小沢栄太郎(おざわ えいたろう、1909年3月27日 - 1988年4月23日)は、日本の俳優。東京都出身。芸名は、小沢栄・小沢英太郎・小澤栄太郎とも。
1944年、千田是也、東野英治郎らとともに劇団俳優座を結成。千田、東野と並ぶ同座の中核的存在であったが、1969年劇団の体質改善を訴えて、千田と対立し退団。山岡久乃等、艶福家としても有名でそれを苦にした妻は自殺している。後に再婚。
舞台のみならず、映画・TVにおいても主に脇役として活躍。特に憎々しい悪役には定評があり新平家物語で信西役を演じたときには早く殺せという嘆願書が多数届いた。1988年4月23日死去。享年79。
「花の生涯 (NHK大河ドラマ) 花の生涯」(1963年、NHK)
小沢 明(おざわ あきら)は、日本の建築家、東北芸術工科大学学長。
大学学長でありながら現役の建築家であり、新建築、住宅特集にも作品がよく掲載される。槇文彦のアトリエ事務所の初期のメンバーであり、東北芸術工科大学教授の元倉眞琴は槇事務所での弟弟子にあたる。
鶴岡アートフォーラム 新建築0601
日本の建築家 おさわ あきら
大佛 次郎(おさらぎ じろう、男性、1897年(明治30年)10月9日 - 1973年(昭和48年)4月30日)は、日本の作家・小説家。『鞍馬天狗』シリーズの作者として有名で、そのほか現代小説や歴史小説などを幅広く手がけた。本名は、野尻清彦。神奈川県横浜市英町10番地に生まれる。長兄は、英文学研究者で天文学 天文に関する著述で知られる野尻抱影。
東京都立日比谷高等学校 東京府立一中、第一高等学校 (旧制) 一高を経て、東京帝国大学政治学科を卒業。その後、鎌倉高等女学校(現・鎌倉女学院高等学校)教師となった。ついで外務省嘱託となり、この時代に小説を書き始め、退職して小説家の道に進んだ。
長部 日出雄(おさべ ひでお、1934年9月3日 - )は、青森県弘前市出身の小説家。
1950年 青森県立弘前高等学校入学。
1953年 早稲田大学文学部に入学する。(中退)
1957年 「週刊読売」記者となる。
:その後、退職し映画評論家となる。
1973年 『津軽じょんから節』と『津軽世去れ節』により、第69回直木賞を受賞。
1979年 『鬼が来た-棟方志功伝』により、第30回芸術選奨文部大臣賞を受賞。
1986年 『見知らぬ戦場』により、第6回新田次郎文学賞を受賞。
1989年 映画『夢の祭り』、原作・脚本・監督で製作。
2002年 『桜桃とキリスト もう一つの太宰治伝』により第29回大佛次郎賞・第15回和辻哲郎文化賞を受賞。
小山内 美江子(おさない みえこ、人名 本名、笹平 美江子(ささひら みえこ)、女性、1930年〔昭和5年〕1月8日 - )は、日本の脚本家である。代表作には、東京放送 (TBS) のテレビドラマ『3年B組金八先生』や日本放送協会 (NHK) の大河ドラマ『徳川家康 (NHK大河ドラマ) 徳川家康』『翔ぶが如く』などがある。
神奈川県横浜市鶴見区 (横浜市) 鶴見区の出身であり、鶴見高等女学校(現在の鶴見女子高等学校、学校法人総持学園)を卒業。
1951年(昭和26年)には、映画のスクリプター(記録係)となった。結婚を経て、妊娠(その後、長男の剛(ごう)を出産)をきっかけに脚本家に転じた。初めて脚本を手がけたのは、1962年(昭和37年)2月10日放送の日本放送協会 (NHK) のテレビドラマ「テレビ指定席」の『残りの幸福』という作品である。1962年(昭和37年)7月31日には、剛を無事に出産し、それを区切りとして離婚した。
小山内 薫(おさない かおる 1881年7月26日 - 1928年12月25日)は、明治末から大正・昭和初期に演劇界の革新に力を尽くした劇作家、演出家。
父は陸軍軍医・小山内建で、高橋お伝の遺体の解剖や、日本で初めてクロロホルムの麻酔で手術をしたことで知られる。薫は父の赴任先広島県広島市細工町(現在の中区 (広島市) 中区大手町)で、八男として生まれた。5歳のとき父が38歳で早逝、東京へ移った。
