鯨 統一郎(くじら とういちろう)は日本の小説家。推理作家、SF作家。覆面作家である。国学院大学文学部国文学科卒。
デビュー作、邪馬台国はどこですか?(ISBN 4488422012) は、第3回創元推理短編賞の最終選考に残ったものの、惜しくも受賞はできなかったが、1998年に文庫での書き下ろしという変則的な形のデビュー作となった。1999年のこのミステリーがすごい! (宝島社刊) では8位に選ばれている。
邪馬台国はどこですか?
隕石誘拐-宮澤賢治の迷宮-
金閣寺に密室-とんち探偵一休さん-
千年紀末古事記伝 ONOGORO
北京原人の日
なみだ研究所へようこそ!-サイコセラピスト探偵波田煌子-
九条 武子(くじょう たけこ、1887年10月20日 - 1928年2月7日)は、教育者・歌人。
西本願寺第21代宗主・明如上人(大谷光尊)の次女(母・藤子は光尊の側室で紀州藩士族の子女)として生まれる。義姉・大谷籌子裏方(大谷光瑞夫人)を助けて仏教婦人会を創設し、1911年、大谷籌子 籌子が30歳の若さで早世の際は本部長に就任、同会運営の重責を果たした。仏教主義に基づく京都女子専門学校(現・京都女子学園、京都女子大学)を設立、、1923年9月1日の関東大震災で自身も被災するが一命を取りとめ、全壊した築地本願寺の再建、震災による負傷者・孤児の救援活動(「あそか病院」などの設立)などさまざまな事業を推進した。佐佐木信綱に師事し和歌にもたけ、歌人としても、『金鈴』『薫染』などの歌集がある。愛唱されている仏教讃歌の「聖夜」は、1927年7月に出版された随筆『無憂華』の中に収められている。「聖夜」の作曲は、中山晋平(1887年~1952年)で、歌詞は七五調で構成され、夜空に輝く美しい数多の星のようにおわする仏たちに護られて生きていることの歓喜と安らぎが表現されている。1928年2月7日、震災復興事業での奔走の無理がたたり敗血症発症、42歳の若さで、念仏のうちに往生した。宗門では、九条武子の命日を如月忌(きさらぎき)と呼んでいる。
櫛引 彩香(くしびき さやか、1975年9月24日 - )は、日本の女性シンガーソングライター。愛称は「ビッキー」。
青森県むつ市大湊出身。1999年、東芝EMI所属にて『いつもの気分で』で、メジャー・デビュー。現在はメジャーレーベルとの契約切れにより、インディーズで活動を行う。
いつもの気分で 1999・9・8
雨のち晴れ 1999・11・10
空 2000・3・23
サニーデイ 2001・1・31
帰り道 2002・3・16
Cycle/Brand-new me,Brand-new morning 2002・4・26
mush☆room 2000・4・26
essential 2002・5・29
KENZI MASUBUCHI/TALES OF THE AXXE PLAYER
Cubisumo Grafico/untitled
Adagio~Lounge Classics~
Cubisumo Grafico/St.Nicolas
串田 嘉男(くしだ よしお、1957年9月19日 - )はアマチュア天文家。彗星や小惑星などの新天体を数多く発見している。東京都八王子市出身で神代高等学校卒業。八ヶ岳南麓天文台(地震前兆電離層観測研究センター)台長、日本天文学会会員、東亜天文学会会員、SEMS研究会コアメンバー、理化学研究所地震国際フロンティア研究プログラム非常勤研究員。最近ではFM電波観測による地震予知研究でも知られる。自宅を持たずトレーラーハウスに暮らしているので、八ヶ岳南麓天文台を連絡先としている。妻の串田麗樹も超新星の発見・観測で知られているアマチュア天文家である。
2005年現在、以下の天体を発見した実績を持つ。
