工藤 公康(くどう きみやす、1963年5月5日 - )は、愛知県豊明市出身。プロ野球選手。現在は読売ジャイアンツで活躍している。左投左打。ポジションは投手。
現在のところ、在籍した全ての球団で優勝を経験している。そのことから「優勝請負人」ともよばれることがある。背番号は「47」(西武ライオンズ時代から付けていたが、福岡ソフトバンクホークス 福岡ダイエーホークス時代の1995年から1996年までは「21」をつけていた)。
1981年 名古屋電気高校(現:愛知工業大学名電高等学校 愛知工業大学名電高校)で山本幸二(現・巨人ブルペン捕手)とバッテリーを組んで全国高等学校野球選手権大会に出場し、チームをベスト4に導く。
宮藤 官九郎(くどう かんくろう、本名 宮藤 俊一郎(くどう しゅんいちろう)、1970年7月19日 - )は日本の俳優、脚本家、作詞家。宮城県栗原市(旧栗原郡若柳町)出身。愛称は「クドカン」「くんく」。実家は文具店を経営。高橋一生と顔が似ている。妻は振付師の八反田リコ。
宮城県築館高等学校卒業、日本大学芸術学部放送学科中退。松尾スズキ主宰の劇団大人計画に所属。その後テレビバラエティ番組の放送作家 構成作家の活動も行う。
木更津キャッツアイなどの脚本家として有名であるが、その幅広い活動が評価され、2003年度第41回ゴールデン・アロー賞特別賞を受賞。
2005年にしりあがり寿の漫画の映画化「真夜中の弥次さん喜多さん」で映画監督デビューした。
工藤栄一(くどう えいいち、本名同じ。1929年7月17日 - 2000年9月23日)は、昭和中期~後期・平成期の映画監督。北海道苫小牧市の生まれ。
北海道庁立苫小牧中等学校(現在は道立苫小牧東高等学校と苫小牧西高等学校に分割)から慶應義塾大学予科を経て1952年、同大学法学部を卒業。
同年4月、東映に入社。最初は本社の企画部を経て、1954年、京都撮影所に転属。制作部助監督となる。
1959年9月、「富嶽秘帖」で監督に昇進。以後、時代劇黄金時代の東映で、数多くのチャンバラ活劇を手がけた。
60年代中期、チャンバラもののブームが過ぎた後は、集団抗争劇へ移行し、「十三人の刺客」(1963年)、「大殺陣」(1964年)を生み出す。
グッチ裕三(ぐっち ゆうぞう、本名:高田 裕三/たかだ ゆうぞう、1952年2月27日 - )は、ワン・ペアー所属のタレント・歌手・料理愛好家。
東京都板橋区出身。暁星学園 暁星高校卒。血液型:A、趣味:料理。
暁星高校卒業後、米軍キャンプやクラブ等で音楽活動を開始。「ブルーエンジェル」(モト冬樹、エド山口)、「スリーチアーズ・アンド・コングラッツレイションズ」(ウガンダ・トラ、宮本典子)など多くの人物といくつものバンドを組んで活動。1978年にモト冬樹、ウガンダらと伝説のコミックバンド「ビジーフォー」を結成、コミックソングや物真似 ものまねで人気を得る。1992年に「グッチ裕三とグッチーズ」を結成し、独自にライブ活動を開始。1996年からは日本放送協会 NHK教育テレビの「ハッチポッチステーション」(終了)に出演。日本のテレビ放送の歴史において、最高視聴率を獲得した子供番組であり、世界50カ国で放送され、2003年、第11回スポニチ文化芸術大賞優秀賞受賞作品に選ばれる。また、同番組から発売されたCDはロングセラーとなった。
久夛良木 健(くたらぎ けん、1950年8月2日 -)は日本の技術者、経営者である。
2003年より、ソニー・コンピュータエンタテインメント(以下SCE)の代表取締役社長 兼 最高経営責任者 CEOを務める(2005年8月現在)。2003年4月から2005年3月までは、ソニーの 副社長 兼 最高執行責任者 COO を務めた。姓の久夛良木は、久多良木と表記されることもある。
