今一生(こん いっしょう 1965年 - )は、ライター、編集者、企画プロダクション(有)クリエイトメディア代表。今一生とはペンネーム。
群馬県に生まれ、千葉県市原市で育つ。
千葉県立木更津高等学校卒業。早稲田大学第一文学部除籍。
塾講師や工員、コピーライターなどの職を転々とした後、1993年に月刊誌『DENiM』(小学館)に投稿したルポルタージュで新人賞を受賞、本格的なライターデビューを果たす。
1997年、企画編集した『日本一醜い親への手紙』(メディアワークス)がベストセラーになったことを契機に、家族・自傷・援助交際・精神病・家出等に関する書籍を続々と刊行。一躍家族評論家の地位を獲得し、講演なども積極的にこなしている。
小六 禮次郎(ころく れいじろう、1949年12月13日 - )は、岡山県岡山市出身の作曲家。自称"服部克久の弟子"。
妻は歌手・女優の倍賞千恵子。岡山県立岡山操山高等学校から東京芸術大学に進み、卒業後は作・編曲分野の第一線で活躍中。映画、テレビ、ミュージカル、CM作品からオペラ、交響詩まで幅広いジャンルで著名作品多数。
NHK大河ドラマのテーマ曲も「秀吉 (NHK大河ドラマ) 秀吉」「功名が辻 (NHK大河ドラマ) 功名が辻」において手掛けていて、いずれもエスニック調のメロディーであるが、「秀吉」においてはパンフルートを取り入れ躍動感あふれる曲調に仕上げ、「功名が辻」では交響楽団のオーケストラ演奏に加え、コンピュータでのリズムトラック(ループ)を取り入れ、躍動感と共にアクセントの効いた現代風な楽曲に仕上げるなど、独創的かつ斬新な曲作りで好評。
是枝 裕和(これえだ ひろかず、1962年 - )は、東京都清瀬市出身の映画監督。東京都立武蔵高等学校、早稲田大学第一文学部文芸学科卒業。テレビマンユニオンに参加し、ドキュメンタリー番組の演出家をつとめた後、1995年映画監督デビュー。
主な作品に『幻の光』、『ワンダフルライフ (映画) ワンダフルライフ』などがある。ノヴェライズ小説『ワンダフルライフ』。プロデュース作品としてエレファントカシマシドキュメンタリーフィルム『扉の向こう』。『誰も知らない』は、カンヌ国際映画祭で主演男優賞(柳楽優弥)、フランドル国際映画祭でグランプリを受賞するなど、高い評価を受けた。
五来 重(ごらい しげる、1908年(明治41年)3月7日 - 1993年(平成5年)12月11日)は、日本を代表する民俗学 民俗学者の一人。
茨城県久慈郡久慈町(現、日立市)に生まれる。水戸高等学校文化甲類を経て、1932年(昭和7年)、東京帝国大学文学部印度哲学科を卒業。一旦、高野山大学助手に就任するも、史学を学ぶため京都帝国大学に再入学、1939年(昭和14年)、同大学文学部史学科国史学専攻を卒業した。以後、京都師範学校教諭、高野山大学助教授、同教授を経て、1955年(昭和14年)、大谷大学文学部教授に就任。同大学を拠点として広く仏教民俗学を講じた。1962年(昭和37年)には、大谷大学に学位論文「日本仏教民俗学論攷」を提出し、文学博士の学位を取得している。
小山 力也(こやま りきや、1963年12月18日 - )は男性俳優、声優。京都府京都市生まれ。劇団俳優座所属。血液型O型。愛称は「リッキー」「リキチャン」「リキ」。
近年アニメ関係の仕事が増えたためか、アニメファンからの支持が増えている。演じた役柄の関係もあり、男性アニメファンにも絶大な人気がある。
立命館中学校・高等学校を経て1982年に立命館大学法学部入学。劇団立命芸術劇場に所属する。当時は別役実、つかこうへい作品などを上演していた。1987年に大学卒業後、桐朋学園大学短期大学部芸術科演劇専攻に進む。卒業後に劇団俳優座入団。部活動は水泳部に所属しており、水着になる事に何の抵抗もない。
小山 良男 (こやま よしお、1980年7月14日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手である。ポジションは捕手。背番号は37番。
横浜高校では松坂大輔(現西武ライオンズ 西武)、亜細亜大学では木佐貫洋(現読売ジャイアンツ 巨人)・永川勝浩(現広島東洋カープ 広島)らとバッテリーを組み、中学・高校・大学とそれぞれ日本一を経験した実績をもつアマチュア優勝請負人。もともとはアマチュア指導者指向で、将来は母校である横浜高校のコーチ・監督という話もあったが、同期である松坂世代の活躍に刺激を受けてプロ入りを表明(プロ経験者でも高校野球の指導者になることができるようになった事情もある)。著書に掲載する写真の撮影のためJR東日本硬式野球部 JR東日本を訪れた落合博満監督の目に留まったことから中日が即戦力捕手として指名し、破格の契約金で入団が決定した。リードには定評があり、性格も良く後輩から慕われているらしい。将来的な正捕手の座を前田章宏 前田らと争っている。
