江幡 高志(えばた たかし、1928年12月15日 - )は、1950年代から2000年代まで、半世紀に渡って活躍している日本のベテラン俳優。京都府京都市出身。明治学院大学経済学部中退。
俳優座の3期生出身。1952年、東映の「泣虫記者」で映画デビュー。デビュー時は江波多寛児という芸名で、70年代初頭は江波多寛志名義での出演作もある。
時代劇・現代劇を問わず「小悪党」の代名詞的な存在として活躍。バラエティ番組に川合伸旺ら悪役仲間と出演した際「この人達は最後に主役に斬られて目立つからいいけど、自分はその前にこの人達に殺されてしまう」と笑っていた。その一方で、気のいい善人役を演じても魅せてくれる名優である。
江畑 謙介(えばた けんすけ、1949年3月23日 - )は、日本の軍事評論家。拓殖大学海外事情研究所客員教授。千葉県銚子市生まれ。上智大学大学院理工学研究課博士課程修了。
イギリスの防衛専門誌「ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリー」日本特派員、通産省産業構造審議会「安全保障貿易管理部」臨時委員、スウェーデン・ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)客員研究員、防衛庁防衛調達適正化会議議員、内閣官房情報セキュリティ専門調査会委員、経済産業省産業構造審議会安全保障貿易管理小委員会委員、日本国際フォーラム付属「日本予防外交センター」運営委員、外務省「対外情報機能強化に関する懇談会」委員などを歴任。
江橋 節郎(えばし せつろう、1922年8月31日 - 2006年7月17日)は、日本の薬理学者。
東京都千代田区九段生まれ。
筋肉の収縮にカルシウムが作用していることを解明したことで知られる。
東京都立日比谷高等学校 府立一中、第一高等学校 (旧制) 一高を経て、1944年東京大学 東京帝国大学医学部医学科卒、ただちに助手として東大に勤務。1959年にはロックフェラー研究所客員研究員となり、1959年から1983年まで東大医学部教授を勤め、その間、理学部教授、東大評議員、東大名誉教授、カリフォルニア大学 カリフォルニア・ハーバード両大学客員教授などを歴任した。カルシウムや筋ジストロフィー症などに関する薬理学、生物物理学、分子生物学などの分野において、数々の発見やその業績を通して世界的発展に寄与した権威である。その後、岡崎国立共同研究機構(現自然科学研究機構)生理学研究所教授、所長となる。1972年学士院恩賜賞受賞。1975年文化功労者。1975年文化勲章。ほかに朝日賞、第一回山路自然科学奨励賞、第一回ピーター・ハリス賞受賞。
榎本 了壱(えのもと りょういち、1947年 - )は、日本のアートディレクターである。
1947年東京都出身。武蔵野美術大学造形学部商業デザイン学科卒。1969年同校卒業後、寺山修司の映画の美術を担当し、雑誌『ビックリハウスsuper』の編集長を経て、1986年アタマトテ・インターナショナルを主宰する。その後、日本放送協会 NHKの企画や展示をプロデュース、「世界デザイン博住友館」の総合プロデュースを担当。広告批評などでデザイン論評を寄せている。2006年、コムコム.com(komu-komu.com)を配信開始。
現在京都造形芸術大学教授 情報デザイン学科長、日本文化デザインフォーラム幹事。全税共文化財団理事。
榎本 敏孝(えのもと としたか、1985年12月10日- )は大阪府出身の福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手。外野手。背番号は43。右投左打。
身長/体重:178cm/80kg
血液型:A型
球暦・入団経緯:大阪府立西淀川高等学校 西淀川高校-福岡ダイエーホークス ダイエー・ソフトバンク(2004年-)
ドラフト年度・順位:2003年・5巡目
背番号:43
投打:右投左打
アマチュア時代の成績:2003年夏の大阪府野球大会四回戦敗退。
高校時代は投手であった。投手として最速145キロを誇る素材だったが高校通算40本塁打という一発を期待内野手転向を宣言した。
左の大砲候補。
内野手転向したが現在は外野手である。
榎本 健一(えのもと けんいち 1904年10月11日 - 1970年1月7日)は、俳優、歌手、コメディアン。当初は浅草を基点としていたが、「エノケン」の愛称で広く全国に知られていた。日本で喜劇王とも呼ばれた。第二次世界大戦期前後の日本で大活躍した。
東京都港区 (東京都) 港区青山の出身。浅草オペラの「根岸歌劇団」に所属した後、1929年に「カジノ・フォーリー」で一躍人気者となる。最大の魅力は「動き」の激しさであり、手だけで舞台の幕を上る、走っている車の扉から出て反対の扉からまた入るという芸当ができたという伝説がある。「笑いの王国」の古川緑波とは、「エノケン・ロッパ」と並び称せられ人気を二分した。