1975年に電気通信大学からソニーに入社し、研究所で技術者として活躍した。
1980年代後半に任天堂と家庭用ゲーム機の開発を手がけた。その後、任天堂との提携が決裂し、ソニー独自の家庭用ゲーム機開発にのりだした。
ソニー社内では、独自の家庭用ゲーム機の開発、販売に否定的な意見がほとんどであったが、当時ソニーの社長であった大賀典雄を説得し、SCEの設立。プレイステーションの発売を実現した。その後のプレイステーション2などと併せて、ゲーム業界において記録的な大成功を収めた。
九代目松本幸四郎(くだいめ まつもと こうしろう、1942年8月19日 - )は、歌舞伎役者、日本の俳優、舞踊家。日本舞踊松本流の宗家。本名は藤間昭暁(ふじま てるあき)。早稲田大学第一文学部演劇学科中退。
屋号 高麗屋(こうらいや)
定紋 四ツ花菱
替紋 浮線蝶
歌舞伎では高麗屋の芸を継承し、祖父播磨屋の重厚な演目も受け継ぐ一方で、ニューヨーク・ブロードウェイで『ラ・マンチャの男』を、ロンドン・ウエストエンド (ロンドン) ウエストエンドで『王様と私』を主演するなど、現代劇での活躍が目覚しい。演劇への挑戦として、演劇企画集団シアター・ナインス、歌舞伎企画集団梨苑座を発足させている。また、九代琴松の名で演出も行っている。連続ドラマの出演も多い。中村吉右衛門 (2代目) 二代目中村吉右衛門は実弟、市川染五郎 (7代目) 七代目市川染五郎は長男、松本紀保は長女、松たか子は次女にあたる。
久世 番子(くぜ ばんこ、1977年 - )は漫画家。愛知県東海市出身、芥川賞作家の中村文則とは高校の同級生であり親交がある。
投稿作品の『NO GIRL,NO LIFE!』が新書館発刊の『月刊ウィングス Wings』4月号に掲載され、2000年2月にデビュー。
2000年新書館発行の『サウス』6月号から連載が始まり、2001年に『サウス』誌上で後に単行本化される『imp!』に収録される『休みの国』が掲載。2002年『Wings』2月号から著者代表作の『少年愛の世界』が掲載される。
2005年『Wings』1月号より『暴れん坊本屋さん』の連載が始まる。
書店でアルバイトを行っている経験から、書店の内情を記した『暴れん坊本屋さん』は朝日新聞などに書評として掲載され一躍有名になる。
久世 光彦(くぜ てるひこ、1935年4月19日 - 2006年3月2日)は、日本の演出家、小説家。TVドラマ、小説ともに受賞多数。
東京・阿佐谷生まれ、富山県富山市で育つ。富山市立西田地方小学校、富山大学付属中学校、富山県立富山高等学校、東京大学文学部美学美術史学科卒業後、東京放送 ラジオ東京(現・TBS)に入社。演出家、プロデューサーとして「寺内貫太郎一家」、「時間ですよ」などテレビ史に残る数多くのテレビドラマを製作した。
1979年に独立、カノックスを設立。小説・評論・エッセイなど幅広い作家活動も行っており著書多数。 ペンネームに市川睦月(いちかわ むつき)、小谷夏(こたに なつ)、林紫乃(はやし しの)など。なお、兄は前参院議員(元金融再生委員長)の久世公堯。
久世 星佳(くぜ せいか、1965年7月8日)は女優。東京都出身。本名・星野 紀子(ほしの・のりこ)。愛称ノンちゃん。身長169センチ、血液型B型。
北海道の民放局で職場結婚した両親のもと札幌市で出生、1歳で東京都へ転居、同大田区で育つ。
東京女学館中学校・高等学校 東京女学館中等部卒業後、1981年宝塚音楽学校に入学。
1983年に宝塚歌劇団入団。芸名の由来は「姓は好きだった久世光彦さんにちなみ、名前は自分の誕生日が暦で『せいか(盛夏)』にあたるから(本人談)。」
