最近の有名人・芸能人 姓名判断 1772

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最近の有名人・芸能人 姓名判断 1772

滴草由実

滴草 由実 (しずくさ ゆみ、1984年7月9日 - )は、鹿児島県出身の歌手。
2006年からはCD販売をGIZA studioからZAIN RECORDSに委託。マネジメントはGIZA studioが継続中。
2002年4月 “スーパースターライトコンテスト” でグランプリを獲得。
2002年夏には、倉木麻衣、愛内里菜らとともに、
カバー・コンピレーション・アルバム 『GIZA studio MAI-K&FRIENDS HOTROD BEACHPARTY』 に参加。
天性とも言うべきその歌唱力と音感、そして声の魅力に数多くの反響が寄せられた。
デビュー曲 『Don”t you wanna see me tonight?』 はFMパワープレイ30局を獲得し、当時の史上最多記録を達成。
2003年9月には吉祥寺で初のインストアイベントを行い、同年12月にはアルバム 『CONTROL Your touch』 を発売。渋谷にて初のワンマンライブを敢行した。

紫城るい

紫城 るい(しじょう るい)は宝塚歌劇団宙組 (宝塚歌劇) 宙組娘役トップスター。愛称は「ひとみ」「るい」「るいっこ」など。愛知県名古屋市出身。名古屋市立名東高等学校卒業。
1997年3月 83期生として宝塚歌劇団に入団し雪組公演『仮面のロマネスク』で初舞台。
1998年 月組 (宝塚歌劇) 月組に配属。
2002年 娘役に転向。
2002年 『長い春の果てに』で新人公演初ヒロイン。
2004年 バウホール公演『愛しき人よ』で川島芳子役を演じる。
2005年 宙組に組替え。
2006年7月 宙組主演娘役に就任。
2007年  2月 退団。
最初は男役として活躍していたが、あまりの愛くるしさで2000年に『BLUE MOON BLUE』で当時のトップ・真琴つばさの相手役に抜擢されたりするなど、娘役として使われることが多くなっていった。

宍戸錠

宍戸 錠(ししど じょう、1933年8月11日 - )は、大阪府出身で昭和後期・平成期(1950年代後半-)の俳優である。日活スターの一人。
小林旭と「渡り鳥シリーズ」など多数の映画で共演し、エースのジョーという愛称でも親しまれる。実子の宍戸開も俳優。
父親が事業で成功し、5歳の時、家族で東京へ出るが、空襲で自宅が焼けたため小学校6年のとき宮城県白石市に疎開。以来、高校卒業までをそこで育つ。
日本大学芸術学部演劇科2年中退。日活撮影所ニューフェイス第一期生でデビュー。1956年に自ら豊頬手術を受け、それまでのただの二枚目から路線変更。タフでハードボイルドな役柄で人気を得る。頬のシリコンは2001年に摘出手術で取り除いた。

宍戸開

宍戸 開(ししど・かい)は、日本の俳優。東京都出身、P&M所属。
桐朋中学校・高等学校卒業、玉川大学文学部演劇科中退。
父親は同じく俳優の宍戸錠。俳優の故郷鍈治は叔父、歌手で女優のちあきなおみは叔母に当たる。
五影 開(読み:いつかげ・かい)の名で写真家としての活動もある。鉄道マニアでもある。
尚、同じ宍戸姓の俳優の宍戸勝と歌手で声優の宍戸留美と兄弟関係及び親戚関係と思われがちだが直接のつながりはない。
1966年9月4日東京都に生まれる
1984年 スキー回転競技インターハイ東京都代表
1987年 スキー回転競技インターカレッジ玉川大学代表
1988年 映画「マイフェニックス」に主演としてデビュー

錣山矩幸

寺尾常史(てらお つねふみ、1963年2月2日 - )は、鹿児島県姶良郡加治木町出身(生まれは東京都墨田区)で井筒部屋所属の元大相撲力士。得意技は突っ張り、いなし。最高位は関脇。本名は、福薗好文(ふくぞの よしふみ)。身長186cm、体重117kg。現在は、年寄・錣山として錣山部屋の指導にあたる。角界での愛称は「アビ」。
力士の#家系図 家系に生まれた寺尾は、安田学園中学校・高等学校 安田学園高校2年生の時に最愛の母が癌で他界したことを契機に、高校を中退して兄達を追うようにして角界入りする。入門後は寺尾節男を名乗った。これは母(福薗節子)の旧姓・寺尾から取った。1984年7月場所新十両のとき源氏山力三郎と改名する。源氏山の四股名は同部屋に所属した30代横綱・西ノ海嘉治郎 (3代) 西ノ海が横綱昇進直後の場所まで名乗ったものである。この四股名は1場所限りで、翌場所から元の四股名に戻して(幕下陥落したのでゲン直ししたともいわれる)いる。1985年1月場所で十両優勝し翌場所新入幕。負け越して陥落するが2度目の十両優勝で1場所で返り咲く。1987年11月から名を常史(つねふみ)と改める。

茂山正邦

茂山 正邦(しげやま まさくに、1972年7月7日 - )は大蔵流・狂言師。十三世・茂山千五郎の長男。
立命館大学出身。父親である千五郎、祖父四世・茂山千作、曽祖父三世・茂山千作に師事し、修行を積んだ。初舞台は、「以呂波」のシテ。1993年、「花形狂言会」に入会した。1998年、「大阪市咲くやこの花賞」受賞。
1995年、若手能楽師による「心味の会」の結成に参画。
狂言 しけやま まさくに

茂山忠三郎

茂山 忠三郎(しげやま ちゅうざぶろう、1928年4月3日 - )は狂言師。京都市出身。(四世・茂山忠三郎倖一) 三世・茂山忠三郎の次男であり、父に師事した。1949年立命館大学専門部文学科卒業。1965年第4代茂山忠三郎襲名。
1933年に、「業平餅」の立衆(稚児)で初舞台を踏む。1948年、「釣狐」披。1992年、舞台歴60周年記念講演を達成。2000年にはオーストラリア公演もこなした。
文化庁芸術祭奨励賞・優秀賞を三度受賞(1966年 - )
紫綬褒章受賞(1992年)
第12回京都府文化賞功労賞受賞(1994年)
狂言 しけやまちゆうさふろう

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