千住博(せんじゅひろし、1958年 - )は日本画家。東京都生まれ。名前の「ひろし」は正しくは右上の点のない「十専」という表記である。
1982年、東京芸術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業。1987年、同大学院博士課程修了。卒業とともに個展、展覧会で精力的に作品を発表。1994年、第7回MOA岡田茂吉賞、絵画部門優秀賞受賞(2002年、第13回MOA岡田茂吉賞大賞受賞)。1995年、創立100周年のヴェネツィア・ビエンナーレで27年ぶりに日本人として優秀賞を受賞。2000年、河北倫明賞受賞。2002年大徳寺聚光院別院襖絵完成。
現在、京都造形芸術大学副学長・同国際芸術研究センター所長。ニューヨーク在住。日本画の存在やその技法を世界に認知させ、真の国際性をもった芸術領域にすべく、講演や著述等世界的視野で幅広い活動を行っている。主な著書に、『絵の心』(世界文化社)、『美は時を越える』(日本放送出版協会)、『疑問符としての芸術』(対談集:美術年鑑社)、『日本画から世界画へ』(対談集:美術年鑑社)、『ヴェネツィア日誌』(求龍堂)、『星の降る夜に』(富山房)などがある。
千住 明(せんじゅ あきら、1960年10月21日-)は東京都出身の作曲家・編曲家・音楽プロデューサー。慶應義塾大学工学部を経て東京芸術大学作曲科卒業。同大学院修了(主席)。修了作品「EDEN」は史上8人目の東京芸術大学買上となり、東京芸術大学芸術資料館に永久保存されている。編曲やプロデュースなど幅広く活躍する。特にドラマ音楽を多く手がける。「映像音楽の魔術師」と称されることもある。
日本アカデミー賞優秀音楽賞受賞(1997・1999・2004)
TOYP大賞受賞(1999)
ドラマアカデミー賞劇中音楽賞受賞(2001・2004)
兄は日本画家の千住博、妹はヴァイオリニストの千住真理子。父は故千住鎮雄。
ゼンジー北京(ゼンジー ぺきん、本名、渡辺重信、1940年1月3日 - )は、広島県出身のタレント、奇術 手品師である。和光プロダクション所属。
大阪府立春日丘高等学校を卒業後、ゼンジー中村に弟子入り。1963年、角座初舞台。「タネモシカケモチョトアルヨ」などの怪しげな中国語は、たまたま事務所の隣が中華料理 中国料理店で、そこの店員の喋り方を真似た。ついでにコスチュームも中国風に変え「ハイ!ワタシ中国ハ広島のウマレアルヨ!」と云う口上と共に舞台に立ち、これが大いに受けテレビに乗って、たちまち有名になった。当時、喋りながらマジックをする人は、ほとんどいなかった。近年はこうしたスタイルが主流となっているので、この点でも先駆者といえる。その後は、この独特の語りでのコミックマジックで、お客様を舞台に上げたり、たねあかしをしたり、楽しい舞台で人気を博す。1984年には芸名縁の地である中国・北京にて公演した。同年、第13回上方お笑い大賞受賞。翌年1985年には大阪サンケイホールに於いて芸能生活25周年の記念公演。この模様はテレビの特別番組(読売テレビ)として放送された。他にテレビは『花王名人劇場』、『お笑いネットワーク』、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』、『徹子の部屋』他多数出演。近年は、子どもに見せるための手品集を出版する他、多方面で活躍する。
先崎 学(せんざき まなぶ、1970年6月22日 -)は、日本の棋士 (将棋) 将棋棋士。棋士番号185。青森県出身。米長邦雄永世棋聖戦 (将棋) 棋聖門下。
ニックネームは先ちゃん。棋風は「無頼流」。将棋の知識には頼らず、局面に対する感覚を重視するタイプ。夫人は囲碁の女流棋士 (囲碁) 女流棋士の穂坂繭。
小学生のときより、林葉直子らと米長邦雄宅に住み込みの内弟子として師事。1981年11月に新進棋士奨励会 奨励会に入会。17歳でプロ入り。中学生の頃より飲み屋や雀荘に出入りしていたといい、中学中退と自称する。
口八丁、手八丁の才気煥発な人柄で、奨励会時代より将棋の才能も注目され、将来を嘱望されたが、ある雑誌の記事で、羽生善治と並んだ写真が掲載された時、羽生に「天才」、先崎に「元天才」とコメントがつけられショックを受ける。(「一葉の写真」)
仙谷 由人(せんごく よしと、昭和21年(1946年)1月15日 - ) は、平成期における日本の政治家。衆議院議員(5期)。弁護士。
昭和21年(1946年)1月15日
徳島県徳島市
東京大学法学部退学
弁護士
弁護士
衆・厚生労働委員会衆・憲法調査特別委員会委員
徳島1区
民主党(前原グループ)
次の内閣・厚生労働大臣徳島県総支部連合会代表
衆・第1議員会館235号室
