相馬 勝也(そうま かつや、1963年5月11日 - )は、西武ライオンズに所属したプロ野球選手。ポジションは捕手。1993年限りで現役を引退、現在は西武のブルペン捕手 チームスタッフである。
身長・体重 1m80cm、76kg
投打 右/右
出身地 東京都荒川区
血液型 AB型
球歴・入団経緯 日本大学第二高等学校 日大二高 - 西武ライオンズ(1982年-1993年)
プロ入り年度・ドラフト順位 1981年(ドラフト外)
入団翌年の1983年にはアメリカ・独立リーグのサンノゼ・ビーズに後の黄金期の主軸を担う秋山幸二、安部理などとともに野球留学を経験した。アメリカでの名前は「バニー・ソウマ(Bunny Soma)」。甘いルックスで人気があった。現在の背番号88は、野球留学を引率した恩師・和田博実(当時二軍コーチ)を受け継いだものである。
草野 唯雄(そうの ただお、1915年10月21日 - )は福岡県大牟田市出身の作家。法政大学専門部卒業。
1961:「報酬は一割」(短編)でデビュー
1962:「交叉する線」:第1回宝石中編賞受賞
「大東京午前二時」
「抹殺の意志」
「瀬戸内海殺人事件」
「鳴き竜事件」
「天皇賞レース殺人事件」
「北の廃坑」
「爆殺予告」
「影の斜坑」
「偽装死体」
「三幕殺人事件」
「紀伊国殺人迷路」
「見えない罠」
宗田 理(そうだ おさむ、1928年5月8日 - )は、日本の作家、小説家。
東京都世田谷区生まれ。愛知県幡豆郡一色町出身。日本大学芸術学部映画学科卒。子供や老人などの視点から社会の矛盾を鋭く指摘するといった作品を多く発表し、中高生を中心に人気を博している。
また、出版物や読物によっては広義の意味でライトノベル作家の範疇に含める場合もある。実際、宗田の作品群、とりわけぼくらシリーズがライトノベルに与えた影響は決して小さいものではなく、ライトノベル文化の形成にとって重要な役割を果たした作家の1人といえる。
戦後間もなく友人と出したガリ版による同人誌にて『涅槃』という最初の作品を書く。当時のペンネームは漠蕪愚(ばくぶぐ)。アメリカ映画に衝撃を受け日本大学芸術学部映画学科に入学し、実習の創作としてシナリオを書く。その時に書いた『雲の果て』という作品が、講師として来ていたシナリオライター八木沢武孝の目にとまり助手をするようになり、映画『台風息子』の脚色の下書きなどを書く。
宗 由貴(そう ゆうき、1957年 - )は、香川県出身の日本少林寺拳法グループ総裁。
父は金剛禅総本山少林寺の開祖宗道臣で、父の死後、少林寺拳法師家第2世宗道臣を襲名した。
金剛禅総本山少林寺の管長を経て、現在は少林寺拳法グループ総裁となっている。
少林寺拳法
香川県出身の有名人一覧
1957年生 そう ゆうき
拳法 そう ゆうき
宗茂(そうしげる、1953年1月9日 - 、大分県臼杵市出身)は元マラソン選手。
モントリオールオリンピック モントリオール、モスクワオリンピック モスクワ、ロサンゼルスオリンピック (1984年) ロサンゼルスの3大会五輪マラソン日本代表。双子の弟の宗猛(そうたけし)とともに、兄弟で多くの国際大会に出場し、入賞を果たした。
マラソンでは、スタートから先頭を引っ張る積極的レースが多かった。
自己記録である2時間9分5秒6(1978年別府大分毎日マラソン)は、当時の世界歴代2位だった。このレースでも宗茂は、スタートより果敢に先頭に立ち、当時としては驚異的といえる5km14分台のペースを刻んだが、後半の強風により、世界記録の偉業は阻まれることとなった。
宗 左近(そう さこん、1919年5月1日 - 2006年6月20日)は、詩人・評論家・仏文学者であり翻訳家。本名は古賀 照一(こが てるいち)。法政大学名誉教授や昭和女子大学教授も務めた。
