人生幸朗・生恵幸子(じんせいこうろう、いくえさちこ)は、戦後に活躍した夫婦漫才のコンビ。本拠地は大阪であったが、テレビ・ラジオを通じて広く全国に知られていた漫才コンビであった。歌詞・世相などにイチャモンをつけるボヤキ漫才は秀逸で、「責任者出て来い!」「出てきはったらどないすんねんな!」「謝ったらええのや」のフレーズと共に一世を風靡した。
人生幸朗・生恵幸子は「ぼやき漫才」の第一人者として知られている。「ぼやき漫才」は一般的なしゃべくり漫才とはかなり違い、その時代に話題になっている事柄についてとんちんかんな難癖をつけるというものだ。ほかにこのジャンルを得意としたのは人生幸朗の師匠である都家文雄・静代、東文章・こま代などがおり、前者は主に社会風俗、後者は映画を題材にぼやいていた。
新庄剛志(しんじょう つよし、1972年1月28日 - )は、日本のプロ野球選手。福岡県福岡市出身(生まれは長崎県対馬市)、血液型A型。右投げ右打ち。現在の守備位置は外野手(中堅手)。2004年から北海道日本ハムファイターズに所属し、同時に登録名を「SHINJO」と改めた。現在の愛称は「プリンス」、チームメイトからは「つーさん」と呼ばれる。
強肩と俊足を生かした球界屈指の守備力は脅威的。ここ一番での勝負強さがあるものの「○打席ヒット無し」と調子の良し悪しも非常に大きい。そのためか不思議な雰囲気とキャラクターの濃さを持つ。一方、本職の野球では打率は2割台中盤が定位置で、首位打者や本塁打王などの個人タイトルを獲得した事は一度も無い。その意味では成績で目立つ選手ではなく、むしろセールスポイントの守備やセンターからのダイレクト送球など「記録はイチローくんにまかせて、記憶はボク(新庄)にまかせて」と自身で語るように「魅せる野球」にこだわりを持ち、独自に考案したファンサービスも積極的に行うなど貢献は大きい。オールスターゲーム_(日本プロ野球) オールスターゲームのファン投票でも常に上位に入り、出場回数も多い。2006年4月18日、今季限りでの引退を表明。本人によると守備の衰えで体力限界が原因であると述べている。フロントはおろか、トレイ・ヒルマン監督や同僚の選手も寝耳に水であったらしく、日本ハム本社は「どんな手を使っても残留させる」と発言。しかし、新庄の意思は固く日本ハム本社・球団は同年9月1日に慰留を断念した。
辛酸 なめ子(しんさん なめこ、1974年(昭和49年)8月29日-)は東京都生まれ埼玉県育ちの女性メディア・アクティビスト、漫画家、コラムニスト。
本名・池松江美(いけまつ・えみ)。女子学院高等学校、武蔵野美術大学短期大学部グラフィックデザイン専攻卒業。デビュー当初は漫画やイラストの執筆時に「辛酸なめ子」、その他の文筆業やアート作品の制作では「池松江美」と名義を使い分けていたが、最近では境界が曖昧になりつつある。
武蔵野美術大学短期大学部在学時に中ザワヒデキの事務所でアルバイトをするかたわら、様々な創作活動を行なっていた。1993年に Mac で HyperCard を使った作品を制作し、1995年には Web サイト『女・一人日記』を開設するなど、PC やインターネットを媒体とするマルチメディア作品に早くから取り組んでいたことでも知られる。短大時代に上野俊哉の授業でメディア・アクティビストという職業を知り、これをきっかけに自らもメディア・アクティビストと名乗っている。
新里 賢(しんざと けん、1981年4月12日 - )はプロ野球・千葉ロッテマリーンズの捕手。背番号は95。2006年シーズン途中に川井貴志と交換トレードで東北楽天ゴールデンイーグルスから入団した。捕手になったのは高校2年。インサイドワークには定評がある。バッティングの強化が最重要課題である。
神奈川県出身、大阪府育ち
浪速中学校・高等学校 浪速高校 - 法政大学 - 大阪近鉄バファローズ(2004年ドラフト会議 ドラフト5位) - 東北楽天ゴールデンイーグルス(2005年 - 2006年) - 千葉ロッテマリーンズ(2006年途中 - )
身長・体重 178cm・82kg
投打 右投・右打
血液型 B型
45(2004年 - 2006年途中)
95(2006年途中 - )
新川敏光(しんかわ としみつ, 1956年12月20日-)は、日本の政治学者。専門は、政治過程論。
東北大学法学部卒業後、トロント大学で博士号取得。新潟大学法学部助教授・教授、北海道大学法学部教授を経て、現在、京都大学大学院法学研究科教授。
『日本型福祉の政治経済学』(三一書房, 1993年)
『戦後日本政治と社会民主主義――社会党・総評ブロックの興亡』(法律文化社, 1999年)
『日本型福祉レジームの発展と変容』(ミネルヴァ書房, 2005年)
(井戸正伸・宮本太郎・眞柄秀子)『比較政治経済学』(有斐閣、2004年)
(ジュリアーノ・ボノーリ)『年金改革の比較政治学――経路依存性と非難回避』(ミネルヴァ書房, 2004年)
新海 誠(しんかい まこと、本名:新津 誠(にいつ まこと)、1973年2月9日 - )は、長野県南佐久郡小海町出身の日本のアニメーション作家・映画監督。東京都在住。長野県野沢北高等学校、中央大学文学部国文学専攻卒業。
2000年、ゲーム会社日本ファルコム勤務の傍ら自主制作アニメーション『彼女と彼女の猫』を製作し発表、プロジェクトチームDoGA主催の第12回CGアニメコンテストでグランプリを獲得した。この作品は、心の琴線に触れると一部で評判になった。
2002年に公開した『ほしのこえ』は、監督・脚本・演出・作画・美術・編集などほとんどの作業を一人で行った約30分のフルデジタルアニメーションで、従来の自主制作のレベルをはるかに超えたクオリティーの高さが注目を浴びる。本人曰く、村上春樹の作品から影響を受けているという。同作品は第1回新世紀東京国際アニメフェア21公募部門で優秀賞を受賞。実行委員会委員長の石原慎太郎都知事から「この知られざる才能は、世界に届く存在だ!」と絶賛を浴びる。この作品で第34回星雲賞メディア部門、第6回文化庁メディア芸術祭デジタルアート部門特別賞、第8回AMD AWARD「Best Director」賞など多数の賞を受賞。