同期には、高嶺ふぶき(元雪組男役トップ)、麻路さき(元星組男役トップ)、出雲綾(宙組2代目組長,”06秋より月組組長)、神奈美帆(元雪組娘役トップ)、美月ノア 美月亜優(元雪・花組娘役・名脇役として活躍)らがいる。
久世 公堯(くぜ きみたか、1928年8月15日 - )は富山県出身の元自治省官僚、元自民党所属の参議院議員(比例代表、3期、18年)。
父親は陸軍少将の久世弥曽吉、弟は演出家で作家の久世光彦。東京都立日比谷高等学校 都立第一中学、陸軍幼年学校 東京陸軍幼年学校、陸軍士官学校を経て東京大学法学部を卒業。その後自治省(現・総務省)入省、秋田県財政課長、自治省官房審議官、自治大学校校長を経て1983年、参議院選挙比例代表にて出馬、落選したが、1986年に当選、宮沢派(のちの加藤派)に属す。元金融担当大臣 金融相(金融再生委員長)、税制調査会副会長など。3期18年努めて引退。2000年に第二次森内閣入閣目前、自らの政治資金規正法違反疑惑の事柄を、永田町や霞ヶ関界隈に跋扈するブラック・ジャーナリズムによって指された。大学講師、著書多数。「法律と条例」(有斐閣)、「地方自治制度」(第一法規)など。
葛和伸元(くずわ のぶちか、1955年1月6日-)は元全日本女子バレーボールチーム監督。奈良県葛城市(旧・北葛城郡當麻町)出身。
大阪商大附属高等学校から法政大学を経て、卒業後はNECブルーロケッツ 日本電気男子バレー部に入部した。そこでの選手経験の後、女子バレー部コーチを経て同部監督となる。1997年には日本バレーボールリーグ機構 Vリーグを優勝に導き、1997年から2000年まで全日本女子バレーボール監督を務めた。
非常に熱血漢のあるタイプの監督として知られ、マスコミから「ニッポンの怒る人」と命名されたこともあるほどである。しかし、熱血指導も残念ながらオリンピックに導くことは出来ず、シドニーオリンピック予選敗退の結果を受けて、辞任した。その後は、NECレッドロケッツの監督を務めた。
葛谷 葉子(くずや ようこ、1977年8月2日 - )は、日本のシンガーソングライター。 岐阜県出身。1999年8月エピックレコードより松尾KC潔プロデュースの下デビュー。以前はエフエム・ノースウェーブ、K-MIXでレギュラー番組を担当していた。自身の作詞作曲のほか、CHEMISTRY, 中島美嘉らに楽曲を提供している。
TRUE LIES(1999年8月4日)
恋(2000年1月21日)
サイドシート(2000年6月7日, ANB系全国ネット「世界ぜ~んぶ本物!ド迫力!!びっくりハンター~運命の月曜日~」エンディングテーマ )
Shinin” Day(2000年8月23日)
replay on(2000年12月6日, 花王ソフィーナ「バイタルリッチ」CMソング)
最後の夜~KUZUYA”S R&B~(2001年3月23日)
久住 昌之(くすみ まさゆき、1958年7月15日 - )は、日本の漫画家。東京都出身。現在は漫画原作からデザインや音楽活動など幅広い活動を行うアーティストとして活躍している。法政大学社会学部卒業。大学在学中から美術や音楽活動に興味を持ち、在学中から美術学校に通い、赤瀬川原平に師事した。また、南伸坊などと知り合う。1981年には、美学校の同期生、泉晴紀とコンビを組み、『泉昌之』として『ガロ (雑誌) ガロ』誌に漫画を持ち込み、漫画家デビューする。それと平行してデザインや装丁・エッセイの仕事でも活躍した。1987年から「タモリ倶楽部」のコーナー「東京トワイライトゾーン」にレギュラー出演し、人気を博した。