尾崎 亜美(おざき あみ、本名:小原美鈴、旧姓尾崎、1957年3月19日 -)は、シンガーソングライター。京都府出身、血液型はB型。
杏里の「オリビアを聴きながら」、松田聖子の「天使のウィンク」等、他のアーティストへの楽曲提供も多い。夫は音楽家 ミュージシャンの小原礼。
母、尾崎 暁美(おざき あけみ)は、稀少な袋物作家。主に西陣の帯で袋を制作し、作品展などを開いている。尾崎亜美が神谷明と友人であることから、インターネットラジオ『神谷明ホットビートパーティー』に不定期に出演している。
8歳でクラシック・ピアノを習い始め、16歳頃からポップミュージックに興味を持ちアマチュアのサークルに参加。作詞作曲をするようになる。初めての作品は「ひとりっこカバっこ」というタイトルでこれは後にNHKの子供番組に起用された。
小坂田淳(おさかだ じゅん、1974年4月2日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は400m。東京都出身。
兵庫県立神戸高塚高等学校、京都産業大学から大阪ガスに入社。大阪ガスの同僚にはアテネオリンピック (2004年) アテネオリンピック男子4x100mRで4位入賞の朝原宣治(100m自己記録10秒02=日本歴代2位)、元同僚にはエドモントン世界選手権男子400mH銅メダリストでヘルシンキ世界選手権男子400mH銅メダリストの為末大(400mH自己記録47秒89=日本記録)がいる。2000年、シドニーオリンピックに出場。マイルリレーでバトンを落とし、大きな非難を浴びた。2004年、アテネオリンピックに出場。一生懸命がんばって4位入賞(3位銅メダルへはわずか0.09秒差)に一応貢献。鼻が高いことで知られる。夫人は全日本実業団選手権優勝経験のある小坂田美恵(旧姓鈴木)。
小此木麻里(おこのぎ まり、1986年8月18日-)は、東京都出身の女優。アトリエ・ダンカン所属。
企業病棟(1994年・NHK)
エドとハル(1994年・NHK)
ケヤキ通りの人々(1994年・NHK)
渡る世間は鬼ばかり・野々下ミカ役 (1996年~、TBS)
すずらん (朝ドラ) すずらん(1999年、NHK)
山ほととぎすほしいまま
松平健特別公演・船遊女
レ・ミゼラブル:リトル・コゼット役
唐人お吉
おしん
かたき同志
楽園伝説:リトル・ティモーン役
花影の花
スクルージ:マーサ・クラチット役
小此木政夫(おこのぎ まさお, 1945年4月14日-)は、慶應義塾大学法学部教授。専門は、朝鮮半島の政治。
群馬県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。大韓民国 韓国・延世大学校留学を経て、慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程修了。同大学法学部講師・助教授を経て、1985年から現職。
1971年 慶應義塾大学法学部政治学科助手
1975年 慶應義塾大学法学部政治学科専任講師
1978年 慶應義塾大学法学部政治学科助教授
1985年 慶應義塾大学法学部政治学科教授
2005年 慶應義塾大学法学部長
『朝鮮戦争――米国の介入過程』(中央公論社, 1986年)
『岐路に立つ北朝鮮』(日本国際問題研究所, 1988年)
『ポスト冷戦の朝鮮半島』(日本国際問題研究所、1994年)
小此木 八郎(おこのぎ はちろう、昭和40年(1965年)6月22日~ )は、平成期の政治家。神奈川県出身。通商産業大臣などを務めた小此木彦三郎は父にあたる。
玉川学園高等部を経て、平成元年(1989年)3月玉川大学文学部を卒業。父の議員秘書となる。平成4年(1992年)渡辺美智雄の秘書を経て、平成5年(1993年)第40回衆議院議員総選挙に立候補し当選する。以後当選5回。文部省 文部政務次官、衆議院安全保障委員長を経て、平成16年(2004年)経済産業省 経済産業副大臣に就任する。
