県出身の元世界ボクシング協会 WBA世界スーパーフライ級王者。左ボクサーファイター。リングネームの「セレス」はポルトガル語で「青空」という意味で、本人が勤務する冠婚葬祭会社から取ったとのこと。
夫人と娘の3人家族であり、リングを離れれば、子煩悩の優しいパパである。
主な入場テーマはSTRATOVARIUSの「ANTHEM OF THE WORLD」。
1992年4月にバンタム級でプロデビューするも、4回判定負け。
1994年12月、東日本スーパーフライ級新人王獲得。
1997年9月、日本王座初挑戦も、同フライ級王者スズキ・カバトに3回負傷引き分けで、王座獲得ならず。

セルジオ越後

名前=セルジオ越後 画像= 本名=
愛称= カタカナ表記=セルジオ エチゴ
アルファベット表記=Sergio Echigo 原語名= 原語表記=
国=ブラジル 誕生日=1945年7月28日 出身地=サンパウロ 身長=173cm 体重=68kg 血液型=
所属チーム名= ポジション=ミッドフィールダー MF,フォワード FW(ウィンガー) 背番号= 利き足=
CAP数= 代表ゴール数=
セルジオ越後(セルジオ えちご、1945年7月28日 - )は、ブラジル・サンパウロ出身の元プロサッカー選手で、ポジションは右ウイング。日系二世としては初めてブラジル一部リーグでプレーした選手である。ブラジル代表候補にも選出されるが、一身上の都合で23歳の時一度引退。その後1972年に来日。現在はサッカー評論家。ネルソン吉村や与那城ジョージと同じく、日系二世である。娘はタレントのエチゴ由衣。

芹澤廣明

芹澤 廣明(せりざわ ひろあき、1948年1月3日 - )は、神奈川県横浜市港北区出身の作曲家・ミュージシャン・音楽プロデューサーである。
芹澤ヒロ、芹澤廣名義でシングルをリリースしたこともある。※ザ・バロンのデビューより作曲家活動前あたりまでは、河内広明の芸名で活動していたといわれる。
高校時代にバンドを始め、麻生京子とブルー・ファイアのギタリストをしていた幼馴染の清須邦義らと共にザ・バロンを結成し、ギターを担当。
1967年に正式デビューし、尾藤イサオのバックバンドをメインにつとめた。1969年2月には、GSバンドとして独立し、普通にライブ活動を行っていたが、同年6月に、ステージ101のオーディションに合格し、メンバー全員が晴れてヤング101の初期メンバーとなる。以後、清須邦義等が脱退し、自動的に若子内悦郎と2人で「ワカ&ヒロ」を結成。しばらくデュオ活動に専念するが、1975年に解散。

芹沢光治良

芹沢 光治良(せりざわ こうじろう、1896年5月4日- 1993年3月23日、明治31 -平成5)は昭和期に活躍した小説家。
 静岡県駿東郡揚原村我入道(現在の沼津市我入道)に生まれる。当時法学部から独立したばかりの東京大学経済学部の一期生となり卒業。農務省に入省。石黒忠篤のもと小作問題の調査にあたる。休職しフランスに渡り、ソルボンヌ大学で金融社会学のシミアン教授に学ぶ。フランス滞在中に結核に犯され療養につとめる。帰国後,1930年療養中の体験に基づいた作品『ブルヂョア』が、「改造」の2回目の懸賞小説に当選し文壇に登場した。
代表作にノーベル文学賞候補にもなった『巴里に死す』,『人間の運命』や『神の微笑』などがある。

芹沢銈介

芹沢銈介(せりざわ けいすけ, 1895年5月13日 - 1984年4月5日)は、日本の染色工芸家で、型絵染の人間国宝(重要無形文化財保持者)。静岡県静岡市生まれで、静岡市名誉市民。文化功労者。20世紀日本の代表的な工芸家として内外から高く評価されている。
型絵染は芹沢が創始した技法で、布の代わりに、紙を型紙で染めたもの。「型絵染(かたえぞめ)」という呼び名は、人間国宝に認定された折に案出された。
オリジナリティあふれる作品群を生み出したほか、商業デザインも手がけ、
また、その選美眼で世界各地の民芸品を蒐集した。
東北地方、ことに仙台の街や鳴子温泉を愛したことでも知られ、