http://www.nmt.ne.jp/~sengoku/ 衆議院議員 仙谷由人ホームページ}}
徳島県に仙谷昌一、真喜子の長男として生まれる。
徳島県立城南高等学校を経て、1964年に東京大学法学部に進学し、東大在学中に司法試験に合格し弁護士免許を得る。 1971年から弁護士活動を開始する。
千石規子(せんごく のりこ、1922年4月29日‐)は、日本の女優である。東京府荏原郡駒沢町(現・東京都世田谷区駒沢)出身、おうし座。本名、森(旧姓:酒井)礼子。
『ムーランルージュ』水谷八重子一座を経て、1947年8月に東宝に入社したのがデビューのきっかけである。
その後は女優として、ドラマや映画と活躍の場を広げ、現在に至る。特に、「たけしくん、ハイ!」や「Dr.コトー診療所」での演技は右に出る者は居ないとまで言われた。庶民的な役がはまり役である。
「踊る!さんま御殿!!」にも出演し、独特なのんびりとしたキャラクターで番組に華を添えた。
広島原爆で全滅した移動劇団「桜隊」に所属していたが、出産のため、広島にいなかったので被爆をまぬがれた。
千石 正一(せんごく しょういち、1949年4月23日 - )は千葉県松戸市出身の動物学者。
両生類、爬虫類に精通しており、現在、財団法人自然環境研究センターの研究主幹。東京放送 TBSテレビの「わくわく動物ランド」に出演し、一躍有名となった。1980年代にエリマキトカゲブームをおこした一人である。現在は同局の「どうぶつ奇想天外」に出演している。
千葉県立船橋高等学校卒業
東京農工大学農学部養蚕学科卒業
原色 両生・爬虫類(家の光協会)
かわいいペット 小動物の飼い方(集英社)
トノサマガエル(集英社)
カエルの一生(ポプラ社)
爬虫両生類飼育図鑑 カメ・トカゲ・イモリ・カエルの飼い方(マリン企画)
千 昌夫(せん まさお 本名:阿部健太郎、1947年4月8日 - )は演歌歌手。岩手県陸前高田市出身。水沢第一高等学校中退。
1965年、作曲家遠藤実に入門。同年9月、『君が好き』でデビュー。
ヒット曲に『星影のワルツ』『北国の春』などがある。
1972年、アメリカ人歌手ジョン・シェパード (タレント) ジョーン・シェパードと結婚し、松下電器の「パナカラー・クイントリックス」やいすゞ自動車のいすゞ・アスカ アスカ、象印マホービンのコマーシャル CMに夫婦で出演したが、1988年に離婚した。
バブル経済 バブル期には「歌う不動産王」、「ホテル王」と呼ばれるほど、世界各地にマンションやビルなどを所有していた。一時はホノルルの殆どのホテルが千昌夫の持ち物と呼ばれるほどで、物真似でもよく「おら金もってんどー」というネタが使われたが、バブル崩壊とともに借金が膨れ上がり、個人事務所「アベインターナショナル」は経営破綻した。現在、1,000億円を超える借金を抱えていると言われる(ただし、自己破産は行っていない)。その借金の殆どは旧新生銀行 長銀から借り入れた金であり、一時国有化による公的資金投入で一時期3,000億円を超える借金は、1,000億円にまで棒引きされた。
森ほさち(もり‐、1974年8月16日 -)は大阪府堺市出身の女優。元宝塚歌劇団花組 (宝塚歌劇) 花組トップ娘役。
1999年までの芸名は“千ほさち(せん‐)”、1994年に宝塚歌劇団にて初舞台を踏む。当初は月組 (宝塚歌劇) 月組に配属され、成績優秀、美貌も兼ね備えた新進娘役スターとして注目される。新人公演、バウホール公演でヒロインなど主要な役を務めた後、1996年に花組 (宝塚歌劇) 花組に組替え。
入団わずか3年目で娘役トップに就任という大抜擢を受ける。しかしトップ就任後約2年の1998年、入団わずか5年目で真矢みきと共に歌劇団を退団。惜しむ声も多かった。
現在は女優として舞台を中心に活躍している。
千夜一夜物語(せんやいちやものがたり、リ」ル・脀 ル・館・ゥ ル蠀 ル・館・ゥ、”Alf Layla wa Layla”、The Book of One Thousand and One Nights)は、アラビア語でまとめられた説話物語集である。
中世イスラム世界で形成されたアラビア語の説話集。中世ペルシア語であるパフラヴィー語で記された(「ハザール・アフサーナ」(千物語))がアッバース朝期に翻訳されたものとされる。いくつかの発展段階を経て、19世紀に現在の1001夜分を含む形で出版された。
18世紀初頭にフランスのアントワーヌ・ガランがヨーロッパで「発見」し、シリア系写本を使ってフランス語訳を行い、ヨーロッパに広く紹介された。以来、さまざまな翻訳と翻案が積み重ねられ、アラブ文学の枠に留まらない大きな文学ジャンルと言えるほどの作品になっている。