日本の国会議員 おこのきはちろう
神奈川県の政治家 おこのきはちろう
小此木啓吾(おこのぎ けいご 1930年1月31日 - 2003年9月21日)は精神科医。
慶應義塾大学医学部卒業。慶應義塾大学教授、東京国際大学教授を歴任。専攻は精神医学、精神分析学。特にフロイト研究や阿闍世コンプレックス研究、家族精神医学の分野では日本の第一人者であった。
1954年 - 慶應義塾大学医学部卒業。医学博士。
1972年 - 慶應義塾大学医学部助教授。
1988年 - 日本精神分析学会会長。
1990年 - 慶應義塾大学環境情報学部教授。
19X年 - 東京国際大学人間社会学部教授。
『エロス的人間論―フロイトを超えるもの―』(講談社[講談社現代新書]、1970年)
『現代精神分析I・II』(誠信書房、1971年)
小河 勝(おごう まさる、1944年9月18日 - ) は、大阪府大阪市出身の教育者。中学生向けの国語、算数の教材「小河式プリント」がベストセラーになった。盟友の陰山英男とともに「ゆとり教育」に警鐘を鳴らし、小・中学生の基礎学力向上に取り組んでいる。
信州大学文理学部を卒業、大阪市立本庄中学校の臨時講師を務めたのをきっかけに教育に関心を持ち、1973年に大阪市立加美中学校の教諭になった。その後、港中学校を経て、1998年から市岡中学校に勤務し、2005年3月に退職。現在は、中学生の自主学習を手助けする「小河学習館」の館長を務めている。
小河式プリントは、「百ます計算」などを取り入れた書き込み式の教材。基礎学力の養成に役立つとして、全国の中学校や学習塾で利用されている。
東京生まれ。1945年6月に中学校を中退し農耕に従事するが、1946年、京北中学3年に編入学。1948年、東京商科大学(現一橋大学)予科不合格。1950年一橋大学商学部入学。商学部山城章ゼミナールに入るも、1953年同大社会学部に転部し、1955年同卒業(海老池俊治ゼミナール)。
研究社に勤務する一方村上一郎とともに「典型」「無名鬼」を編集し評論活動を開始。『ドストエフスキー ドストエフスキイ』で平林たい子賞、『保田與重郎』で芸術選奨文部大臣賞、『昭和精神史』で毎日出版文化賞、『伊藤整』で伊藤整文学賞。
著述業の傍ら大学で教鞭もとった。東洋大学文学部教授を経て、同大名誉教授・兼任研究員、日本近代文学館理事を歴任。
小栗 旬(おぐり しゅん、1982年12月26日 - )は東京都出身。平成期の日本の俳優である。
血液型:O型、身長:183cm、体重:62㎏、靴:27.0cm、趣味:音楽鑑賞
中目黒上腕二頭筋という野球チームに所属している。
小学生の頃、内田有紀と共演したいという理由から児童劇団に入団し、子役エキストラからスタート。
単発やゲスト出演などを経て『GTO』のいじめられ役で連ドラ初レギュラー。
「しあわせ家族計画」で映画初出演。ドドリア選手権大会優勝。
左利きである。
大の阪神タイガースファン。
2006年3月時点までに松嶋菜々子との共演が多い。
映画初出演後、しばらく仕事から遠ざかっていたが、『Summer Snow』の耳の不自由な弟役で復帰。
小栗 左多里(おぐり さおり、1966年12月10日 - )は、日本の漫画家。岐阜県出身。
多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業。
1995年、少女漫画誌「コーラス」(集英社)にて『空に真赤なモノレール』でデビュー。
外国人である夫のトニー・ラズロとの結婚生活を描くコミックエッセイ『ダーリンは外国人』シリーズで人気となる。
おねがい神様(1998年、集英社)
この愛のはてに(2000年、集英社)
まじょてん
1巻(2001年、集英社)
2巻(2001年、集英社)
ダーリンは外国人シリーズ
ダーリンは外国人(2002年、メディアファクトリー)
ダーリンは外国人2(2004年、メディアファクトリー)
ダーリンの頭ン中(トニー・ラズロと共著、2005年、メディアファクトリー)