芹川藍

芹川 藍(せりかわ あい、1950年 - )は女優、演出家。鹿児島県出身。
1973年、東京演劇アンサンブル養成所入所。1974年、劇団青い鳥創立。1986年度紀伊國屋演劇賞、1992年度東京ジャーナル演劇部門賞を受賞。
現在、劇団青い鳥団員、「自己発見表現講座」講師、新潟青陵大学短期大学非常勤講師。
劇団青い鳥上演全作品
2003「ポロロッカ~料理・掃除・洗濯~」
2004「シンデレラ ファイナル」
<客演>
「私の青空」(本多劇場プロデュース)
「想稿 銀河鉄道の夜」(北村想プロデュース)
「女たちの十二夜」(松竹株式会社製作)
「ガルボの帽子」
「青い鳥のハムレット」
「最終版ゆでたまご」

世良公則

世良 公則(せら まさのり、1955年12月14日 - )は、日本のロックミュージシャン、ボーカリスト。広島県福山市水呑町生まれ。広島県立福山葦陽高等学校、大阪芸術大学放送科卒。
大阪芸大在学中に「ツイスト」を結成し、1977年、「あんたのバラード」でヤマハ音楽振興会 ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)と世界歌謡祭でグランプリ。レコードデビュー後は、新メンバーで“世良公則&ツイスト”を結成。出す曲出す曲大ヒット、一世を風靡した。あんたのバラード(オリコン最高6位)、「宿無し」(最高3位)、「銃爪(ひきがね)」(最高1位)、「性」(最高5位)、「燃えろいい女」(最高3位)など。ゴダイゴとともに商業的にも大きく成功し、1980年代の「バンドブーム」を誘発した。当時は『ザ・ベストテン』が始まった時期で、こういったランキング番組や歌番組にも積極的に出演(「銃爪(ひきがね)」で、ザ・ベストテン初年度年間1位獲得(1978年))。同時期デビューした原田真二、Charと共にロック (音楽) ロック御三家と言われ、ゴダイゴ、サザンオールスターズも含めて初めてアイドル雑誌やTVに頻繁に登場・出演したロックミュージシャンであった。彼らの成功は、当時70年代後半の歌謡曲とニューミュージックの全盛時代に新たに「ロック」をオーバーグラウンドにのし上げる事となった。またこの頃、歌番組のスタッフにはロックミュージシャンへの偏見が強く、演出法に対してもめる事が多かったが、これらの改善に世良らが後世に残した功績は大きい。演歌ロックと言われた唱法と、派手なアクションで魅せる世良独自のステージングは、後の音楽界に多大な影響を与えた。1978年の雑誌の「男性タレント・セクシー度調査」で、西城秀樹、沢田研二を抜いてNo.1に選ばれた。

妹尾武

妹尾 武 / Senoo(せのお たけし、1969年12月26日-)は、兵庫県芦屋市出身のピアニスト、作曲家。甲南中学校・高等学校を経て桐朋学園大学音楽学部卒。平吉毅州氏に作曲を師事。1994年、大学在学中に作曲した「So Heavenly.」がサウンド&レコーディング ・マガジン誌上での細野晴臣監修のオーディションにて優秀作に選ばれ、同曲 がコンピレーションアルバム「ecole」(EPIC SONY) に収録されたのを機にプロとしての活動を開始。作詞やコーラスワーク等も手がける多才な音楽職人で、和のテイストが漂う独特のメロディ・ラインには定評がある。
永遠に(ゴスペラーズ)
After The Rain(黒沢薫)
君の未来、僕の想い(鈴木雅之)

妹尾河童

妹尾河童(せのおかっぱ)、男性、1930年6月23日 - )は、兵庫県神戸市長田区生まれのグラフィックデザイナー、舞台美術家、作家。
エッセイ『河童が覗いた』シリーズで発表されるその緻密な手書きイラストには、定評がある。モデルガンのコレクターとしても知られる。
フジテレビジョン フジテレビ美術部に22年間在籍し、ミュージックフェアのセット美術で第1回伊藤熹朔賞テレビ部門を受賞した。
なお、「河童」はデビュー当時のあだ名であり本名は「肇(はじめ)」であったが、それが本名以上に浸透してしまったため1970年に家庭裁判所の承認を取り付けて改名。それ以降は「河童」が(戸籍上も)本名である。

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