小山 ゆう(こやま ゆう、男性、1948年2月20日 - )は日本の漫画家。静岡県小笠郡菊川町 (静岡県) 菊川町(現菊川市)出身。
静岡県立島田商業高等学校卒業。その後上京し、作曲家をめざしていたが、アニメの会社でのアルバイト、漫画家アシスタントを経験。
1973年、「週刊少年サンデー」(小学館)に掲載の『おれは直角』でデビュー。
代表作は『がんばれ元気』、『おーい!竜馬』、『あずみ』など。『がんばれ元気』、『おーい!竜馬』はテレビアニメ化され、『あずみ』は上戸彩主演で映画化された。
1968年(昭和43年) さいとうプロダクションに入り、漫画の世界に入る。
1971年(昭和46年) スタジオ・シップ
小山裕史(こやまひろし)は多くのトップアスリートを指導するフィットネスコーチである。大阪経済大学を卒業後、身体理論を学び、1994年に初動負荷理論を発表し、これまでのトレーニングの常識を覆す。これによりイチローのライオン走法や陸上の伊東浩司の10秒00の大記録を生み出す。初動負荷理論は多くのトップアスリートが実践していて、高齢者の介護予防に取り入れる試みも始まっている。 日本スケート連盟、日本陸上競技連盟、日本水泳連盟、日本柔道連盟のフィットネス・コーチ等を歴任し、現在、ワールドウィング・エンタープライズ代表。早稲田大学大学院人間科学研究科で研究活動もしている。鳥取大学医学部の客員教授も務めている。
小山 実稚恵(こやま みちえ、1959年5月3日 - )は、日本の女性ピアニスト。1982年、チャイコフスキー国際コンクール第3位、1985年、ショパンピアノ国際コンクール第4位と、二大国際コンクールに初めて入賞した日本人として大きな注目を浴びる。
宮城県仙台市に生まれ、岩手県盛岡市で育つ。東京芸術大学、同大学院を卒業。6歳からピアノを始め、チャイコフスキー・コンクールを受けた後に、ピアニストになることを志す。吉田見知子、田村宏に師事。
レパートリーは古典から近・現代まで幅広く、バッハ、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト モーツァルト、ベートーヴェン、フレデリック・ショパン ショパン、アルベニス、グラナドス、ファリャ、ラフマニノフ、スクリャービン、アルバン・ベルク ベルクなど。
小山 茉美(こやま まみ、1955年1月17日 - )は、愛知県西尾市出身の女性声優。青二プロダクション所属。
代表作に『Dr.スランプ Dr.スランプ アラレちゃん』(則巻アラレ役)、『魔法のプリンセスミンキーモモ(第1期:通称 空モモ)』(ミンキーモモ役)、『機動戦士ガンダム』(ザビ家#キシリア・ザビ キシリア・ザビ役)、『聖闘士星矢』(オピュクス・シャイナ役)などがある。
「虹 七色の声」の持ち主と称され、少年(少女)・幼女(ex「Angel Heart」 ミキ)、含みのある成人女性(ex「CITY HUNTER」 美樹)、そして人間以外のキャラクター等、役により様々な声を使い分けている。
『ミンキーモモ』における変身前の少女モモと変身後の大人モモ、『ドラゴンボール (アニメ) ドラゴンボール』のランチ (ドラゴンボール) ランチでの(ジキルとハイドの様な)おとなしい性格と凶暴な性格等、1つの番組内で声色を使い分けることも多い。1985年の『いきいき大自然』では、「全ての動物の役」というキャスティングで出演したこともある。
小山 正明(こやま まさあき、1934年(昭和9年)7月28日 -)は、(プロ野球選手(投手)、野球解説者。右投げ右打ち。2001年(平成13年)野球殿堂入り。阪神タイガース 阪神時代は村山実とともにダブルエースとして活躍し、千葉ロッテマリーンズ 東京・ロッテ時代は成田文男、木樽正明とともに3本柱として活躍した。引退後は阪神、西武ライオンズ 西武、福岡ソフトバンクホークス ダイエーの投手コーチを歴任した。
通算73無四球試合を記録するなど制球に長け、「針の穴を通すコントロール」「精密機械」と称された。兵庫県立高砂高等学校3年秋の1952年(昭和27年)に阪神タイガース 大阪タイガースのテストを受けるも結果通知がこなかったため横浜ベイスターズ 大洋ホエールズの入団テストを受ける。しかし、この年大洋ホエールズは松竹ロビンスとの合併により選手が溢れていたため不合格となる。その後、合格通知がタイガースより届きテスト生として入団。もし大投手・小山が大洋に合格していたら、どうなっていただろう。