小山 乃里子(こやま のりこ、1941年8月16日 - )は、関西を中心に活躍するラジオパーソナリティ・フリーアナウンサー。
北海道小樽市生まれ、大阪府枚方市育ち。兵庫県神戸市東灘区・六甲アイランド在住。ニックネームは「ノコさん」。
関西学院大学文学部を卒業後、1965年にラジオ関西のアナウンサーとして入社。1971年にフリーとなり、現在まで関西のテレビ・ラジオ各局で活躍。また、1995年-1999年には、神戸市議会議員を1期つとめた(無所属で、どちらかといえば革新・市民派系の立場をとる)。
熱烈なオリックス・バファローズ 阪急ブレーブスのファンで、「阪急ブレーブス好きやねん会」会長を務めていたこともあった。
小山 昇(こやま のぼる、1948年 - )は、山梨県出身の実業家。東京経済大学卒業。現在、株式会社武蔵野代表取締役社長。
中小企業ながら高度な情報技術 ITを駆使した経営で全国に知られる。また「仕組み」による経営を提唱する。経営者向けセミナー・講演を年間120回こなしている。著書も多くある。
『「儲かる仕組み」をつくりなさい』(河出書房新社)(2005年)
『仕事ができる人の心得』(阪急コミュニケーションズ)(1996年)
1948年生 こやま のほる
日本の実業家 こやま のほる
生年月日 1964年9月30日
没年月日
最高世界ランク
利き腕 右
グリップ シェークハンド
戦型 前陣攻撃型
フォア面ラバー 裏ソフト
バック面ラバー 裏ソフト
小山ちれ(こやま ちれ、1964年9月30日 - )は、池田銀行所属の日本国籍取得者 中国系日本人卓球選手。中華人民共和国、上海市生まれ。中国名は何智麗(か ちれい、He Zhili, 何智荳ス)。上海体育学院専門学校を卒業、1987年、中国選手として世界選手権優勝。1988年、ソウルオリンピック中国代表から漏れ、引退後、1992年、日本に帰化。帰化後、シドニーオリンピック女子卓球日本代表となり、準々決勝まで進出も敗退。2001年、国際大会から引退。
小山 伸一郎( こやま しんいちろう、1978年6月13日 - )は、プロ野球東北楽天ゴールデンイーグルスの投手である。背番号は57。登板時に着用のゴーグルが特徴。
1996年のドラフト会議 ドラフトで中日ドラゴンズから1位指名を受け入団。伸びのよいストレートを持ち、ファームではストッパーを務める事が多かったが、一軍で安定した成績を残すまでには至らなかった(2003年4月26日のヤクルト戦で6失点した朝倉健太のリリーフにたって10失点したことがあったほど)。2004年オフに無償トレードで楽天に移籍。ビシッと抑える時とボールが多く挙句の果てに連打を浴びるという時の差が極めて激しい。 ネット等ではゴーグルをかけてる姿がロサンゼルス・ドジャースのエリック・ガニエに似ていることから「偽ガニエ」、また春先の肌寒い時期にひとりだけ半袖ユニフォームで登場したことから「半袖魔神」などと呼ばれている。
小山 慶一郎(こやま けいいちろう、1984年5月1日 - )は日本のタレント。ジャニーズ事務所(2001年1月21日入所)所属で、アイドルグループ・NEWS (ジャニーズ) NEWSの最年長メンバー。血液型はO型。身長178cm。体重51kg(現在増加中)。2003年神奈川県立相武台高等学校卒業明治大学文学部史学地理学科4年在学中。
二ックネームは「慶ちゃん」「一重」「小山っち」
神奈川県に住んでいる。
高校受験で志望校合格ができないで拗ねていたときに、姉が写真を撮り勝手に事務所に応募してジャニーズ事務所に入所。(はなまるマーケットで本人談。)
J-support、K.K.Kityを経てNEWSを結成。
事務所で、デビューすることができなくてもいいように受験したにもかかわらず、明治大学合格の数日後にジャニー喜多川 ジャニーさんから「YOU 明日からNEWSね」と言われてデビューした。(はなまるマーケットで本人談。)
小山薫堂(こやま くんどう、1964年6月23日-)は放送作家、脚本家、パーソナリティ。熊本県出身。N35 Inc. 代表、金谷ホテル顧問、yosoo.netエグゼクティブプロデューサー。日本大学芸術学部放送学科在学中より放送作家活動。深夜番組を中心に活動、そのコアな台本にはファンも多い。
『料理の鉄人』以来、別名のうどん熊奴(くまやっこ)名を使い分けている。
J-WAVE「AJINOMOTO 6 P.M.」(終了)
J-WAVE 「THE DAYS」
横浜エフエム放送 FM横浜「FUTURE SCAPE FROM LANDMARK TOWER」
InterFM「Library by Odyssey」月縲恚23:00縲鰀30min with Nadia Gifford(ナディア ギフォード)
1985年、『11PM』の台本でデビュー。
カノッサの屈辱 (テレビ番組) カノッサの屈辱
小山 清茂(こやま きよしげ、1914年1月15日 - )は、日本の作曲家。
