海老沢 勝二(えびさわ かつじ、1934年5月5日 - )は日本放送協会(NHK)前会長、アジア太平洋放送連合(ABU)前会長。茨城県潮来市出身。早稲田大学高等学院、早稲田大学政治経済学部政治学科卒。
1957年にNHK入局。福岡放送局、本局政治部勤務の後、1989年に専務理事に就任。1991年に退局し、NHKエンタープライズ21 NHKエンタープライズ社長に就任。その後NHKに復帰し1993年に専務理事、1994年に副会長を歴任。1997年7月31日から2005年1月25日まで会長を務めた。この間、1999年にABU会長となり、2002年には「国際エミー賞」の経営者賞を受賞した(理由はハイビジョンの普及など)。
出世は前上司でもあり元会長の島桂次(故人)の引立て、政治部時代に築いた人脈によるところが大きいとも言われる。
江原 啓之(えはら ひろゆき、本名:江原 勝行、1964年(昭和39年)12月22日 - )は、スピリチュアルカウンセラー、コメンテーター、作家、声楽家(バリトン歌手)。元神職。
世界ヒーリング連盟会員。東京都出身。
和光大学人文学部芸術学科中退後、国内で滝行、修験道などの霊的修行、國學院大学別科神道専修II類修了。その後北沢八幡神社に奉職。1989年にスピリチュアリズム研究所を設立。同年より日本、イギリスで学んだスピリチュアリズムも取り入れたカウンセリングを開始(現在は諸事情により休止中)。以降、作家活動を中心に雑誌、テレビ番組、ラジオ番組で人生相談を行い、また講演会も定期的に開催するなど、多岐にわたって活動を行っている。2006年、著書の累計出版部数は700万部を超えており、ベストセラー作家としても世に知られている。その傍ら武蔵野音楽大学に入学し、パルナソスエミネンス特修科声楽専攻を修了するなど、音楽の才能も持ち合わせており、楽曲を発表をしている。
江原淳史(えはら あつし、1974年4月14日 - )は、東京都出身の元俳優。現役当時はエー・ビームス所属。
武南高等学校出身。高校時代は得点王として名を知られたサッカー選手であった。中央大学に進学しサッカーを続けるが、負傷などに見舞われ、サッカーの道を断念して芸能界に転ずる。
30歳で俳優を引退、故郷で母親の営業するスナックの店長を務めている。
電磁戦隊メガレンジャー(遠藤耕一郎/メガブラック)
スーパー戦隊Vシネマ#電磁戦隊メガレンジャーVSメガレンジャー 電磁戦隊メガレンジャーVSメガレンジャー(遠藤耕一郎/メガブラック)
スーパー戦隊Vシネマ#星獣戦隊ギンガマンVSメガレンジャー 星獣戦隊ギンガマンVSメガレンジャー(遠藤耕一郎/メガブラック)
江幡 高志(えばた たかし、1928年12月15日 - )は、1950年代から2000年代まで、半世紀に渡って活躍している日本のベテラン俳優。京都府京都市出身。明治学院大学経済学部中退。
俳優座の3期生出身。1952年、東映の「泣虫記者」で映画デビュー。デビュー時は江波多寛児という芸名で、70年代初頭は江波多寛志名義での出演作もある。
時代劇・現代劇を問わず「小悪党」の代名詞的な存在として活躍。バラエティ番組に川合伸旺ら悪役仲間と出演した際「この人達は最後に主役に斬られて目立つからいいけど、自分はその前にこの人達に殺されてしまう」と笑っていた。その一方で、気のいい善人役を演じても魅せてくれる名優である。
江畑 謙介(えばた けんすけ、1949年3月23日 - )は、日本の軍事評論家。拓殖大学海外事情研究所客員教授。千葉県銚子市生まれ。上智大学大学院理工学研究課博士課程修了。
イギリスの防衛専門誌「ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリー」日本特派員、通産省産業構造審議会「安全保障貿易管理部」臨時委員、スウェーデン・ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)客員研究員、防衛庁防衛調達適正化会議議員、内閣官房情報セキュリティ専門調査会委員、経済産業省産業構造審議会安全保障貿易管理小委員会委員、日本国際フォーラム付属「日本予防外交センター」運営委員、外務省「対外情報機能強化に関する懇談会」委員などを歴任。
江橋 節郎(えばし せつろう、1922年8月31日 - 2006年7月17日)は、日本の薬理学者。
東京都千代田区九段生まれ。
筋肉の収縮にカルシウムが作用していることを解明したことで知られる。
東京都立日比谷高等学校 府立一中、第一高等学校 (旧制) 一高を経て、1944年東京大学 東京帝国大学医学部医学科卒、ただちに助手として東大に勤務。1959年にはロックフェラー研究所客員研究員となり、1959年から1983年まで東大医学部教授を勤め、その間、理学部教授、東大評議員、東大名誉教授、カリフォルニア大学 カリフォルニア・ハーバード両大学客員教授などを歴任した。カルシウムや筋ジストロフィー症などに関する薬理学、生物物理学、分子生物学などの分野において、数々の発見やその業績を通して世界的発展に寄与した権威である。その後、岡崎国立共同研究機構(現自然科学研究機構)生理学研究所教授、所長となる。1972年学士院恩賜賞受賞。1975年文化功労者。1975年文化勲章。ほかに朝日賞、第一回山路自然科学奨励賞、第一回ピーター・ハリス賞受賞。
榎本 了壱(えのもと りょういち、1947年 - )は、日本のアートディレクターである。
1947年東京都出身。武蔵野美術大学造形学部商業デザイン学科卒。1969年同校卒業後、寺山修司の映画の美術を担当し、雑誌『ビックリハウスsuper』の編集長を経て、1986年アタマトテ・インターナショナルを主宰する。その後、日本放送協会 NHKの企画や展示をプロデュース、「世界デザイン博住友館」の総合プロデュースを担当。広告批評などでデザイン論評を寄せている。2006年、コムコム.com(komu-komu.com)を配信開始。
現在京都造形芸術大学教授 情報デザイン学科長、日本文化デザインフォーラム幹事。全税共文化財団理事。
榎本 敏孝(えのもと としたか、1985年12月10日- )は大阪府出身の福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手。外野手。背番号は43。右投左打。
身長/体重:178cm/80kg
血液型:A型
球暦・入団経緯:大阪府立西淀川高等学校 西淀川高校-福岡ダイエーホークス ダイエー・ソフトバンク(2004年-)
ドラフト年度・順位:2003年・5巡目
背番号:43
投打:右投左打
アマチュア時代の成績:2003年夏の大阪府野球大会四回戦敗退。
高校時代は投手であった。投手として最速145キロを誇る素材だったが高校通算40本塁打という一発を期待内野手転向を宣言した。
左の大砲候補。
内野手転向したが現在は外野手である。
榎本 健一(えのもと けんいち 1904年10月11日 - 1970年1月7日)は、俳優、歌手、コメディアン。当初は浅草を基点としていたが、「エノケン」の愛称で広く全国に知られていた。日本で喜劇王とも呼ばれた。第二次世界大戦期前後の日本で大活躍した。
東京都港区 (東京都) 港区青山の出身。浅草オペラの「根岸歌劇団」に所属した後、1929年に「カジノ・フォーリー」で一躍人気者となる。最大の魅力は「動き」の激しさであり、手だけで舞台の幕を上る、走っている車の扉から出て反対の扉からまた入るという芸当ができたという伝説がある。「笑いの王国」の古川緑波とは、「エノケン・ロッパ」と並び称せられ人気を二分した。