上田 佳範(うえだ よしのり、1973年11月18日 - )は、長野県松本市出身のプロ野球選手(外野手)。中日ドラゴンズに所属。
松商学園高等学校 松商学園高ではエースとして1991年の春と夏に甲子園出場。春は準優勝、夏はベスト8まで進んだ。夏の対四日市工において延長16回サヨナラ死球を受けている(相手投手は井出元(元中日→西武))。国体でも優勝経験がある。ちなみに春の甲子園では同学年のイチロー(愛知工業大学名電高等学校 愛工大名電高)をノーヒットに抑えた。打撃にも定評がありハワイ選抜では4番に座った。同年のドラフト1位で北海道日本ハムファイターズ 日本ハムファイターズに投手として入団し、のち外野手に転向。1995年に初めて一軍に昇格し、106試合に出場、49安打を記録した。投手出身ゆえの強肩と好守が持ち味で、1997年には規定打席にも到達し打率3割をマークしたが、その後は不振とケガで伸び悩んだ。
植田 幸弘(うえだ ゆきひろ、1964年7月27日 - )は、和歌山県田辺市出身のプロ野球選手(捕手)。現西武ライオンズバッテリーコーチ。
和歌山県立南部高等学校 南部高から1983年ドラフト会議 ドラフト外で広島東洋カープに入団。全盛期だった達川光男の控えとしてチームを支える。1993年シーズン終了後、鈴木哲 (野球選手) 鈴木哲投手との交換トレードで西武に移籍。伊東勤の控えとしてチームを支えてきたが、1997年に左足靭帯を断裂してからは出場機会が減少し、1999年に現役を引退。2000年にブルペン捕手となる。2001年からの3年間はチームスタッフとして伊原春樹監督を支え、伊東監督の就任に伴い2004年から西武のバッテリーコーチに就任した。どちらかといえば選手当時の実績よりは、縁の下としてのコーチとしての実績の方が功績が高い。
上田真而子(うえだ まにこ 1930年-)はドイツ文学者。和歌山県高野山出身。京都府立女子専門学校卒業後、ドイツへ留学・マールブルグ大学中退。京都ドイツ文化センターに勤務後、ドイツ児童文学の翻訳活動に専念。1982年に『はてしない物語』(ミヒャエル・エンデ原作)で日本翻訳文化賞、1988年に『あの年の春は早くきた』で国際アンデルセン賞国内賞をそれぞれ受賞。『ジム・ボタンの機関車大旅行』、『あのころはフリードリヒがいた』、『熊とにんげん』など翻訳作品多数ある。夫は哲学者の上田閑照。
ドイツ文学 うえたまにこ
上田 正昭(うえだ まさあき、1927年4月29日-)は日本の歴史学者。兵庫県出身。
京都大学文学部史学科卒業。京都大学教養学部教授、京大教養部長、京大埋蔵文化財研究センター長、大阪女子大学学長などを歴任。
現在、京都大学名誉教授・西北大学名誉教授・中国社会科学院学術顧問・大阪府立中央図書館名誉館長・社叢学会理事長・アジア史学会会長・世界人権問題研究センター理事長・姫路文学館館長・京都市学校歴史博物館長・高麗美術館長。
日本古代史を中心に神話学・民俗学などに視野を入れ、広く東アジア的視野点から歴史を究明する著書が多数ある。
『日本神話』で毎日出版文化賞、『古代伝承史の研究』で江馬賞、1998年福岡アジア文化賞、大阪文化賞、京都市文化功労者、京都府文化賞特別功労賞、2000年に南方熊楠賞をそれぞれ受賞。主要著作は『上田正昭著作集』(角川書店・全8巻)に収められている。
上田 文雄(うえだ ふみお、1948年6月11日 - )は札幌市 札幌市長。日本の政治家、弁護士。北海道幕別町出身。身長165cm。
北海道帯広三条高等学校、中央大学法学部法律学科卒業。1975年司法試験に合格し北海道にて弁護士業務を開始。少年事件、医療事故訴訟、多重債務訴訟を主に扱う。教育の自由の限界が問われ最高裁まで続いた旭川学力テスト事件の担当弁護士。1994年より札幌弁護士会副会長、2001年より日本弁護士連合会人権擁護委員会副委員長。
2003年6月に行われた石崎岳元衆議院議員(当時:その後衆議院議員に復帰)との決選再選挙で当選、2003年より札幌市長(1期目)。民主党 (1996-) 民主党系の革新市長として辣腕を振るっている。
上田 敏(うえだ びん、1874年10月30日 - 1916年7月9日)
日本の詩人・評論家・翻訳家・英仏文学者。
本名、上田柳村。文豪。東京都帝国大学文科大学院卒。
大学卒業後、小泉八雲の後任として夏目漱石とともに、東京帝国大学講師となる。
天才的な語学力を所持していたことで名高く、小泉八雲には<万人に一人>の才能と称えられたという逸話をもつ。多数の海外言語に精通しており、国内でも古典文学など、伝統的な文学の造詣を有していた。
翻訳詩人として著名。イギリス、フランス、ドイツ、イタリアの詩を日本語に翻訳した詩集『海潮音 (詩集) 海潮音』の作家。同詩集に収められた「山のあなた」(カール・ブッセ)は国語の教科書で長く用いられている。
上田 浩明(うえだ ひろあき、1969年4月30日 - )は、プロ野球選手(内野手)。兵庫県出身。
1987年、北陽高等学校 北陽高校からドラフト会議 ドラフト2位で西武ライオンズに入団。入団当初は強打のスラッガーとして期待されていたが、伸び悩み2軍生活が長く続いた。後に守備能力に特化、内野ならどこでも鉄壁を誇る抜群の守備力を身につけたことで1994年に1軍に定着(外野も守ることができ、中堅手 センターとして試合に出場したことがある)。試合終盤の代走、守備固め要員として欠かせない存在になった。
一方、打撃面は実働18年で本塁打0本、通算打率.179が表すとおり全く実績を残しておらず、18年間で打数が出場試合数を上回ったことが無いというほど、その選手生活全てを守備固めのスペシャリストとして過ごしてきた。その打撃成績で800試合近い出場を記録していることが、逆に彼の守備能力の素晴らしさ、またそれがいかにチームに欠かせない存在であったかを示している。