榎本加奈子(えのもと かなこ、本名:佐々木 加奈子(旧姓:榎本)、1980年9月29日 - )は、東京都港区_(東京都) 港区出身の元女優、元タレント。血液型はB型。左利き。日本音楽高等学校中退。夫は元横浜ベイスターズの佐々木主浩。
実家は白金_(東京都) 白金の米屋。
ロッテ「雪見だいふく」のテレビコマーシャル CMで清楚なキャラで出演後、安達祐実主演のテレビドラマ「家なき子 (テレビドラマ)#家なき子2 家なき子2」で、裕福な家のお嬢様、木崎絵里花役として共演しデビュー。「エリカが喩えてあげる」という台詞が特徴的なイジメ役を熱演。
「家なき子」出演後、連ドラ初主演の「おそるべしっ!!! 音無可憐さん」(鈴木由美子原作)では好きな男の子に一途なコスプレブリッコを、「犬猫」(主演)では内向的で恋愛に奥手な女の子を好演し、様々な役どころをこなしている。
榎園 実穂(えのきぞの みほ、1987年10月4日 - )は、女優。大阪府富田林市出身。リコモーション所属。血液型B型。
1999年後期NHK朝の連続テレビ小説『あすか (朝ドラ) あすか』でヒロインの少女時代を演じた。
NHK朝の連続テレビ小説あすか (朝ドラ) あすか 宮本あすか役
ドラマ30ふしぎな話
いのちの現場から
1987年生 えのきその みほ
日本の俳優 えのきその みほ
連続テレビ小説 えのきその みほ
榎木 洋子(えのき ようこ)は小説家。
友人の波多野鷹が小説家としてデビューしたことに触発され、小説家を志す。
1990年に「特別の夏休み」で第16回コバルト・ノベル大賞の読者大賞を受賞し、『リダーロイス・シリーズ1 東方の魔女』でデビュー。
その後コバルト文庫を中心に作品を発表する。
主にファンタジー作品を手がけ、デビュー作の「リダーロイス」、代表作の「龍と魔法使い」、最新シリーズの「緑のアルダ」はいずれも同じ、龍や精霊の存在する魔法世界を舞台とし、シリーズ間で共通して登場するキャラクターも存在する。
それ以外では現代日本を舞台とした伝奇的な作品、「女神降臨剣」、「影の王国」シリーズやライトSF風味な「STEP OUT」、「人魚姫」シリーズなどがある。
榎木兵衛(えのき ひょうえ、1928年3月1日 - )は、三重県出身の俳優。本名は、榎本兵衛。日活に所属。各映画に脇役として出演するが、その数は日活映画では最多の出演回数を誇る。特に、悪役では定評がある俳優である。テレビでは、松田優作作品での出演が多かった。
「新選組!」(2004年・日本放送協会 NHK)
「みんなのいえ」(2001年公開)
「THE 有頂天ホテル」(2006年公開)
日本の俳優 えのき ひようえ
1928年生 えのきひようえ
悪役俳優 えのきひょうえ
榎木 孝明(えのき たかあき、1956年1月5日 - )は、鹿児島県伊佐郡菱刈町出身の日本の俳優・水彩画家。
1978年劇団四季に入団、1984年NHK朝の連続テレビ小説 連続テレビ小説「ロマンス (朝ドラ) ロマンス」でテレビデビューを果たし、以来舞台やテレビ、映画、ラジオ等あらゆる分野で活躍している。
武蔵野美術大学出身ということもあり絵画に造詣が深く、北海道美瑛町・大分県九重町・鹿児島市にアートギャラリーを持ち、画集を出版するほか、日本各地のみならずインドやネパール等の国を旅をして美しい絵を残している。
映画「田中一村#映画 アダン」出演の際、五十嵐匠監督よりあばらが見えるほどの減量を相談され、15キロも減量したことがある。
江成 正元(えなり まさもと、1989年1月1日~)は東京都世田谷区出身の日本の俳優。
兄は俳優のえなりかずき。
『コメディーお江戸でござる』(日本放送協会 NHK) - 準レギュラーの子役として兄につづいて出演。
連続テレビ小説『さくら (朝ドラ) さくら』(NHK) - ヒロインの教え子の中学生役で出演。
新春かくし芸大会(フジテレビ、2005年) - 兄と一緒に「大奥女中絵巻」演目で出演
NHK将棋講座(NHK、2004年)-女流棋士 清水市代女流三冠(当時)を講師にむかえ、生徒として出演。
『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ放送網 NTV) - 兄・かずきと兄弟で出演。
金田一少年の事件簿 (テレビドラマ) 金田一少年の事件簿 -吸血鬼伝説殺人事件-(2005年 日本テレビ) - 貴船葉平役
江波杏子(えなみ・きょうこ 、1942年10月15日‐、本名:野平香純=のひら・かすみ)は、東京都出身。昭和後期・平成期(1960年代~)の女優。
天秤座のA型。
非公式だが「えなきょん」と呼ばれることもある。
稀にエナッチ、エナパイとも呼ばれることもある。
芸名の由来は
江波は母親の「江波和子」、
杏子は室生犀星の「杏っ子」から取ってつけた。
曾祖父が、最後に沖田総司をかくまった植木職人の柴田平五郎。
公式プロフィールでは身長161cmとなってるが、
実際は155cmと意外に小柄。
母・江波和子も戦前に映画女優として東宝で活躍し、その影響で高校生の1959年に大映入り。