第一高等学校 (旧制) 旧制一高時代、失恋をきっかけに内村鑑三の門に入り、雑誌編集などを手伝ったが、まもなくキリスト教を離れた。東京帝国大学文学部英文科に進学。1学年留年しており、英語教師ラフカディオ・ハーンの解任に対する留任運動に加わったためともいわれる(ハーンの後任が夏目漱石 夏目金之助である)。在学中から、亡父のかつての同僚でもある森鴎外の知遇を得て、舞台演出に関わったり、詩や小説の創作をおこなった。1906年大学卒業。1907年、資産家の知人、木場の材木商、数井政吉から援助を受け、同人誌『新思潮』(第1次)を創刊、6号まで刊行し西欧の演劇評論・戯曲を精力的に紹介した。
小里 貞利(おざと さだとし、1930年(昭和5年)8月17日 - )は日本の政治家。元自由民主党衆議院議員、自民党総務会長、労働大臣、震災担当大臣などを歴任。元・小里派(現・谷垣派)領袖。
鹿児島県霧島町(現霧島市)出身。鹿児島県立加治木高等学校卒業。鹿児島県議を6期18年勤め上げた後、1979年より自由民主党から衆議院議員に連続当選9回。宏池会(大平正芳 大平派)に属し、派内でも数少ない党人派として、田中六助に師事、その後は加藤紘一を支える。
1994年、細川首相が辞任し羽田孜 羽田連立内閣が発足すると、当時国会対策委員長だった小里は、閣外協力に転じた日本社会党・村山富市中央執行委員長、野坂浩賢社会党国会対策委員長とのパイプを生かし、森喜朗幹事長と共に水面下で接触、羽田倒閣への口火を切った。また、1996年、橋本龍太郎 橋本連立内閣の発足で衆議院予算委員会の筆頭理事に就任し、住専処理法案で新進党の攻防戦に展開し同法案の成立の際に新進党理事の小沢辰男、森本晃司の威圧に屈する事無く採決に持ち込むなど、その政治手腕を発揮する。
長田 弘(おさだ ひろし、1939年11月10日 - )は、詩人。
福島市生まれ。早稲田大学卒業。
1960年、詩誌「鳥」を創刊。雑誌「現代詩」「詩と批評」「第七次早稲田文学」の編集に加わる。『私の二十世紀書店』で毎日出版文化賞、『深呼吸の必要』『心の中に持っている問題』等により路傍の石文学賞、『記憶のつくり方』で桑原武夫学芸賞をそれぞれ受賞。
主な作品集、『長田弘詩集』『メランコリックな怪物』『言葉殺人事件』『食卓一期一会』『詩人であること』『見よ、旅人よ』『読書百遍』『笑う詩人』『失われた時代』など。
日本の詩人 おさだひろし
1939年生 おさたひろし
長田渚左(おさだ なぎさ)は、日本ペンクラブ会員のノンフィクション作家。フジテレビジョン フジテレビの「FNNスーパータイム」でスポーツコーナー担当などを務めたこともあり、女性スポーツジャーナリストとして第一人者である。東京都出身、桐朋学園大学演劇専攻科卒。
日本のノンフィクション作家 おさたなきさ
長田 新(おさだあらた、1887年2月1日-1961年4月18日)は、日本の教育学者。長野県諏訪郡豊平村(現茅野市)出身。専門は教育思想史。広島高等師範学校、京都帝国大学文学部卒業。広島文理科大学 (旧制) 広島文理科大学(広島大学の前身)学長在職中に被爆 広島に投下された原爆に被災した。戦後の日本の教育再建の立役者の1人。ヨハン・ハインリッヒ・ペスタロッチ ペスタロッチの研究を中心に西洋教育史、思想史の研究で知られる。その方面での著作多数。
ペスタロッチに心酔し、その教えを広げることに尽力した。自らの墓所はスイスのペスタロッチの墓のそばにと希望し、現在そこに埋葬されている。
長田 秀一郎(おさだ しゅういちろう、1980年5月6日 - )は、プロ野球・西武ライオンズの投手で、背番号は19番である。
140キロ前後の直球とスライダーなど多彩な変化球を駆使する投球が持ち味。1年目から中継ぎなどで46試合に登板し実戦派であることを証明すると、2年目の2004年には前年よりも防御率が格段に向上、右の中継ぎとして優勝、日本一に貢献した。2005年は制球力、ボールの威力共に精彩を欠き不振に陥り、2006年は捲土重来を期すシーズンとなる。ここまでは中継ぎとしての活躍が多かったが、現在2軍では先発投手として調整を進めている。
身長・体重 1m78cm、75kg
投打 右/右
出身地 神奈川県横浜市