瀬古 利彦(せこ としひこ、1956年7月15日 - )は三重県桑名市出身の陸上競技、マラソン選手。1970年代後半から1980年代にかけて宗茂、宗猛、中山竹通、新宅雅也らとともに日本長距離界をリードした。
三重県立四日市工業高等学校入学後から中距離で頭角を現し、中長距離では1年目からの活躍が難しいと言われる全国高等学校総合体育大会(インターハイ)800mで3位に入賞(そのとき優勝したのは後に1500mで長く日本記録を保持した石井隆士)。順調に成長した2年次はその期待に応え800m、1500mで優勝し中距離二冠に輝いた。3年次は、800m、1500m、5000mの中長距離三冠の偉業に挑戦したが、5000mで中村孝生(群馬県立前橋工業高等学校 前橋工)の乾坤一擲のロングスパートに破れ2位に終わり、2年次同様に中距離の2冠に終わった。しかし、800mは予選、準決勝、決勝の3レース、1500m、5000mは予選、決勝の2レースと四日間のインターハイ(陸上競技)開催期間で15,400mを走破し二種目の優勝と一種目の準優勝を獲得したのは空前絶後であり、その時点で日本中長距離史上で特筆される才能を持った好選手と評価されていた。
関谷 正徳(せきや まさのり、1949年11月27日 - )は、日本の元レーシングドライバー。静岡県出身。血液型はA型。常葉学園橘高校卒業。
2005年現在はSuper GTに参戦するトムスチームの監督を務めるほか、フォーミュラ・トヨタ・レーシングスクール(FTRS)の校長でもある。
1971年に富士スピードウェイ 富士500kmレースでデビュー。1972年から1975年は数々の耐久レースで活躍していた。1976年は富士グランドチャンピオンレース 富士GC併催のスーパーツーリング選手権シリーズ2位。翌1977年はチャンピオン獲得。1978年~1981年は富士GCに参戦。
1982年には渡英し、イギリスのフォーミュラ・アトランティック選手権に参戦、6戦中5戦入賞した。1983年にはトムスと契約。1984年には全日本耐久選手権に参戦した。以後は全日本フォーミュラ3000 F3000選手権や全日本ツーリングカー選手権、全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)などで活躍する。1992年には、ル・マン24時間レースでトヨタTS010をドライブし、総合二位の成績を上げる。
関屋 晋 (せきや しん、本名:晋(すすむ)、1928年7月6日 - 2005年4月9日)は、日本の合唱指揮者である。
東京都生まれ、早稲田大学政治経済学部卒。大学在学時より指揮者として活躍する。卒業後は一時期会社勤めをしたものの、退職後は合唱に専念、主に大学、一般合唱団の指導にたずさわった。「専業合唱指揮者」の草分け的存在である。彼以前の合唱指揮者は他に主たる仕事(教職や作曲、声楽など)を持っていたか、オーケストラや吹奏楽の指揮もしていた。合唱に関する仕事のみで長年生計を立てたのは、日本ではおそらく彼がはじめてである。
※戦前から活躍していた合唱指揮者津川主一は歌曲の訳詞や、音楽書の著作、翻訳も手がけた。また、木下保や秋山日出夫は歌手でもある。関屋とほぼ同時期に登場した田中信昭や北村協一はオペラにも関わった。
関谷 勝嗣(せきや かつつぐ、1938年3月6日 - )は、日本の政治家、自由民主党所属の参議院議員(現在2期)。元衆議院議員(8期)。山崎派に所属。愛媛県松山市出身。現職は参議院憲法調査会会長。
愛媛県立松山北高等学校を経て、1960年中央大学法学部政治学科を卒業し、日本航空に入社。1976年、父・関谷勝利の引退に伴い、その後を継ぎ衆議院議員に初当選。1990年に海部内閣で郵政大臣、1999年小渕内閣で建設大臣・国土庁長官に就任する。塩崎恭久と変則コスタリカを組み、2000年の第42回衆議院議員総選挙に出馬せず(塩崎が関谷の後継として出馬)、塩崎の衆院転出に伴う参議院議員補欠選挙に出馬し、参議院に鞍替えした。2001年に再選。
関本 四十四(せきもと しとし、1949年5月1日 - )は読売ジャイアンツ・西武ライオンズ 太平洋クラブライオンズ・横浜ベイスターズ 大洋ホエールズ、横浜大洋ホエールズに所属したプロ野球選手(投手)。野球解説者。新潟県出身。大洋時代の登録名は関本 充宏(せきもと みつひろ)。
糸魚川商工から1967年、ドラフト10位で入団。同期に高田繁らがいる。ドラフトで指名されながら実際は打撃投手としての扱いしか受けず4年目の1971年に1軍ローテーションを勝ち取った苦労人。その年の最優秀新人 (野球) 新人王に見事輝いている(入団4年目での新人王受賞は小関竜也と並ぶ遅受賞である)。その後太平洋、大洋と移籍し1978年に引退。文化放送の野球解説者を経て1986年から1991年まで古巣・巨人のコーチを務めた。若手の育成には定評があったが退団し、1992年からはアール・エフ・ラジオ日本 ラジオ日本の野球解説者、デイリースポーツ評論家に就任。2004年からは再び巨人のコーチに就任したがわずか2年で退団。2006年からは3度目の評論活動をラジオ日本とデイリースポーツで行なっている。
関本 健太郎(せきもと けんたろう 1978年8月26日- )は、平成期(1990年代後半~)の阪神タイガースに所属する選手(内野手)。奈良県橿原市出身。右投げ右打ち。185cm、88kg。2003年は主に右の代打として起用される。2005年から八木裕が付けていた3を付け、藤本敦士と二塁手争いをしている。相手が左投手の時にスタメン起用されることが多い。
長距離砲とまではいかないながらもしぶとい打撃をする打撃の才能が開花し、2004年にブレーク。かつて関本選手のフォームを田淵幸一チーフ打撃コーチが、自ら(タブチ)と大阪近鉄バファローズ 近鉄・中村紀洋(ノリ)と濱中治 濱中おさむ(ハマ)を組み合わせて「ブチノリハマ打法」と命名したことでも知られる。
関野 吉晴(せきの よしはる、1949年 - )は探検家・人類学者・医師。
東京都出身。東京都立両国高等学校(64回)、一橋大学法学部、横浜市立大学医学部卒業。
一橋大学在学中に自ら探検部を創り、部隊を組んでアマゾン川流域を下る。その後、世界中を旅行する。横浜市立大学卒業後、外科医となり、都内の病院に勤める。その傍ら南米に通う。そして1993年から10年もの歳月をかけ、人類発祥の地アフリカから祖先の拡散の足取りを辿る旅、グレートジャーニーを開始する。この旅行はフジテレビでシリーズ化され放送されている。1999年植村直己冒険賞を受賞。翌年には旅の文化賞(旅の文化研究所)を受賞している。現在武蔵野美術大学教授。
関野 浩之(せきの ひろゆき、1962年5月6日 - )は、東京都出身の日本のフリーアナウンサー、ナレーターである。
フジテレビスポーツ番組のナレーションを長く務めている。サッカー日本代表の場内アナウンサー、グリーンチャンネルの明日のレ-ス分析中央競馬中継 (グリーンチャンネル) 中央競馬中継の司会者としても有名である。
司会者として軽快な語り口で知られる。
すぽると!(フジテレビ):ナレーション
明日のレース分析(グリーンチャンネル):司会
芦屋由香
岡部玲子
領家華子
フリーアナウンサー せきの ひろゆき