小栗 康平(おぐり こうへい、1945年10月29日 - )は、群馬県前橋市出身の映画監督である。群馬県立前橋高等学校、早稲田大学第二文学部卒。
1981年に『泥の河』でデビューする。以降、ほぼ10年に1、2本のペースで作品を発表する。作品数こそ極めて少ないものの、その特異な作品世界が高く評価されている。
中でも、フランスのジョルジュ・サドゥール賞を日本人として初受賞するなど、海外での評価が圧倒的に高く、日本映画界において極めて稀有な存在である。
浦山桐郎、山本迪夫、大林宣彦、篠田正浩等の助監督を務めた。1973年には、ドラマ『流星人間ゾーン』の監督も務めた。
1981年1月に、宮本輝原作の『泥の河』でデビューする。大阪の安治川に暮らす人々の生活を、幼い少年の視点から、白黒の画面で切なくも端整に描いた作品である。特に、油を飲ませた蟹にマッチで火を付けて遊んでいた少年が、友人の母が男に春を鬻いでいる所を目撃してしまう場面は、鮮烈である以上に、叙情的で実に儚い。子役の演技力も相俟って、高く評価された。同作により、1980年代以降の日本映画の鬼才として認識される事となる。外国語映画賞にノミネートされた第54回アカデミー賞では受賞を逃したものの、モスクワ国際映画祭では見事に銀賞を獲った。
小栗 泉(おぐり いずみ、旧姓:小林、1964年8月27日 - )は、日本テレビ放送網 日本テレビの報道局記者、ニュースキャスター。東京都出身。
青山学院大学文学部英米文学科卒業後、1988年、日本テレビの報道キャスターとして入社。
社会部・政治部(自由民主党 (日本) 自民党担当)を経て、『NNNニュースジパング』、『NNNニュースダッシュ(2000.04 - 2002.09)』、『真相報道 バンキシャ! バンキシャ!(2002.10 - 2003.09)』、のキャスターを歴任。そして、現在は『NNNきょうの出来事(2003.10 - 2006.09)』のメインキャスターをしている。
父親は声優の小林恭治である。
ニュースキャスター おくりいすみ
小倉遊亀(おぐら ゆき、本名 小倉ゆき(旧姓溝上)、女性、1895年3月1日 - 2000年7月23日)は、昭和~平成の日本画家。
1895年滋賀県大津市に生まれる。奈良女子高等師範(現・奈良女子大学)卒業後、安田靫彦に師事している。
1932年、女性として初めて日本美術院同人になった。1980年文化勲章を受章。105歳の長寿を全うして、2000年に鎌倉で没している。女流画家として、上村松園とともに日本を代表する存在である。
上村松園についで女性画家として二人目の文化勲章受章者。
浴女(1938)(東京国立近代美術館)
受洗を謳う(1936)(滋賀県立近代美術館)
観世音菩薩(1941)(滋賀県立近代美術館)
モデル名=小倉 優子
ふりがな=おぐら ゆうこ
愛称=ゆうこりん
生年月日=1983年11月1日
出身地=千葉県茂原市
血液型=B型
時点=2006年
身長=162
体重=
バスト=80
ウエスト=56
ヒップ=83
カップ=
股下=
身体備考=
小倉 昌男(おぐら まさお、1924年12月13日 - 2005年6月30日)は、日本の実業家。東京都出身。ヤマト運輸の『宅急便』サービスの生みの親である。
1947年、東京大学経済学部卒業。1948年、父・小倉康臣が経営する大和運輸(現・ヤマトホールディングス)に入社。1971年、康臣の後を継いで社長に就任した。
クリスチャン。長らく救世軍に所属していたが、晩年は「夫婦一緒の教会が良い。妻に転会の意思が無いので自分が合わせる」と、妻の所属していたカトリック教会 カトリックに移籍。
1976年、オイルショック後に低迷していた大和運輸の業績回復のため、『宅急便』の名称で民間初の個人向け小口貨物配送サービスを始めた。サービス開始当時は関東地方のみだったが、その後、配送網を全国に拡大し、ヤマト運輸が中小の会社から売上高一兆円の大手運輸会社に発展する基礎を築く。1987年、会長に就任。