合田 佐和子(ごうだ さわこ、1940年 - )は高知県出身の画家。
1940年高知市に生まれる
1959年武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)に入学
1963年同校卒業後、唐十郎主宰の劇団状況劇場・唐組、寺山修司主宰の天井桟敷の宣伝・舞台美術などに参加
1965年から各地で個展・オブジェ展を開催
1982年第1回現代芸術祭「瀧口修造と戦後美術」に出品
1989年東京都の渋谷パルコにて個展
1991年朝日新聞で中上健次の連載(小説「軽蔑」)に挿絵を手がける
2001年高知県立美術館で森村泰昌と合田佐和子展を開催
2003年松濤美術館にて個展、これまで多数の作品集・個展を開催している。
『オートマティスム』(トムズボックス)
幸田 聡子(こうだ さとこ)は、大阪府豊中市出身のヴァイオリニスト。久合田緑、原田幸一郎、東儀幸、宗倫匡、小栗まち絵、フェリックス・アーヨに師事。桜塚高等学校、東京芸術大学卒業。神戸市室内合奏団奏者。高嶋音楽事務所所属。2005年より「幸田さと子」名義で活動している。声楽家(ソプラノ ソプラノ歌手)の幸田浩子は実妹である。
1981年 全日本学生コンクール小学校の部で西日本第1位入賞。
1983年 全日本学生コンクール中学校の部で西日本第3位入賞。
1984年 ヴィニャフスキー・ジュニア・バイオリン・コンクール(ポーランド)ゲオルク・フィリップ・テレマン テレマン特別賞受賞。
倖田 來未(こうだ くみ、本名・神田 來未子(こうだ くみこ)、1982年11月13日 - )は、日本の女性歌手。京都府京都市伏見区出身。エイベックス・rhythmzone所属。血液型A型。身長154cm。京都市立藤森中学校 京都市立藤森中学卒→京都精華女子高等学校卒。
愛称は「くぅちゃん」、「くぅたん」、「姉さん(姐さん)」。
歌手のmisono(元・day after tomorrow)は実妹である。
1999年、京都精華女子高等学校在学中にテレビ東京で放送していたオーディション番組「ASAYAN」内「モーニング娘。追加メンバーオーディション」において、後藤真希とその座を争ったが、先行して行われていたエイベックス(エイベックスエンタテインメント)主催のオーディション「avex dream 2000」にて準グランプリを受賞。これにより同社でレッスンやトレーニングを無償受講できる権利、同社との専属契約権を獲得した。
小唄勝太郎(こうたかつたろう、1904年11月6日 - 1974年6月21日)は昭和期の芸者歌手。本名は眞野かつ。
明治37年、新潟県中蒲原郡沼垂町(現新潟市)生まれ。幼い頃から親戚の料理屋で手伝いをする傍ら、知らずと身についた小唄が評判となり、15歳で内芸者となる。自身が好きだった清元節 清元の師匠になるべく、大正末期に上京。東京の葭町に籍を置き、勝太郎を名乗る。折りしも、レコード産業の黎明期と重なり、同じ葭町の藤本二三吉が『浪花小唄』や『祇園小唄』の大ヒットを飛ばすと、美声で評判であった勝太郎にも声がかかり、オデオンレコードで初吹き込み。昭和6年、日本ビクターと正式な契約を結び、レコード歌手としてデビューする。
香田 勲男(こうだ いさお、1965年5月29日~)は昭和末期から平成期(1980年代後半-2000年代前半)の読売ジャイアンツ、大阪近鉄バファローズに所属したプロ野球選手であり、現在は巨人で投手コーチを務めている。
1983年 長崎県立佐世保工業高等学校 佐世保工高からドラフト会議 ドラフト2位で指名され、読売ジャイアンツに入団
1985年 6月9日の対中日ドラゴンズ 中日戦で初登板(ナゴヤ球場)
1988年 先発を中心に27試合に登板。プロ初完封を含む、4勝をマークするなど一軍に定着する。
1989年の日本シリーズ(対近鉄)の第4戦に先発し、完封勝利を挙げる。(巨人3連敗の後の完封勝利(その後4連勝で日本一)で流れを変えた1勝と賞賛の声が高かった)
幸田 文(こうだ あや、1904年9月1日 - 1990年10月31日)は日本の随筆家、小説家。女子学院卒。
