笹本 正治(ささもと しょうじ、1951年12月19日 - )は、山梨県出身の男性歴史家。
信州大学人文学部卒業、名古屋大学大学院文学研究科博士課程前期課程修了。名古屋大学文学部助手、信州大学人文学部助教授を経て、1994年より信州大学人文学部教授。博士(歴史学)名古屋大学。専攻は日本中・近世史。研究は戦国大名武田氏、音や場などを通しての社会の変化、鋳物師等の職人史、災害文化史、山村史など多岐にわたる。歴史学と民俗学の接点を探ると同時に、地域活性化などにも力を入れている。
『武田氏三代と信濃―信仰と統治の狭間で―』(郷土出版社、1988年)
『戦国大名と職人』(吉川弘文館、1988年)
笹原 宏之(ささはら ひろゆき、1965年 - )は、東京都出身の日本の男性国語学・言語学 言語学者。
過去・現在における日本語の漢字表記に係る位相の研究、JIS幽霊字・国字(和製漢字)・地域文字の研究者としても有名。経済産業省の「JIS X 0208:1997」・「JIS X 0213:2000」などの委員として「妛」「粫」などの正体を明かし、法務省の法制審議会人名用漢字部会の幹事として「苺」「腥」などに人気が出ていることを掘り起こす。「弐千円札」、「さいたま市」の創設にも関わる。1993年早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得。文化女子大学専任講師、国立国語研究所主任研究官などを経て、2005年4月1日より早稲田大学社会科学部・助教授。博士(文学)(早稲田大学:2005年)。著書に、『日本の漢字』(岩波新書、2006年1月)などがある。
笹野 みちる(ささの みちる、1967年10月30日 - )は、日本の歌手である。京都府向日市出身。同志社女子中学校・高等学校、同志社大学経済学部卒業。母は元参議院議員の笹野貞子である。
1988年に東京少年のボーカルとしてデビュー。1991年に東京少年はラストアルバム『ゆびきりげんまん』を発表し解散する。
1993年に2年弱の充電期間を経て、「ささのみちる」に改名し『彼女といたい!』でソロデビューした。
1995年には著書『カミングアウト Coming OUT!』(幻冬舎)の中で、自身が同性愛者であることを告白し注目を集めるが、その直後より体調不良を起こし、1997年には活動拠点を地元・京都に移す。
笹野 高史(ささの たかし 、1948年6月22日 - )は、日本の俳優。日本大学芸術学部中退。兵庫県津名郡一宮町 (兵庫県津名郡) 一宮町(現淡路市)出身。グランパパプロダクション所属。4人の息子ささの翔太、ささの友間、ささの堅太、ささの貴斗も同事務所に所属し、子役活動をしている。自分の年の割りに子供が小さいことでテレビに良く出る。
男はつらいよ 柴又より愛をこめて(1985年)
男はつらいよ 幸福の青い鳥(1986年)
男はつらいよ 知床慕情(1987年)
男はつらいよ 寅次郎物語(1987年)
男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日(1988年)
釣りバカ日誌(1988年)
男はつらいよ 寅次郎心の旅路(1989年)
漣 健児(さざなみけんじ、本名草野昌一、1931年2月4日 - 2005年6月6日)は、日本を代表する訳詩家。別名義に新田宣夫がある。
代表的なものに坂本九の「ステキなタイミング」やナット・キング・コールの「L-O-V-E」、中尾ミエの「可愛いベイビー」、「赤鼻のトナカイ」などがある。シンコー・ミュージック・エンタテイメントの前身、新興音楽出版社の創業者でもある。
ホワイトハウスに招待された唯一の日本人音楽家である。
実弟の浩二氏は東芝EMIの名物デレクターである。
1931年生 ささなみ けんし
2005年没 ささなみ けんし
翻訳家 ささなみ けんし
実弟の浩二氏は東芝EMIの名物デレクターである。
笹路 正徳(ささじ まさのり、1955年5月3日 - )は、日本の作曲家、プロデューサー、アレンジャー、キーボード奏者である。群馬県高崎市出身。慶應義塾大学卒業。
小学校時代はクラシック音楽 クラシックを習ったこともあるが、ベンチャーズやビートルズにあこがれギターを始める。高校時代自分よりうまいギタリストがいたためキーボードに転向する。大学在学中はジャズ研究会に所属。その後、種々の音楽活動を通じ、プレイヤーだけでなく作曲家やアレンジャーとしてもその活動の幅を広め、音楽プロデューサーとして確固たる地位を築き上げる。 現在は、レーベル K”s TRACKSを立上げ、斬新な現代のジャズを追求している。
笹沢左保(ささざわ・さほ 同じ読みで「笹沢佐保」表記の場合もある 1930年11月25日-2002年10月22日)は日本の小説家。テレビドラマ化された、木枯し紋次郎シリーズの原作者として知られる。
詩人笹沢美明の三男。神奈川県横浜市生まれと書籍等でなっているが実際には東京都生まれ。東京で生まれてからすぐに住居が横浜に移ったため神奈川県生まれと表記される。
1948年、関東学院高等部卒業。1952年から1960年まで郵政省簡易保険局に勤務。
1960年、交通事故で入院中に執筆した処女作『招かれざる客』でデビュー、小説家となる。作家活動中の42年間の作品数は380作品に達した。1988年に喧噪から逃避するため佐賀県に移り住んだ。以後その場所で生活した。
笹木 竜三(ささき りゅうぞう、昭和31年(1956年)11月27日 - )は、平成期における日本の政治家。衆議院議員(3期)。福井県福井市出身。
早稲田大学卒業後松下政経塾に入塾し1990年2月18日の第39回衆議院議員総選挙に出馬も落選。
1993年7月18日の第40回衆議院議員総選挙では初当選(無所属、日本新党・民社党推薦)を果たした。94年12月10日パシフィコ横浜での新進党結党大会に参加~1996年小選挙区勝利で再選(新進党解党後は無所属の会)。
2000年・2003年と連続して無所属で出馬し松宮勲に敗北し落選。
2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙では自民党の稲田朋美に僅差で敗れるも、民主党 (1996-) 民主党の比例代表制と重複立候補したので復活当選で国政復帰を果たした。