串田和美(くしだ かずよし、1942年8月6日-)は日本の俳優、演出家。東京都小金井市出身。日本大学芸術学部中退。現在、日本大学芸術学部教授。父は哲学家で詩人の串田孫一、祖父は三菱銀行初代会長の串田万蔵。
1965年劇団俳優座 俳優座養成所を卒業し、劇団文学座入団。
1966年劇団自由劇場を結成。六本木の自由劇場を本拠地として、吉田日出子を看板女優に『上海バンスキング』(1979年)、『もっと泣いてよフラッパー』(1977年)、『クスコ』などのヒット作を産み出すも1996年に解散する。
コクーン歌舞伎を始めとする歌舞伎公演の演出もし、テレビCMなど多方面にて活躍中である。
草村 礼子(くさむら れいこ、1940年7月5日 - )は日本の女優・ナレーター。
東京都三鷹市出身、かに座で血液型はB型。ちなみに三人兄弟である。
独特なのんびりとしたオーラと台詞で、役柄的には上品な婦人役や典型的な優しいおばあちゃん役が多い。その一方で、難解な役までもをこなす演技派女優でもある。
『たま子先生役の女優さん』と言われれば、彼女の顔が浮かぶ方も多いだろう。また、この役柄で7つの映画賞を受賞している。
劇団『炎座』の押しかけ研究生となる。それと同時に、都立国立高校を中退する。その後、劇団『東京小劇場』で16年間活動をする。82年から『いのちと愛』をテーマとするライブ活動を開始し、現在に至る。また劇団退団後は、ドラマや映画出演も積極的に行っている。
草間 吉夫(くさま よしお、昭和41年(1966年)5月31日)は、高萩市#歴代市長 高萩市長。茨城県高萩市出身。
松下政経塾塾生 社会福祉学修士 東北福祉大学講師 世襲ではない 平成17年(2005年) (現職) 1回 無所属 無 }}
児童養護施設にて育つ。東北福祉大学大学院修士課程修了。松下幸之助が創設した財団法人松下政経塾に第16期生として入塾する。同期生に大場秀樹、豊島成彦、栗田拓、白井智子らがいる。
松下政経塾卒塾後は、東北福祉大学研究員、駒澤大学・茨城大学・東北福祉大学の講師を歴任。
また、厚生労働省「児童福祉施設等評価基準検討委員会」委員や厚生労働省監修「児童福祉施設における子どもの権利擁護の手引き」編集・執筆を務めるなど、福祉畑を歩む。
草間 彌生(くさま やよい、1929年3月22日 - ) は、長野県松本市生まれの彫刻家、画家、小説家。表記には草間弥生もあり。
松本駅近くで種苗業を営む裕福な一家に生まれ、幼いころから草花やスケッチに親しむ。その一方、少女時代より統合失調症(医学博士西丸四方が診断)を病み、繰り返し襲う幻覚や幻聴から逃れるために、それら幻覚や幻聴を描きとめる絵を描き始める。画面のみならず、見るものの視界を覆い尽くさんばかりに際限なく増殖する水玉のモチーフがそれである。また男根状のオブジェが特徴的である。
1945年(16歳)、大戦から疎開してきた画家たちの立ち上げた「第一回全信州美術展覧会」で並み居る顔ぶれの中入選する。松本高等女学校(現:長野県松本蟻ヶ崎高等学校)を卒業後、京都市立美術工芸学校(現:京都市立銅駝美術工芸高等学校)の4年生最終課程に編入して日本画を学ぶ。後に役立つ絵画技法を身につけるが、旧弊な日本画壇には失望し翌年卒業。松本の実家に帰り、寝食も忘れ毎日数十枚以上を描く。
草笛 光子(くさぶえ みつこ、1933年10月22日 - )は、昭和中期から平成期(1950年代 - )の日本の俳優 女優。本名、栗田 光子。
言わずと知れたベテラン女優の一人。神奈川県出身。
虚弱傾向だったため小学生からバレエを始める。1950年、松竹歌劇団(SKD)に入団し、1953年にSKD在籍中のまま、松竹(松竹京都撮影所)から映画「純潔革命」で女優デビュー。豊かな歌唱力が持ち味だった。
その後、松竹大船撮影所から東宝を経て映画、テレビ、舞台で活躍する。特に、日本テレビ放送網 日本テレビのバラエティ番組「光子の窓」では、洋窓から顔をのぞかせてテーマ曲を歌うオープニングで人気を博した。