最近の有名人・芸能人 姓名判断 1769

姓だけ入力すると画数の良い命名候補が一覧できます
 有名人の画数を占ってみよう

最近の有名人・芸能人 姓名判断 1769

篠塚和典

篠塚 和典(しのづか かずのり、1957年7月16日 - )は東京都豊島区生まれ、千葉県銚子市出身。プロ野球選手。右投げ左打ち。ポジションは内野手(二塁手)。旧名「篠塚 利夫(しのづか としお)」(1992年シーズン途中まで)。
千葉県立銚子商業高等学校 銚子商業高校2年生の1974年に春・夏連続で高校野球 甲子園に出場。全国高等学校野球選手権大会 夏の甲子園では優勝を果たし注目を集めるが、湿性肋膜炎を発症し入院。翌年のドラフト会議前に再発し指名は見送られると思われたが、読売ジャイアンツの長嶋茂雄監督の強い要望でドラフト1位指名。プロの壁は厚くレギュラー定着には至らず、チームも不振に喘いでいた1979年秋、今や語り草となっている地獄の「伊東キャンプ」で攻守に渡り徹底的に鍛え直される。この甲斐あって翌1980年に二塁のレギュラーを奪取。

篠竹幹夫

篠竹幹夫(しのたけ みきお、1932年8月29日 - 2006年7月10日)は、日本のアメリカンフットボールの選手・監督。元日本大学教授。神奈川県横浜市出身。
高校時代はラグビー選手として活躍したが、日本大学フェニックス 日本大学アメリカンフットボール部に入部。卒業後、コーチを経て、1959年に日本大学アメリカンフットボール部監督に就任。独特の指導法で知られ、特徴的なパス攻撃を繰り出す「ショットガン隊形」を導入。2003年3月、定年により退職するまでの44年間の監督在任期間中、17度の学生王座に導くなど、日大アメリカンフットボール部の黄金時代を築いた。2003年12月、日本アメリカンフットボール協会の殿堂入りを果たした。

信田美帆

信田美帆(しのだ みほ、1972年5月18日 - )は、日本の体操選手、女性タレントである。
東京都立川市出身。朝日生命体操クラブに所属し、1984年に小学校6年生で全日本選手権で2位に入り注目された。1985年に全日本中学選手権、全日本ジュニア選手権、NHK杯で優勝、1986年には全日本体操選手権で初優勝した。
高校進学後(日本女子体育大学付属二階堂高等学校、体操選手としては朝日生命クラブに所属)の1987年には全日本選手権の個人総合で2連覇し、世界体操選手権に日本代表として初出場した。1988年からはクラブの後輩の小菅麻里に全日本選手権での個人総合5連覇を許したが、同年のソウルオリンピックと1989年の世界選手権には小菅や同期の瀬尾京子などと共に日本代表選手として出場した。

篠田光亮

篠田 光亮(しのだ みつよし、1981年10月1日 - )は日本の男性俳優。
神奈川県出身。血液型はA型。身長177cm。
趣味は、作詞作曲・サッカー・ドライブ。特技は、アコースティックギター・書道。
青い鳥症候群(フジテレビ)
リップスティック(フジテレビ)
テニスの王子様(佐々部)
SIREN(須田恭也)
アコム
NTT DoCoMo北海道
韓国風辛口カップヌードル(日清食品)
サッポロ一番カップスター(サンヨー食品)
ファイナルファンタジーXII(スクウェア・エニックス)   
マクドナルド
Soldier of Fourtnue
理由なき反抗

篠田真由美

篠田真由美(しのだ まゆみ、1953年 - )は、東京都本郷 (東京都) 本郷生まれの小説家で、推理作家。
1977年早稲田大学第二文学部卒業。
1987年、『北イタリア幻想旅行』上梓。
1991年第二回鮎川哲也賞に『琥珀の城の殺人』を応募。最終選考に残り、翌1992年に東京創元社より刊行。
ミステリから伝奇小説、ファンタジー小説まで幅広く執筆中。また、建築学にも造詣が深く、ミステリ『建築探偵桜井京介の事件簿』シリーズ。伝奇小説『龍の黙示録』シリーズなどがある。
第一部   
:1 未明の家            1994.4   講談社ノベルス
:                   2000.1   講談社文庫 解説笠井潔

篠田正浩

篠田 正浩(しのだ まさひろ、1931年3月9日 - )は、岐阜県岐阜市出身の映画監督。妻は、女優の岩下志麻。
岐阜県立加納高等学校、早稲田大学文学部卒業。在学中は競走部に所属し、1950年には箱根駅伝の第26回大会に出場、花の2区を走ったこともある。(区間5位、総合順位2位)
:なお後年、箱根駅伝のシンポジウムに招かれた際には「箱根駅伝とは箱根の向こうに見える富士山に向かって走る神事だ」と述べている。
大学卒業後松竹に入社。1960年、『恋の片道切符』で監督デビュー。
1986年『鑓の権三』で、ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞。
1990年『少年時代』で、日本アカデミー賞最優秀作品賞、最優秀監督賞を受賞。