作家の幸田露伴の次女として東京向島 (東京都) 向島に生まれる。6歳のとき母を失い、後に姉、弟も失う。24歳で結婚するが10年後に離婚。娘の玉(青木玉)を連れて父のもとに戻る。露伴没後に随筆集を出版し注目された。1955年、長編小説「流れる」で芸術院賞と新潮文学賞受賞、「黒い裾」で読売文学賞受賞。娘の青木玉、孫の青木奈緒も作家。特徴は、確かな表現力と道徳観。
代表作に「黒い裾」、「流れる」、「闘」、「おとうと」、「みそつかす」、「終焉」、「葬送の記」などがあり、没後に「崩れ」「木」「きもの」、「闇」などが発表されている。1990年10月31日死去。享年86。
香寿たつき(こうじゅ たつき、北海道札幌市出身、1965年11月26日 - )は女優・元宝塚歌劇団星組 (宝塚歌劇) 星組男役トップスター(トップ期間:2001年~03年)。本名富崎貴子(とみさき・たかこ)。
公称身長168cm、血液型 血液型B型。札幌啓北商業高等学校出身。
札幌市にビブラフォン奏者槙邦雄(まき・くにお)の次女として出生、家族は他に母と姉・妹。槙は札幌放送管弦楽団専属、日本音楽家ユニオン道支部代表を歴任するなど札幌音楽界ひとかどの名士。
小学生の頃からバレエを習っていたが、中学時代にバレエ教室の友人の勧めで宝塚歌劇と出会う。
高校時代には東京のバレエ団へ勉強に行く資金のためにイベントなど多様なアルバイトを経験。イベントのアルバイトでは石原軍団に花束を贈呈した事もある。
合志 栄一(ごうし えいいち)は、日本の昭和期・平成期における政治家である。熊本県出身。元山口県山口市長。山口大学卒業。
1979年(昭和54年) 山口県山口市議会議員選挙に生長の家政治連合公認(諸派)で立候補、当選。(1期目)
1983年(昭和58年) 山口県山口市議会議員選挙に生長の家政治連合公認(諸派)で立候補、当選。(2期目)
1987年(昭和62年) 山口県議会議員選挙に自民党公認で立候補、当選。(1期目)
1991年(平成3年) 山口県議会議員選挙に自民党公認で立候補、当選。(2期目)
1995年(平成7年) 山口県議会議員選挙に自民党公認で立候補、当選。(3期目)
1998年(平成10年) 第18回参議院議員通常選挙(山口選挙区)に自民党公認で立候補、落選。
香坂みゆき(こうさか みゆき、本名:清水みゆき1963年2月7日 - )は、神奈川県大和市出身の女優、タレントで元アイドル歌手。キープスマイリング所属。血液型はAB型。堀越高校卒業。
3歳の時にモデル (職業) モデルとしてデビュー。テレビ番組「欽ちゃんのドンとやってみよう!」のマスコットガールで茶の間の人気者となり、14歳の時に歌手デビュー。
1963年2月7日 出生。
1994年 お笑いタレントの清水圭と再婚。
1997年 長男を出産。
2002年 次男を出産。
愛の芽生え (作詞:松本隆、作曲・編曲:穂口雄右)デビュー曲
ニュアンスしましょ (作詞:大貫妙子、作曲:EPO、編曲:清水信之)1984年資生堂キャンペーンソング
神坂次郎(こうさか じろう,1927年-)は、日本の作家、小説家。
1927年和歌山県和歌山市生まれ。戦後、演劇関係の仕事につき、長谷川伸と知り合い、時代小説を書き始める。1982年日本文芸大賞受賞。
『おかしな侍たち』(東京文芸社,1978年12月)
『元禄御畳奉行の日記 尾張藩士の見た浮世』(中公新書)(中央公論社,1984年9月)
『今日われ生きてあり』(新潮社,1985年7月)
『幕末を駆ける』(中央公論社,1985年11月)
『縛られた巨人 南方熊楠の生涯』(新潮社,1987年6月)
『今昔おかね物語』(新潮社,1990年8月)
神風特別攻撃隊
和歌山市 こうさかしろう
日本の小説家 こうさかしろう
高坂 希太郎(こうさか きたろう、1962年2月28日-)は、神奈川県出身の日本のアニメーター、映画監督。
1979年にOH!プロダクション入社。1986年からフリーに。
数多くのスタジオジブリ映画の制作に作画監督や原画として参加。そのため、監督作の宣伝では宮崎駿の一番弟子と呼ばれた。2003年にスペインの自転車レース、ブエルタ・ア・エスパーニャを扱った「茄子 アンダルシアの夏」(黒田硫黄原作)で映画監督としてデビュー。同作で第56回カンヌ国際映画祭の監督週間にも出展を果たした。自身も第3回富士ヒルムクライムアスリートクラスで3位入賞するなど、アニメ業界最速を誇る自転車乗りとして知られている。