福岡県遠賀郡戸畑町(北九州市戸畑区)に生まれる。天籟寺小学校、戸畑小学校、宮崎第二小学校、宮崎中学(現・宮崎県立宮崎大宮高等学校)、小倉中学(現・福岡県立小倉高等学校)を経て上京。第一高等学校 (旧制) 旧制一高を卒業後、1942年、東京大学哲学科に入学した。1945年4月、召集により横須賀海兵隊に入隊したが、精神錯乱を装い除隊というエピソードもある。東京大学卒業後、都立女専に就職し、フランス語を担当した。その後法政大学社会学部教授などを歴任した。
荘 勝雄(そう かつお、1959年2月1日 - 、日本名 坂元良嘉)は、台湾出身のプロ野球選手(投手)。現千葉ロッテマリーンズ2軍コーチ(投手兼トレーニング担当)。1991年に帰化。
台湾時代の1985年、世界選手権でMVPを獲得。同年ロッテに外国人助っ人として加入。速球と変化球の絶妙なコンビネーションで、入団年から5年連続2桁勝利をマーク。スタミナの強さでも知られ、1986年には10連続セーブポイント(当時のパシフィック・リーグ パ・リーグ記録)をマークし、1987年からは3年連続15完投以上の記録を残している。1991年日本に帰化。1995年限りで引退。地元台湾では「二郭一荘」と呼ばれ、郭源治(中日ドラゴンズ 中日)・郭泰源(西武ライオンズ 西武)と並ぶ国民的英雄である(ちなみに源治のほうが先に日本に帰化した)。オールスターゲーム (日本プロ野球) オールスター出場1回(1985年)。
壮一帆(そう かずほ)は、宝塚歌劇団雪組 (宝塚歌劇) 雪組の男役スター。愛称は「そう」。
兵庫県出身。血液型AB型。
1996年月組 (宝塚歌劇) 月組公演「CAN-CAN」で初舞台を踏み、同年・花組 (宝塚歌劇) 花組に配属となる。
バウホール公演や新人公演などで重要な役所を演じた後、2000年、愛華みれ主演の舞台「源氏物語 あさきゆめみし」で源氏の従者・良清の役を、また新人公演では初の大役である頭の中将を演じ頭角をあらわす事となる。
その後ドイツ・ベルリン公演に5組選抜で参加したのち、2001年のバウ公演「マノン」で主人公の友人・ミゲル役を好演。
同年秋、雪組に組替えとなり、同組公演の「愛 燃える」では新人公演の初主役(呉王・夫差役)を熱演し次第に男役としての魅力を発揮してゆく。
船場 太郎(せんば たろう、1939年11月8日 - )は、喜劇俳優・政治家。本名・松原 昌平。大阪府大阪市旭区 (大阪市) 旭区出身。吉本興業所属。
大阪府立旭高等学校を卒業後、和田弘とマヒナスターズのバンドボーイなどを経て、1965年吉本新喜劇に入団。
「せん、ばたろうです」「クワ~クワ~クワ~」のギャグで人気者となり、主に二枚目役を演じ、座長も務めた。岡八朗・花紀京・原哲男・木村進(三代目博多淡海)・間寛平等と共に活躍、『吉本新喜劇やめヨッかな?キャンペーン』後は脇役に回り、1991年に退団。同年、大阪市議選に無所属で出馬し当選。その後自由民主党_(日本) 自由民主党入党、4期目の2003年6月21日から1年間、第99代大阪市議会議長を務めた。
膳場 貴子(ぜんば たかこ、本名:瀬名 貴子、1975年2月28日~)は、日本のフリーアナウンサーで元日本放送協会 NHKアナウンサー。東京都出身。
女子学院高等学校 私立女子学院高等学校を経て、東京大学医学部健康科学・看護学科を卒業後の1997年、アナウンサーとしてNHKへ入局。NHK静岡放送局 静岡放送局を経て、2000年春からNHK放送センター 東京勤務。2006年3月一杯でNHKを退職した。
同期入局の島津有理子 島津有理子アナは、高校と大学が同じ(海外留学の経験がある島津の方が1歳上)である。また、高校時代の同級生には日本テレビ放送網 日本テレビの馬場典子 馬場典子アナ、漫画家の辛酸なめ子がいる。