篠田博之

篠田博之(しのだ ひろゆき、1951年 - )は編集者、ジャーナリスト。月刊「創 (雑誌) 創」編集長、「マス読」編集長、創出版社長。「漫画 コミック表現の自由を守る会」事務局長、「日本ペンクラブ言論表現委員会」副委員長。茨城県生まれ。
1976年一橋大学経済学部卒業後、政策時報社入社。1980年、同社を退社し総合評論社に入社、月刊「創」編集部所属。1981年、月刊「創」編集長。1982年、創出版設立。1994年、創出版代表取締役。
『誌外戦 コミック規制をめぐるバトルロイヤル』(コミック表現の自由を守る会著)創出版、1993年
『差別表現を考える』(日本ペンクラブ著)光文社、1995年

篠田一士

篠田一士(しのだ はじめ、1927年1月23日~1989年4月13日)は、日本の文芸評論家である。
岐阜県出身。旧制岐阜県立岐阜高等学校 岐阜中学から旧制島根大学 松江高等学校へ進み、1951年東京大学文学部英文科卒業。長く東京都立大学で教鞭をとった。
松江高校時代に駒田信二から、新しい文学状況に関しての知見を得て、またその当時刊行されたばかりの『1946・文学的考察』(加藤周一・中村真一郎・福永武彦の共著)を読むことで、日本の私小説的風土を克服する、国際的な文学のありかたに関心をもつ。1950年代後半から評論活動をはじめ、欧米の新しい、〈20世紀小説〉とよばれる作品の紹介に力をそそいだ。また、ラテンアメリカ文学を日本に紹介することの先鞭をつけ、各種世界文学全集刊行のときには、監修その他で広く計画にかかわることが多かった。

篠田傳

篠田 傳(しのだ つたえ、1948年 - )は、世界で始めてプラズマテレビを作った、開発リーダー。今は東京大学客員教授、富士通のフェロー、自ら立ち上げたベンチャー企業の会長も勤める。
彼は山口県の田舎に生まれた活発ある少年だった。2003年6月3日のプロジェクトX~挑戦者たち~の中に、『彼が遊んでいる最中に大人たちの大きな声が聞こえ何事かとかけつけ、彼はショックを受けときめいた。大人たちは口々に「変な箱があるぞ」といい、篠田はときめいた。』とあったが、これは演出で、実際は大学で初めて興味を持ったらしい。子供のころの夢は、研究者か医者。
山口県立小野田高等学校時代はあまり成績は喜ばしくなく、当時新設だった広島大学電子工学科に第一回生として入ったときは先生から「奇跡だ」と言われたらしい。

篠田拓馬

篠田 拓馬(しのだ たくま、1993年3月24日 - )は、埼玉県出身の子役。血液型はO型。ホリプロ所属。
1998年「史上最悪のファミリー」でデビュー出演し、2000年NHK朝の連続テレビ小説「私の青空」で北山太陽の役で知名度が上がった。その後も数々のCMなどにも出演している。
Shin-D「史上最悪のファミリー」(1998年、日本テレビ放送網 日本テレビ)
遠い親戚近くの他人?(1999年、日本放送協会 NHK)
ママチャリ刑事(1999年、東京放送 TBS)
ハッピー 愛と感動の物語(1999年、テレビ東京) 馬場拓也役
NHK朝の連続テレビ小説 連続テレビ小説「私の青空」(2000年、日本放送協会 NHK) 北山太陽役
月曜ドラマシリーズ「私の青空 私の青空2002」(2002年、日本放送協会 NHK) 北山太陽役

篠田節子

篠田 節子(しのだ せつこ、1955年10月23日 - )は、日本の小説家、SF作家、エッセイスト、作家。
東京都八王子市に生まれる。小学生時代に冒険小説やサイエンス・フィクション SF、アーサー・コナン・ドイル コナン・ドイルの『失われた世界』に夢中になり、中学生時代には、『コンチキ号漂流記』や『沈黙の世界』など自然科学系のノンフィクションを中心に、眉村卓『なぞの転校生』、筒井康隆『時をかける少女』、中尾明『黒の放射線』などを読み耽ったという。東京都立富士森高等学校、東京学芸大学教育学部卒業後、八王子市役所に勤務し、福祉事務所や市立図書館などに配属される。のち作家活動に専念するため退職。朝日カルチャースクールの小説執筆講座で直木賞作家の多岐川恭などから文学の手ほどきを受ける。同じ講座の受講生に、宮部みゆきがいる。

篠田三郎

篠田三郎(しのださぶろう・1948年12月5日- )は日本の俳優。本名は大塚晴生。東京都港区 (東京都) 港区出身。血液型・O型。
日本大学第二高等学校中退後、大映 (映画) 大映第18期ニューフェースに合格し、養成所期間を経て大映東京撮影所に入社する。1966年『雁』でデビュー。『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』や大映制作のテレビドラマ『ザ・ガードマン』などにしばらくは端役で出演していたが、1970年『高校生番長』で初主演、以後四作まで作られたこのシリーズの男優のエースとして出演。1971年、関根恵子(現・高橋惠子)と共演した『高校生心中・純愛』のヒットにより、関根とのコンビ作が続くが、この年末に大映は倒産、活躍の場をテレビへと移す。

Page Top