長野県更級郡信里村(現長野市)の出身。生家は山深い里の農家で幼少期には西洋音楽に触れることがなかったという。1933年長野師範学校卒業後、長野県内で教諭を務めながら作曲の勉強を行った。1939縲鰀43年、作曲を安部幸明に師事する。この間、1941年豊島区長崎第五国民学校に勤務し、東京都教員管弦楽団に入りフルート奏者を務めている。この時期に、同オーケストラの指揮を執っていた渡邊浦人と懇意となり、またオーケストラの機能を体得した。1946年、第14回音楽コンクールに「管弦楽のための信濃囃子」を出品、第1位を獲得し、センセーショナルを起こした。1950年、渡邊浦人、渡辺茂、平井康三郎、山本直忠、金井喜久子、石井五郎と「白涛会」を結成。1956年、深井史郎、貴島清彦らと「新音楽の会」を結成している。前者は日本をテーマの中心に据えた音楽の創作、後者は民族語法を基本として新たな音楽の創造を目指す音楽グループである。1969年からは神戸山手女子短期大学の教授を務めた。1971年、中西覚と「たにしの会」を結成し、日本の旋法や和声の理論体系を研究、整理した。1981年には柴田南雄らと尚美音楽短期大学作曲科の教授。1986年には、国立音楽大学音楽研究所に奉職している。小山作品の特徴は、神楽や祭囃子をモチーフに日本情緒に満ちた温和な作風にある。勲四等瑞宝章。日本作曲家協議会会員。
小山朝子(こやま あさこ 1972年2月 - )は、日本のジャーナリスト。東京都目黒区出身。
高齢者の介護をテーマに執筆を行う。一方、新聞、雑誌、テレビ、ラジオなどでコメンテーターをつとめ、全国で講演。私生活では重度の障がいをもつ祖母を在宅で介護し、介護年数は2006年で7年目になる。ジャーナリストとしてだけでなく、一当事者として発言する機会も多い。
ウェブサイトでは、「東芝けあコミュニティ」、介護、福祉の総合サイト「ふくしチャンネル」でエッセイを執筆。「おはよう21」(中央法規出版)、「ホームヘルプ」(オークラ出版)など、介護専門職向けの情報誌などでも連載多数。
小山 明子(こやま あきこ、本名:大島 明子 旧姓・臼井 1935年1月27日 - )は、千葉県出身の俳優 女優。夫は映画監督の大島渚。
神奈川県立鶴見高等学校卒業後、ファッションショーに出演し「家庭よみうり」のカバーガールになったのがきっかけで、スカウトされて松竹入り。
1954年に松竹映画『ママ横をむいてて』でデビュー。当時、松竹の助監督だった大島渚と仕事を通じて知り合い1960年に結婚。翌年、松竹を退社した。
1963年に長男出産、1969年に次男出産、息子2人の母となる。舞台や映画を中心に女優としても活躍していたが、1996年に夫の大島渚が脳出血で倒れてからは、長時間拘束される女優業から距離を置いて夫の介護に専念するようになる。
小谷野 栄一(こやの えいいち、1980年5月5日- )は、プロ野球・北海道日本ハムファイターズに所属する外野手である。背番号は31。2005年までは内野手登録であり、その頃は一塁手・三塁手での出場が多かった。積極的なバッティングが持ち味。
リトルシニアリーグでは松坂大輔(現西武ライオンズ)とチームメイトだった。その後創価中学校・高等学校 創価高校に進学し、3年春に選抜高等学校野球大会 甲子園に出場するも一回戦で敗退した。大学時は創価大学でプレー。1年秋からレギュラーとして打線の中軸を担い、公式戦通算打率.343、打点53、ベストナイン4度、最多打点2度と大いに活躍した。
小谷野敦(こやの あつし、1962年12月21日 -)は比較文学者。茨城県旧水海道市(現常総市)生まれ。
一般的には『もてない男―恋愛論を超えて』(ちくま新書)が10万部を超えるベストセラーとなり有名になる。現代日本の論壇人への苛烈な批判で知られる。近代的理念を再評価する「新近代主義」の立場を取る。2006年に自身の経験を文学として昇華した『悲望』を書き上げ大きな反響を呼ぶなど、活動領域をさらに拡大している。大阪大学助教授を辞めた後は大学に常勤職を持たない。ヘビースモーカーであり、現在の「禁煙ファシズム」には断固として闘う姿勢を取っている。趣味は大相撲観戦。
rumico(るみこ、本名:小柳留美子、1952年(昭和27年)7月2日 - )は、歌手、女優である。福岡県福岡市生まれ。
1970年(昭和45年)に宝塚音楽学校を首席で卒業、そのまま「夏川るみ」の名で宝塚歌劇団に入団するも初舞台のみで退団。
同年、渡辺プロダクションに所属し、日本放送協会 NHKNHK朝の連続テレビ小説 連続テレビ小説・「虹」でまず女優としてデビュー。翌年1971年(昭和46年)には作曲家平尾昌晃のプロデュースにより「わたしの城下町」で歌手デビューし、その年の売上第一位のシングルレコードとなる。またレコード大賞最優秀新人賞も受賞した。その後、「京のにわか雨」や「瀬戸の花嫁」も大ヒットし、天地真理、南沙織らとともに1970年代前半を代表するアイドルとなった。
小柳 ゆき(こやなぎ ゆき、1982年1月26日 - ) は、日本の歌手である。本名は小柳 由紀(こやなぎ ゆき)。埼玉県大宮市(現さいたま市大宮区)出身。身長154cm 体重40kg。血液型B型。芸能事務所「バーニングプロダクション」、レコード会社「ワーナーミュージック・ジャパン」所属。
埼玉県大宮市立日進中学時代に剣道部に所属し、そこで発声が鍛えられたらしい。
1999年、シングル『あなたのキスを数えましょう ~You were mine~』でデビュー。ロングヒットを記録した。当時「ガングロ」に近いメークで、いわゆる「コギャル」に近い存在だった。
2000年、3月に埼玉県立上尾高等学校全日制卒業。卒業とほぼ同時に都内に転居。